第78話 君のずっと知りたかったこと
世界は今日も知らないことでいっぱいだ。
例えばここに来るまでに、僕は一体何組のカップルとすれ違っただろうか。その誰しもに大なり小なりの物語があり、彼ら彼女らが心を通わせるに至った壮大なラブストーリーがあったに違いない。
だけどそれでも、そんな素敵な物語を他人が知る術はない。
知らないことばかりの世界で、それでもみんなずっと何かを探している。それはきっと、今情報を求めてこの場所にやってきている僕も例外じゃないはずだ。
「聞きたいのは――赤凪さんと、君のことだよ」
そう僕が口にした瞬間、彼こと
「俺と……真理愛のこと……ですか?」
随分勝手なことを僕はしているな、と警戒心と困惑が入り混じった彼の表情を見て思う。
実際事実だ。しかしこれが、
喫茶店で
当初は苦労するだろうな、と思いもしたが、しかし僕の予想とは裏腹に彼は案外あっさりと見つかった。
僕の親友であるカズこと
彼と一時期バンドを組んでいたというその友人曰く、あいつは放課後に学校近くの公園でよくぼんやりとしているらしい。という情報を得た僕はすぐさまこうしてその噂の公園へと足を向けたのである。
予想は的中。最初は誰が結弦君か分からないかもしれない、なんて不安もあったけれど、公園に着いた瞬間に僕はすぐにベンチに座る彼こそが件の如月結弦であるとすぐに分かった。
なんというか、纏う雰囲気が違うのだ。細身の体に整った容姿。眉から鼻先にかけて垂れる前髪の隙間から覗く瞳がなんというか、僕の知ってる天才とよく似ていた。
「どうしてそんなことを聞くんです?」
彼のその問いかけに、僕はどこまで話していいものかと逡巡する。しかし未だ僕に警戒の意思を見せる彼の目を見るに、中途半端な隠し事は良くないとすぐに悟る。
というか今回の件、僕が持つ情報だけじゃ正直お手上げという事もある。
佳穂ちゃんの意図は未だに分からない。
なぜ彼女があんな依頼を投げかけてきたのか。そして一体僕に何を望んでいるのか。全てはまだ霧の中だ。
「わたしの友人の、最高のお別れを演出して欲しい」
「……なんです、それ」
「あの子が……佳穂ちゃんが、僕に頼み込んだ依頼内容だよ」
そして僕は、結弦君にすぐさま自分が桑倉学園のボランティア部員であること、そして部員として日々依頼を受けていろんな人の手助けをしていることを明かした。
彼は最初訝しげな視線を向けていたけれど、とある依頼内容に心当たりがあったのかすぐに僕のことを信用してくれたようだ。
「……夏希の家にベビーシッターに来た高校生って、立花さんだったんすね」
「まさか同じバンドのメンバーだったとはね」
「世間は思ったよりも狭いって奴です。それでその、佳穂が立花さんに頼んだ依頼ってのがさっきの……」
「うん、僕が気になっているのは、なぜ佳穂ちゃんがそんなことを僕に望んだのか、だよ」
いつの間にか結弦君の顔から警戒と不信感は姿を消していた。代わりに彼の整った顔色に浮かぶのはいったいどんな感情なのだろうか。
「結弦君はその……赤凪さんと付き合ってるの?」
そう問いかけた瞬間、彼の色白の肌が僅かに赤く染まるのが分かった。なんというか、分かりやすいな。
「そ、そんなことはないっすっ!」
「でも今までの状況と僕の聞いた話を踏まえると……」
そう尋ねると、結弦君はどこか観念したように一つ大きく空を仰いだ。
「……好きっすよ。俺は真理愛のことが大好きっす」
躊躇いなくそう口にした彼に、僕は男として心の中で大きく称賛の声を上げた。真っすぐに、ただ素直に他人にそう告げられる男の子が、果たしてこの世界に一体何人いるんだろう。
天才ピアニスト。そう称される彼がどこか遠い存在に思えてしまったのは、その音楽の才だけじゃなような気がした。
僕の知らない道を歩いて、僕の知らないものに触れて、僕の知らない感情を抱いてきた。
そんな彼が、僕はなんとなく羨ましかったのかもしれない。
「でも、佳穂ちゃんがそういうってことは……」
「ええ、俺も真理愛も、互いの気持ちを直接口にしたことはありません」
やっぱりか。佳穂ちゃんの言う最高のお別れとは、きっと親友であるはずの二人がその心の内を互いにしっかりと伝え合う事なんだろう。
「それは……理由を聞かせてもらっても?」
「……ガキの戯言だと笑いませんか?」
そう言って結弦君は苦笑いを浮かべた。
「言わないよ。自分の気持ちと向き合うことに、年齢も経験も関係ない。あるのはただ、そう決めた君たちの立派な覚悟だけだよ」
「…………なんつーか、立花さんはカッコつけっすね」
「知り合いの女の子にもよく言われるよ」
僕の自嘲気味な笑い声につられるようにして、彼もまた声を漏らした。
「……大丈夫、そう思ったんすよ」
「大丈夫?」
「ええ、俺と真理愛は大丈夫なんです。どれだけ年月を重ねても、どれだけ遠くに離れても、どれだけ環境が変わっても……俺たちが一緒に過ごした時間だけは永遠なんです。その永遠が、俺達を大丈夫だと思わせてくれるんですよ」
あぁ、やっぱり羨ましいな。
僕がどんだけ月日を重ねようと、きっと今の結弦君のような顔は一生できないんだろう。羨望にも、そして嫉妬にも似たこの気持ちを僕はどうにか押し殺しつつ、彼へと先を促した。
「気持ちを伝えないのは、伝える必要が無いからってこと?」
「まぁでも、これじゃあカッコ付かないんで、イギリスから戻ってきたらちゃんと言おうとは思ってますよ」
「それまでは……」
「ええ、俺たちは、大丈夫なんです」
それがきっと、二人にとっての恋心という奴なのだろう。
「佳穂は多分それがもどかしいんだと思います。それと同時に……」
不意に結弦君が言葉を詰まらせた。
「どうかしたの?」
「あぁいや、自分で言うのもなんですけど……佳穂はきっと、俺らの関係があいつにとって手の届かない何かだと思ってるんじゃないんですかね」
「手の届かない何か……」
ずっと僕は考えていた。どうして佳穂ちゃんは自分の兄のデートを尾行させてまで、そして親友の関係を今まで以上に発展させてようとしてまで、何かに手を伸ばそうとし続けていたのか。
「そうか……」
僕と
佳穂ちゃん、君はずっと――恋心が何かを知りたかったんだ。
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