第74話 天使の助言
佳穂ちゃんから新たな相談事を持ち掛けられた日の翌日の放課後、僕の姿は学校でも自宅でもなく、千歳川の河川敷近くのベンチの上にあった。
サイクリングロードに付設されているこのベンチは、以前美術部の
そして今、僕の隣にはあの日と同じように我が桑倉学園の天使が変わらぬ笑みを浮かべながら座っていた。
「ごめん、昨日は突然連絡しちゃって」
「かまいませんよ、他ならぬ立花君の頼みですから」
そう呟く志津川さんの視線は、散歩中の大型犬を微笑まし気に追いかけている。
「まぁ、突然のことにびっくりしちゃったのはここだけの話ですが」
佳穂ちゃんと別れた日の夜、僕は思いがけず志津川さんへと電話をかけていた。理由は簡単、何でもいいから彼女に僕の話を聞いて欲しかったからだ。
「自宅が近かったらすぐにでも立花君の元へと向かえたんですけどねぇ」
「いや、それはなんというか申し訳ないよ。それに夜だったし……」
志津川さんの自宅は滝田駅から電車で二駅ほど行った先にあるそうだ。終電までは程遠いとはいえ、それでもそんな遠くに住む志津川さんを夜分に呼び出す訳にも行かなかった。
そこで翌日、少しでもいいから時間を作ってくれないかとどうにか頼み込んだ結果が今という訳である。
「夜だって昼だって、呼ばれたらすぐに行っちゃう都合のいい女ですよ?」
「冗談はよしてよ。そんな人だなんて思ってないって……」
そこまで口にして気付く。今のやりとりに妙な既視感を覚えたのはどうしてだろうか。
「……もしかしなくても、鳴海さんと最近話した?」
「最近と言わず、私と彩夏さんはもうすっかり仲良しですよ? 一緒にお風呂に入った仲ですし」
「それは知ってるけど……」
思えば、あの夏の一件から志津川さんと鳴海さんの距離は僕の知らないところで一層縮まっているような気がする。
この前だって一緒に僕の家に遊びに来てたし、一昨日なんか教室で随分仲良さそうに言葉を交わしていた。
「もしかしなくても、僕と鳴海さんのやり取りを聞いたりなんかは……」
「また随分とカッコつけたものですね」
心配せずともバッチリ聞かれているらしい。
「まぁでも、最後のやり取りだけは内緒だって言われちゃいましたけどね」
「最後のやり取り?」
はて、あの時の僕は一体彼女に何を口にしただろうか。
「スケッチブックを立花君が目ざとく見つけたってところです」
「目ざとくって……。ってか鳴海さん、そこまで話したんだ」
そのフレーズを耳にして、僕も少しずつあの日のやり取りを鮮明に思い出せるようになっていた。
鳴海さんは、捨て去るはずの過去をもう一度拾い上げることを選んだ。それがもう報われるはずのない想いだったとしても、それでもと彼女はその想いと共に歩き続ける。
僕はそんな彼女に寄り添うと誓った。
夏空の下で眩しく輝くその笑顔の行く末に、心惹かれてしまったが故のことだった。
「それ以降は内緒だそうです」
「……そうだね、それは内緒だ」
僕がそう口にすると、志津川さんは思わず口元を緩めて見せた。
「……どうして笑うのさ」
「いやぁ、立花君は誰にだってそうなのかと思いまして」
「どういうこと?」
「……可愛い女の子にはみんなそんな態度なのかと」
「そりゃぁ……」
そこまで口にして思わず言葉を濁らせる。いや、続きを言うのは簡単だ。可愛い女の子の力になってやりたいと思うのは当然のことだ。だって僕は青春真っ盛りの思春期男子に違いないのだから。
だけどその下心を真っすぐに口に出すのは志津川さんの前では憚られた。
「それで、そんな優しい立花君は私に一体どんなご用件で?」
僕の意図をなんとなく察したのだろう。それ以上を追求しない志津川さんの優しさに甘えて、僕は先日の佳穂ちゃんとの一件を志津川さんへと話すことにした。
「佳穂ちゃんから新しいお願いを受けたんだ」
「それは「依頼」ですか?」
「そう……なると思う」
彼女の口調からして、あれはお願いというよりどちらかと言えばボランティア部への正式な依頼なんだろう。
