第7話 1984年の夏

 ロサンゼルスオリンピックあった年、自分は母親が経営している飲み屋の客の紹介で、茨城県のとある鉄鋼会社の関連企業に勤める事になった。

 最初はとある鉄鋼会社に紹介してやるという事なので、期待して行ってみると、何のことはない、協力会社という名前の下請けの下請け、孫請け会社であった。

 独身寮も今から思えば、タコ部屋のそれだった。

 社長は苦労人だったが、同僚、先輩は癖の強い人物が多くて、二十歳前後の人間には苦痛以外、何物でもなかった。

 その頃の茨城県の鹿島には何もない所で、娯楽施設と言えば、ソープランドかパチンコ屋、飲み屋という肉体労働者の為だけにあるようなデリカシーのない場所だった。

 映画が好きだったが、夏休みと春休み以外はポルノ映画をかけているような劇場で少し間違えると、風呂屋のそれと違わないような感じだった。

 鹿島兄弟館というのが、その映画館の名前でロードショーでかかるような映画掛からず、二三か月遅れで当時流行りの角川映画の「お古」や「キン肉マン」等の東映まんがまつりが掛かっていた。

 映画に飢えていたので、それでも我慢してみた。

 近所の神栖市に映画館があると言うので、行ってみると、鹿島兄弟館と変わりない感じで、神栖銀映館という名前の映画館だった。

 何を見たのかは、もう、忘れてしまった。

 映画館に入ったのは憶えている。でも、何を見たんだろう?

 思い出せない。

 憶えているのは、50CCの原チャリを走らせながら、見た当時の茨城の国道脇の田んぼの緑の風景だった。

 鮮烈な緑で、夢の中に時たま出てくる。

 鬱屈と圧迫しかない現場だったが、あの緑の風景はもう一度見てみたい。

 鹿島から神栖へ行く途中、屋台をやっている路上販売所があって、そこで焼き鳥を食べた。

 美味かった。

 一本、50円。

 値段だけは未だに憶えている。

 それにしても、田んぼの緑は目に染みる色だった。

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