第82話 誰が為に愛は響くか
目的の公園には先客が居た。
いや、正確には放課後の公園なんて大勢の人で賑わっているもんで、散歩中のご老人から元気に駆けまわる子どもたち、はたまたそれを眺めながら井戸端会議に勤しんでいる主婦たちまで多くの人たちの姿が公園内には見て取れる。
彼女は、そんなありふれた日常の中の一人だった。
「やぁ、
「……立花さん」
僕が声をかけた時、彼女こと
「よくここが分かりましたね」
公園の入り口からほど近いベンチに腰を下ろしていた彼女は、僕の姿を見るなりすくりと立ち上がる。
「まぁ、これも長年の経験って奴だよ」
本当は
「……そうですか」
そんな僕の返事に何を思ったのか、佳穂ちゃんは素っ気ない顔でそう返すと再びベンチへと腰を下ろした。
「ここに居ていいの?」
秋口の空は雲一つない快晴で、時折吹き抜ける風は未だ残暑に見舞われる火照った体を程よく冷ましてくれていた。
もし今が例えば公園で一人ぼんやりと将来の進路や今度のテストのことを思いながら黄昏ていたいだけだったのなら、こんなに適した場所は他にないだろう。
しかし今日に限っては、そして僕らに限っては、こんな場所にずっと腰を下ろしている訳には行かないのである。
「……どんな顔して会えばいいのか、分からないんですよ」
だけど佳穂ちゃんは、僕の問いかけに複雑そうな表情でそう答えた。
「今日一日中真理ちゃんの表情は優れなくて、放課後になった瞬間に何かを思い出したかのように教室を飛び出していったんです。真理ちゃんは徒歩通学だし、あんまり運動も得意じゃないので、追いつこうと思えばすぐにでも追いつけたはずなんです」
「だけど佳穂ちゃんは赤凪さんと何を話していいのか分からずじまいで、ここまでずっと後を追いかけてしまった訳だ」
僕の言葉に、佳穂ちゃんは自嘲気味に一つ小さく鼻を鳴らした。
「この先に間違いなく真理ちゃんはいます。だってこの場所は、真理ちゃんと結弦君の思い出の場所だから」
確信をもって佳穂ちゃんはそう口にする。だけど未だその表情からは不安と迷いがシンクの油汚れのようにこびり付いて消えない。
「ねぇ、立花さん……」
彼女の視線が、まるで何かを懇願するかのように僕を射貫いた。
「私を救う方法は見つかりましたか?」
懇願するかのように、なんてもんじゃない。確かに今、目の前の女の子は僕に救いを願っていた。
「正直何をすればいいのか僕にも分からないんだ」
「そんな……っ」
彼女の口から悲鳴にも似た声が小さく漏れた。
「だけどさ」
しかしそんな声を咎めるように、僕は自らの意思を口にする。
「君を救うことを諦めるなんてことは僕は絶対にしない」
志津川さんや鳴海さんに手を差し伸べたように、僕は今、自分自身の想いで目の前の美少女を救ってやりたいと望んでいる。
そんな僕の強い意志は、どうしていいか分からない、なんて情けない言葉で折れるようなことは決してない。
「分からないからって、それは足を止める理由にはならないよ」
人生は選択の連続だ、と昔の有名な文豪は作中で語ったとか語っていないとか。17年も生きているとその言葉が少しずつ身に染みて分かるようになってきた。
例えばテストの4択問題。例えばカズと行ったファミレスでの注文。例えばこの前提出させられた進路希望の調査票。例えば同じクラスの谷口君に土下座で教えて欲しいと頼まれた志津川さんの連絡先。まぁ、最後のは絶対にノーの一択なんだけれど。
とかく、僕らの人生はいつだって選択の連続だ。もしかしたら選んだ答えが間違っていることもあるだろう。だけど僕は思う。何かを選ぶとき、僕は後悔のしない選択をし続けていきたい。
今だってそうだ。佳穂ちゃんを救いたいと僕が願うのは、僕が後悔したくないからだ。
あの日、志津川さんの告白を見届けたように、僕は佳穂ちゃんの依頼だって見届けたい。
「僕はさ、みんなが思ってるよりワガママなんだよ」
「……ワガママ、ですか?」
「うん。僕が誰かのために動くのも、全部僕のワガママなんだ。僕が単純に後悔したくないから、僕は僕のワガママのために、誰かのために動くんだ」
そう、全ては僕のワガママのため。
『最強の負けヒロイン』が見たい。そんな邪な動機がいつの日か一人の女の子を救うのだったら、僕はいつだって自分のワガママに殉じていたい。
それが例え、見知らぬ恋心を求めて暗闇をさ迷う女の子であっても、だ。
「さ、行こう」
無意識に僕は未だベンチに腰を下ろしたままの佳穂ちゃんへと手を伸ばしていた。
「行く……」
「うん、行けば分かる。今は分からないことだらけかもしれないけれど、ここに居たら一生分からないままだ」
恐る恐る、佳穂ちゃんが僕の手へと指を伸ばした。その綺麗な指先が僕の手のひらに触れた瞬間、その機を逃すまいと彼女の手を一気に引きあげる。
「……っ」
小さな悲鳴と共に佳穂ちゃんの思ったより軽い体がベンチから浮き上がる。
そしてそのまま僕は彼女を抱きとめると、想像以上に目の前に現れたその整った顔に向けて告げるのだ。
「大丈夫、僕が一緒だ」
佳穂ちゃんの顔色から、不安の色が僅かに消えるのが分かった。
「……信じてます」
「もちろん、僕にまかせて」
いつの間にか僕と佳穂ちゃんは夕暮れに染まる公園の中を駆けだしていた。
時刻は五時半を少し回ったところ。
街路樹の木々が作り出す影は先ほどよりもさらに背を伸ばし、公園内に響いていた活気ある音はいつの間にか少しずつ遠くに姿を消していた。
だからだろうか。
「……歌が聴こえます」
そう言って立ち止まる佳穂ちゃんの声に、僕は一切の疑問を抱かなかった。
遠くで歌が聴こえた。
その声は優しくて、暖かくて、そして――どこまでも、胸がぎゅっと締め付けられるような歌声だった。
「真理ちゃんの歌……」
公園の一角に、僕らはまるで何かに引き寄せられるかのように歩いていく。
「……ぁ」
歌が、響いていた。
絵本の中から飛び出してきた少女のよう。そう彼女を例えたのはいつだっただろうか。僕の目の前に広がる景色は、まるで自分が本当に絵本の中に迷い込んでしまったんじゃないかと錯覚してしまうくらいに幻想的だ。
彼女の心が知りたくて
そんな彼女に寄り添いたくて、僕は照らし方も分からないこの道を共に歩いていくことを選んだのだ。
「真理ちゃん、綺麗……」
隣で小さく佳穂ちゃんの感嘆にも似た声が零れ落ちた。
迷い路の先。暗闇を駆け抜けたその先には、一羽のカナリアが羽を休めていた。
そのカナリアは遠くへと向かう大切な何かを想って愛を歌い続けている。
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