「ならやることは決まってるのでは?」
「受けるか、受けないかってこと?」
「ええ」
相変わらず志津川さんはズルい。僕が断れる訳が無いと分かっていながらそんな風に聞いてくる。
「受けないって選択肢は無かったんだ」
「ふふっ、でしょうね」
そして僕がこう答えることも彼女はよく知っていた。
「という事は立花君が気にしているのはその依頼内容という事ですね?」
「話が早くて助かるよ」
「ちなみにどんな内容かお尋ねしても?」
「あぁ、佳穂ちゃんが僕へと持ち込んだ依頼は――」
『わたしの友人の、最高のお別れを演出して欲しいのです!』。何のことやらさっぱりなこの依頼内容を聞いて、果たして志津川さんはどんな表情をするのだろう。
「……ですか」
「うん、よくわかんないよね」
「ちなみにそのご友人というのは?」
「
その名前を口にした瞬間、志津川さんの表情に驚きの色が浮かぶのが分かった。
「もしかして……志津川さん、この名前に心当たりがあるの?」
「え、あ、えっと、もしかしてブロンドの綺麗な髪が特徴の可愛らしい女の子ですか?」
ご明察。だけどいかに赤凪さんが有名人とはいえ、いったい志津川さんはどこで彼女のことを知ったのだろう。
「先日私が依頼の同行をお断りしたことは覚えていらっしゃいますか?」
「仁科君と粟瀬さんのデートの件?」
「はい、そうです」
夏休みが終わる前の出来事だ。おかげで久しぶりに我が妹と二人で出かけるなんてレアな現場が出来上がってしまった訳なんだけど。
「ちなみに私がお断りした理由を覚えていたりは……」
「そりゃ仁科君と粟瀬さんのデートを見続けるのが嫌とか」
「それは本音です。建前の理由がございましたよね?」
いや、普通掘り下げるなら逆だと思うけど。でも確かあの時志津川さんは――
「もしかしなくても、コンサート?」
「正解です」
「確かお父さんの伝手だって……」
「ええ、その時の出演者こそ赤凪さんだったのですよ」
世間は広いようで狭い。そう痛感させられたばかりだというのに、ここに来てまたその狭さを僕は思い知らされている。
「それにしても最高のお別れですか……」
「何か引っかかることでも?」
「あぁ、実は彼女、中学を卒業したら本格的に声楽を学ぶために東京の学校へと進学をするそうなんですよ」
「へぇ、これまた僕には遠い世界の話だ」
才能ある人間がその才をさらに高めるために道を選ぶというのはよく耳にする話だ。まぁ、てんで普通の高校生である僕にはその道を選ぶ機会すらやってくるとは到底思えないけど。
「しかし今のお話を聞くに一つ疑問が」
「ん、どういうこと?」
「時期尚早なのでは、というお話です。今は9月。卒業までにはまだ半年ほど時間があります。早く考えるに越したことはありませんが、それにしても早いような気がするのです」
確かに、志津川さんが口にした事情を加味すると少々この依頼は違和感がある。
「それにもう一つ気になることがあるのです」
「気になること?」
「佳穂ちゃんは確かに言ったのですよね、私の友人の、と」
僕が依頼内容を間違えるはずが無い。確かに一言一句、違いなく佳穂ちゃんはそう口にしたはずだ。
「なら普通ならこう口にするはずではありませんか、私の友人との、と」
「あ……」
そこで僕も志津川さんが何を言いたいのか察した。彼女の依頼を聞いた時、僕はこう思ったはずだ。お別れをするのは佳穂ちゃんと赤凪さんの二人であると。
「赤凪さんが別れるのは佳穂ちゃんじゃない……?」
「そういう事です」
そうなると新しい疑問が湧いてくる。
「じゃあその相手って誰?」
「……気になるなら簡単な方法がありますよ」
僕の問いかけに、しかし志津川さんはあっさりとそう言い切った。
「本人に聞けばいいのですっ!」
そう言って笑顔を浮かべる志津川さんの手元には、赤凪さんの名前が表示されたスマートフォンが握られていたのだった。
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