第86話 負けヒロインさんたちは止まらない
相も変わらず教室での口数は少ないし、休日も一人でスケッチブックを片手に出掛けるだけ。そんな彼女の生活に一体誰が華を添えているのかというと――
「今日はサンジェルマンアイスの新作を全部食べ尽くすツアーなのですっ!」
もうすっかりと見慣れてしまった私服姿に身を包んで満面の笑みを浮かべる彼女、桑倉学園の天使こと
「……朝一で緊急の用事だって言われたから焦ってきたんだよ?」
「文字通り緊急の用事じゃないですかっ!」
覚醒とは程遠い頭をどうにか琴子に向けながら、彩夏は露骨にため息を一つ吐いてみせた。
「あのさぁ、もっと私以外にも誘う相手がいたんじゃない?」
現在時刻は午前10時を僅かに回ったところ。休日の滝田駅前は今日が日曜日という事もあり家族連れや遊びに行く若者たちで賑わっている。
休みの日は絵を描くこと以外引きこもりがちな彩夏にとって、制服やスーツ姿の人々が全く見えない滝田駅というのは随分と新鮮に思えた。
「あはは……生憎と親しい友人は皆ダイエット中だって断られちゃいまして」
「そりゃまぁ、新作を全部食べ尽くすツアーだもんね」
そりゃ一つぐらいだったらもしかして友人たちも付き合ってくれたのだろう。しかし目の前の少女が年相応かそれ以上に食い意地が張っている事を最近親しくなった彩夏ですら知っているのだ。
そんな惨状を知っている今、琴子の友人がその誘いを断ったのも当然のことだろう。
「ってかクラスの友達以外にも誘う人居たんじゃない?」
「……だから誘ってるじゃないですか、彩夏さんを」
何を言っているんだ、とでも言いたげな表情でこちらを見つめる琴子に思わず彩夏は先ほどとは違った意味でのため息を吐く。
ド本命がいるじゃないか、と今すぐにでも突き付けてやりたいが、現状二人が互いをどう思っているか分からない以上彩夏自身彼の名前を口にしていいのか躊躇われる。
(結局琴子は立花君のことをどう思ってるんだか)
男女の間に友情は成立するのか、なんてベタなテーマはもう古くから何度も議題に上がってきた話である。最近彩夏が一樹から借りた漫画も、それをテーマとした作品だった。
彩夏自身その議題については思うところもあるのだが、目の前の少女と同じ考えとは限らない以上それは安易に口に出来ないことでもある。
「はぁ……分かったよ。じゃ、行こうか」
「随分と諦めが早いというかなんというか……」
「どうせ私は琴子のお願いを断れないんだから、こういうのは早いほうが良いの。こんな早い時間を待ち合わせの時間にしたんだからどうせ混むんでしょ?」
そう口にする自分の頬が自然と緩んでしまうことに気付いたのは本当にここ最近の話だ。
まさか自分がこうして休日に友人と出掛けるようになるなんて。それもこれもきっととある一人の少年のおかげなのだが、それを彼女自身良く理解していた。
だからだろうか、より一層二人の関係がどこかもどかしくも思えてしまう。
(でもきっと、誰だって傍から見たらそんなものなんだろうな……)
ふと辺りを見回した彩夏の視界に映ったのは、恐らく佳穂と同じぐらいの年齢だと思われる若い男女4人のグループだった。
先頭を笑顔で歩く少年とどこかおどおどとした気弱そうな少女、そしてそれに寄り添うこちらも快活そうな女の子とそんな三人を暖かく見守る少年。
一見ダブルデートに思えるが、この夏自分の「好き」ともう一度向き合った彩夏にはすぐに分かった。あれは先頭の少年と気弱そうな少女の距離を縮めるためのもう二人の策略だ。
恋心に答えなんてない。
誰かが想う誰かがいて、そして誰かに想われる誰かがいる。
そんな誰かの数だけ恋には形があって、そこに正解なんて無くて、そしてそんな答えのない道のりを信じてただ歩いていくのだ。
「さて、混む前に向かいましょうか!」
「はいはい、お供させていただきますよー」
(そしてそれはそんな恋を見守っている人達も同じ……なんだろうな)
あの二人にはあの二人なりの見守り方があって、きっと今回の予定もそんな見守り方の一つなんだろう。そう思いながら彩夏は視界を先ほどの4人から、自分の前を軽快に歩いていく少女の背中の方へと向け直した。
自分は彼女の背中をどんなふうに見守っていけばいいのだろう。そう思うとなんとなく彼女の隣を歩くことに気が引けた。
その直後、周囲にあまり気を配れなかったせいか、彩夏はわき道から出てきた人物と肩をぶつけてしまう。
「ご、ごめんなさいっ!」
「こちらこそすみませんっ!」
鈴がなるような可愛らしい声だった。ぶつかった瞬間に相手が自分より体格が一回り小さい人物であることに気付いていた彩夏は咄嗟にそちらへ頭を下げる。
だからだろうか、その声の主が彩夏もよく知る人物であることに気づくのは彼女が彩夏と琴子の名前を読んでからのことだった。
「な、鳴海さんっ! と……琴子さんっ!?」
