第81話 決戦の日

「立花君、結局昨日はあの後どうして返事一つ寄こしてくれなかったのです?」


 佳穂ちゃんに呼び出された日の翌日の放課後、教室を後にしようとしていた僕の足はとある声によって引き留められた。


「えっと、返事って……」


 心当たりしかないその声に思わず振り向くと、そこでは志津川さんが目いっぱいに頬を膨らませながらこちらに視線を飛ばしてきていた。


 放課後の教室はまだ大勢のクラスメイトが残ったまま。その中心で行われる僕らのやり取りにはそこそこの注目が集まっているものの、夏休みが明けて以降はこんな場面も珍しくなく、だんだん見慣れてきたのだろうその光景に次第に注目の視線は霧散していった。


 そう言えば数日前に同じB組の高杉君がこんなことを言っていた。立花ばっか志津川さんのいろんな表情を向けられてズルい、と。


 確かに、思えば彼女と親しくなる前と後とでは、随分僕に向けられる表情も様変わりしたような気がする。


 一人のクラスメイトに向ける視線から、親しい友人へと向ける態度へ。その変わり様が今はなんだか微笑ましい。


「……何がそんなに面白いんです?」

「い、いや、何でもないよ。それよりも返事って?」

「昨日のメッセージですよ。私がせっかくお風呂上がりに立花君を想って送ったというのに」


 彼女の指摘と同時に、クラス中の至る所から僕へと殺意の視線が飛んでくる。


 いや、志津川さんの言いたいことは分かる。結弦君の出発は今日。つまり佳穂ちゃんからの依頼の期限も今日が実質最終日だ。


 その間、僕が大した名案を思い付いていないのは、部室で突拍子もない質問を美少女二人にしてしまった僕を見ていれば一目瞭然だろう。


 つまり志津川さんの言いたいことは、メッセージを送った意図は依頼の解決に苦心している僕に向けての労いという意味だったのだろう。


 が、言葉選びが良くなかった。ただでさえクラス中で、いや学年中で、いや学園中で、むしろ世界中で志津川琴子しづかわことこの連絡先を知っているのは光栄なことだ。


 それに先ほどの志津川さんの口ぶりを聞いて、僕らの関係がただのクラスメイトという関係では収まらないと勘違いしてしまう男連中は大勢いる事だろう。


 つまり、僕は今地雷原のど真ん中で超一級の不発弾を抱えたままオロオロと行き場を探しているという状況になる。


「し、志津川さん……、と、とりあえず今はその話は後にしない?」


 僕はなんとかこの場を抜け出すべく、志津川さんの背中に出来るだけ穏便に手を添える。そう、それはまるで不発弾に触れるかの如く。


「まぁ、立花君が先ほどの件についてきちんと弁解をしてくださるのなら構いませんが……」

「も、もちろんするよっ! 喜んでするっ! 何度だってっ!」


 傍から見たらまるで浮気の言い訳だ。というかそこで僕はようやくなぜ目の前の美少女が僕に怒っているのかに思い至る。


 昨日の僕は佳穂ちゃんに連絡を取って以降スマホを確認していない。


 佳穂ちゃんに会っている最中はもちろんのこと、帰宅して以降もどうしたら彼女を救ってやれるのかで頭の中がいっぱいだった。


 志津川さんは僕のことを心配してわざわざメッセージを送ってくれていたのに……。


「まるでどころか、本当に浮気みたいだ」

「浮気がどうかしたんですか?」

「いや、な、何でもないよっ! それよりも急がないと僕らには時間がない」


 教室に設置された壁掛け時計は、午後四時半を僅かに回ったところを示していた。


「空港に結弦君を見送りに行く気ですか?」

「飛行機の時間は17時半なんだ」

「じゃあ今から向かっては到底……」


 桑倉学園から滝田駅まではどれだけ急いだって15分はかかる。更にそこから最寄りの空港までは電車で一時間だ。


 志津川さんの言う通り、結弦君を見送るには推理小説もびっくりの時刻表トリックを使ったって間に合わないだろう。そんなのは分かり切っている。だから――


「空港には行かないよ」

