第8話 黄金期

 人生の中には黄金期と言われるものがあって、自分にもある。父親が仕事に失敗した後、残った金で和歌山の市内に旅館を買った。今から思えば、よく買えたものだなと思ったのだが、上もの、建物の権利を買っただけで土地を買ったわけではなかった。5歳の年から、10歳までの五年間、そこで母親は旅館を経営する事になったが、五年後地主との裁判を起こされて、和解金だろう当時の金で400万円の金をもらって出る事になった。

 出ていく時は雪が降っていて、それは鮮明に憶えている。


 出ていくまで五年間、幼稚園の年長組から小学校四年生までが自分のたった一つの黄金期であったなと思う。


 母親と父親はいつも喧嘩ばかりしていたが、今から思えば、金絡みの事だったのだと思う。母親は父親にとっは本妻ではなく妾であり、本妻も生きてはいたが半身不随の身体障碍者で子供を産める状態ではなかった。本妻さんとしても半分、承諾済みであったのかも知れない。

 ただ、問題だったのは本妻さんの親せきがうちの父親の会社の手形を乱発して金に換えて、横取りした形になっていた。

 多分、その対抗作であったのだろう。父親は私名義で三億、弟名義で一億の貯金して財産を隠していた。世情に疎い母親はそれを借金取りに話してしまい、それを払う羽目になってしまった。

 よく母親は父親の話をする時に、お前に三億、弟に一億の貯金があったと言っていたが、子供にそれを使う権利がある訳じゃない。

 子供の認知はしているけれど、籍の入っていない母親が借金取りに払う道理はなかったのだ。

 それを理解していない、というか、亡くなる半年前にその話題が出て、それを説明したら、やっと理解した。

 社会常識の知らないアホな人であった。失敗から何も学ばない馬鹿な人だった。

 一生懸命に働けば、出世できるとか言っていたが、何時の時代の話だといつも言い合いになっていた。

 今は一生懸命に働いても搾取されるのである。それを理解できない人だった。

 子供が一生懸命に働けば、ボーナスががっぽり入ると思って、学校を辞めさせて、働きに出されたが、何も知らない人間に賃金もボーナスも出る訳じゃない。

 田中角栄を見ろ、総理大臣にまでなったじゃないかが口癖だったが、その真下には幾千幾万の日雇いの死骸が眠っているのだ。

 儲けが少ないと、親方に電話をかけて、金が少ないと文句を言った事があったが、そこは扱いも酷かったので一年もしなうちに止めた。


 そんな青春を送って来た自分にとって、無垢であった旅館経営時代は何もせずに、学校で遊び、テレビを見て、プラモ作って遊ぶ毎日の日課だった。


 亡くなる前の母親と話をした時、自分にとって、人生最高の時は旅館経営をしていた時だったと言った。


 あの頃の話を始めた矢先、朝飯を食べた後、心筋梗塞を起こして、母親は逝った。


 もう少し、あの頃の話をしたかった。

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