私服姿の
「か、佳穂ちゃん!?」
「彩夏さん大丈夫ですか、って佳穂ちゃん!?」
二人が自分に気づいたことが分かると同時に、佳穂は「えへへ」と照れ笑いを浮かべる。
「今日は一人ですか? どうしてこんなところに?」
日曜日のまだ一日の中でも早い時間。こんな時間に駅前に中学生の少女が一人というのも不思議なものである。
当然琴子はそんな疑問を彼女へとぶつける。
「実は父のオフィスが近くにありまして……」
仁科家の父は家具や雑貨を海外から仕入れる貿易商だ。社員数は少なく10人にも満たない会社だが、そんな彼の人徳もあり志津川家を始めとした社交界では知る人ぞ知る会社となっている。
「お父様、また海外から戻られたのですね」
「はい! まぁ……また今日中に、今度はハンガリーに行くんですけどね」
琴子と
お互いの抱いていた想いを打ち明け合った後に、軽い気持ちで尋ねたことがあったのだ。今際出汁に上がった仁科家の父がいなければ琴子と奏佑の関係も、そして琴子と彩夏の関係も生まれなかったと考えるとなんとも妙な気分である。
「そうだ、私たち今からサンジェルマンアイスの新作を食べるんですよ! もしよかったら佳穂ちゃんも一緒にどうですか?」
「本当ですか!? 私、あそこのスイーツ大好きなんですっ!」
琴子が全部、と付け加えなかったあたりクラスメイトに振られたことを反省していることにすぐ気づく。
「でも、わたし今は持ち合わせが……」
「そんなのお姉さんに任せておきなさい」
可愛らしい顔に影を落とす佳穂を見て思わず彩夏の口からそんな言葉が飛び出した。まさか自分がそんな言葉を言う日が来るとは、と思わず苦笑いが零れてしまうものだ。
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます、鳴海さんっ!」
「なら私は次の機会ですねっ!」
何を張り合っているのか琴子がそう一言付け加え、佳穂の手をとって歩き出す。
「はぁー美味しかったですっ!」
佳穂が満足そうにテーブルの向こうで感嘆の声を上げたのはそれからすぐのことだった。
店内は案の定混み合っているが、琴子の読みもあり開店直後に彼女たち三人はすぐに新作スイーツにありついたのだった。
「それはよかった。私も初めて来たけど美味しかったよ。特にこのクリームたっぷりのモンブランが。佳穂は?」
「わたしはイチジクと桃のシュークリームが美味しかったです」
「確かにそれも美味しかった」
あまり接点はなかったが、佳穂はこうして言葉を交わしてみるとどこまでも年相応の普通の女の子だった。
彼女と唯一接点のある琴子はと言えば直前に最後の一個だからと定番メニューのドライフルーツたっぷりのアイスケーキを狙いに席を立っていた。限定食べ尽くしというコンセプトはもう既に彼女からしたらあってないようなものである。
「……そういえば、鳴海さんに一つ聞きたいことがあったんです」
先ほどまで明るかった佳穂の表情が急に真剣なものに変わった。
「私に聞きたいこと?」
そんな彼女の表情につられるように彩夏の肩にも自然と力が入ってしまう。
「琴子じゃダメなの?」
「ええ、琴子さんじゃダメなんです」
「……どうして?」
「そ、それは……そのっ」
佳穂の頬が僅かに赤らむのが分かった。と、同時にこの後佳穂が口にすることもなんとなく分かってしまう。まるで点と点が繋がっていくよう。思えば、彼女の勘は最初から正しかったのだ。
「聞きたいのは……た、立花さんのことなんです」
「あ、あぁ……なるほど」
思わず頭を抱えてしまいそうになるが、寸でのところで彩夏はそれを踏みとどまる。見覚えのあるショートブーツのつま先が僅かに下がった彼女の視線に飛び込んでくるのはそれからすぐのことだった。
「こ、琴子さんが戻ってきたのでこの話はまた今度という事でっ!」
「う、うん……」
自分は今どんな表情をしているのだろうか。行き場のない視線を店内のあちこちに巡らせていると、最終的にその視線はアイスケーキを片手に不思議そうな顔を浮かべている少女の元へと辿り着く。
「ん、どうかされましたか、彩夏さん?」
手元のアイスケーキにフォークを立てる琴子を見ながら、彩夏はまた一つため息を吐く。
夏が終わり秋が来た。
「……いや、琴子の鼻は間違ってないなぁって」
「でしょうっ! 私が彩夏さんに選んだモンブランは間違いなく今回の新作でも一番を争う絶品でした!」
新たな『負けヒロイン』の登場を予感させるその中で、少女たちの想いは形を変えながら、それでもその歩みを止める事だけは決してない。
【三章完結】『最強負けヒロイン』さんは今日もあなたの一番になりたいっ! 庵才くまたろう @kumatarou101010
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