「じゃあ、どうするんです……?」


 志津川さんの、まるで何かに縋るかのような視線が僕を射貫いた。


 そうだ、彼女だって僕と同じ気持ちのはずだ。佳穂ちゃんを救いたい。学校や年齢は違えど、志津川さんにとっては佳穂ちゃんだって親しい友人の一人なはずだ。


「何をすればいいのかまだ分からない」

「じゃあ……」


 不安げな表情を浮かべる志津川さん。しかしそんな彼女を安心させるように僕は告げる。


「僕は諦めないよ」


 放課後の校内は雑踏が生み出す沢山の音で溢れていた。しかしそんな雑音まみれの世界の中でも、志津川さんの「それが立花君が求めた答えなのならば」という肯定だけはどこまでもクリアに僕の耳に沁み込んでいく。


「でも、どうすればいいのか、僕にはさっぱり分からないんだ……」


 一晩色々考えた。僕は今日一体何をどこでどうすればいいのか。


 だけど答えなんて分かるはずもない。誰かの暗闇を照らしたいと誓った僕が、だけど今暗闇で一人道を探している。


 こんな僕の行く先を、一体誰が示してくれるのだろう。


「ちょっと待っててくださいね」


 そんな僕の不安を取り払うように、志津川さんが一つ明るい声を上げる。


「待ってって、一体何が……」


 戸惑う僕の声を気にも留めず、志津川さんは自分のスマホを弄りだす。どうやら誰かに連絡を取っているみたいだけれど、一体どこの誰に連絡を取っているのだろう。


「……なるほど」


 それからしばらくののち、スマホと熱心に向き合っていた志津川さんはぽつりとそんな言葉を呟いた。


「ここに向かってくださいな」


 そう言って彼女は先ほどまで熱心に見つめていたスマホの画面をこちらへと差し出してくる。


「ここって……」

「ええ、彼女はその場所に居るそうですよ」


 画面に映し出されていたのはおそらくスマホのカメラで撮影されたのであろうとある場所の写真だった。


 というかこの場所に僕は見覚えがあった。


「連絡してたのって……赤凪さん?」


 そう尋ねると、志津川さんは否定とも肯定ともいえないような曖昧な笑みを一つ浮かべた。


「その答えは、行けば分かると思いますよ」

「じゃあ行こう」


 何をすべきか分かれば、僕らに迷っている暇なんてない。すぐに志津川さんへとそう促すが、しかし彼女はピタリとその足を止める。


「私は一緒には行きません」

「えっ!?」


 思わず戸惑いの声が上がる。ここまでしてくれたってのにどうして今更断る理由があるんだろう。


「ど、どうして? ボランティア部として誰かの手伝いがしたいって、あの日言ってくれたじゃないか」


 だけど僕の問いかけに、再び志津川さんは曖昧そうに笑って見せる。


「ボランティア部員としての私が出来る事はここまでです。これからは、立花君の友人として行動します」

「それが、僕に一人でその場所に行かせる……ってこと?」

「そういう事です。これがきっと、あなたに必要なことだと私は思うのですよ」

「僕に必要なこと……」


 志津川さんが何を言っているのかさっぱり分からない。しかし、何の考えなしに彼女がそういう事を口にするとは僕には到底思えなかった。


 きっと彼女なりの考えがある。


 だけど今の僕にはその考えを見抜く術は無い。ならば出来る事は一つだけ――いつかと同じように、志津川さんの言葉を信じるだけだ。


「……行くよ、佳穂ちゃんの支えになる為に」

「はい、立花君なら大丈夫です」


 大丈夫、か。結弦君と赤凪さんも同じ言葉を口にしていたな。


「もし失敗したら泣いて帰ってくる立花君を私が慰めてあげますね」

「……そうならないように祈っといてよ」


 志津川さんを教室に残し、僕は未だ騒がしい放課後の校内を早足で駆けていく。


 向かう先は先ほど志津川さんが僕へと見せてきた写真の場所。僕が初めて赤凪さんに出会ったあの公園である。

 

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