第73話 徒花に覚悟を灯して
その言葉に、僕は一体何と答えればいいんだろう。
無限にも思えるその時間も、少しずつ翳り往く太陽の光がいつか終わりがやってくることを告げていた。
「佳穂ちゃんのお願い……?」
秋口の夜の訪れは未だ遠く、公園内に並ぶ樹木の影は大きく地面に背を伸ばしていた。
日中はまだ暑くとも夕方となれば少し肌寒い。半袖じゃちょっとだけ不似合いなその気温のせいか、少しずつ周囲から人の気配は消えていっていた。
「はい、お願いです」
大通りを走る車の音も、僕らの周りを囲うように生える木々のせいでどこか遠くの音に感じられる。静寂にほど近い静けさが包むその空間に、佳穂ちゃんは何かを確かめるように少しずつ言葉を落とし続ける。
「これはわたしの友人のお話なのですが……」
「友人というと、さっき会話に出てきた?」
通称、青ヶ峰のカナリア。
先ほどの話を踏まえるに、間違いなくその青ヶ峰のカナリアこと赤凪さんが佳穂ちゃんが口にする友人にあたるのだろう。
しかしなぜ、ここで赤凪さんの話が出てくるのだろう。
「イマイチ要領を得ないって顔をしてますね」
「そりゃそうだよ。佳穂ちゃん自身のお願いならまだしも、恐らく佳穂ちゃんのお願いってのはその友人……赤凪さんに関わることなんだろう?」
「名前、知ってたんですね」
「僕が名乗ったときに一緒にね」
そう言うと佳穂ちゃんは小さく「なるほど」と言葉を零した。
「てっきり真理ちゃんのことを初めから知ってるものだと」
「生憎と僕は知らなかったよ。でも、有名人なんでしょう?」
「それは……まぁ」
そう答える佳穂ちゃんの表情はイマイチ優れない。まるで赤凪さんが有名であることを快く思っていないようにも見える。
「どうかした?」
「い、いえ……その……」
口ごもる佳穂ちゃんを、だけど僕は一切急かすことなく待ち続けた。
心の内を言葉にするのは本当に難しい。恋心は当然のこと、それは血の繋がった親類や心の友と仰ぐ存在に抱く感情だってそうだ。
複雑な想いを上手く言葉にしていくことは、困難な作業であるとともに覚悟を伴う。
それを僕はよく知っていた。
「いつまでも待つよ」
僕の吐いた言葉に、佳穂ちゃんが小さく息を呑むのが分かった。
「ご、ごめんなさい……っ、自分から声をかけておいて、こういう時うまく話せなくて……」
「あぁいや、別に気にしないで。でも一つだけ佳穂ちゃんに伝えるとすれば――」
佳穂ちゃんの視線が僕をしっかりととらえているのが分かった。それを確認すると同時に、僕はこの夏の出来事を一つずつ脳内で振り返り始めた。
志津川さんの事や鳴海さんの事。それ以外にもたくさんの人たちの想いに触れた夏。これから様々な想いに出会っていく少女に、僕にだって残せる言葉がきっとあった。
「僕は桑倉学園ボランティア部二年、
彼女の綺麗な瞳が、きょとんと疑問の色を浮かべるのが分かった。
「い、いったい今更なぜ自己紹介なのでしょう?」
「……君が困ってるように見えたからさ」
彼女は言った。「またわたしのお願いを聞いてくれますか?」と。困っていない人間がそんな言葉を他人に投げかける訳が無い。
「僕は困ってる人の力になりたいんだ。この世界には悩み、苦しみ、それでも前を進み続けたい人が大勢いる。僕はそんな人達の歩いていく足元を照らせる小さな光になりたいんだよ」
「足元を照らせる……」
「僕は見ての通り目の前の景色全てを明るく照らせるような力は生憎と持ち合わせてない。でも、そんな僕でも一歩踏み出すその先ぐらいは明るくできる力はあると思ってるよ」
随分とカッコつけた言葉だったと思う。志津川さんが今の言葉を耳にしたなら、果たしてどんな風に僕をからかってくるのだろう。
だけど――きっと彼女は最後にこう言ってくれるはずだ。「それでも私は、立花君を信頼しています」と。
僕はその信頼を決して裏切っちゃいけない。それが、志津川さんの背中を押した人間としての、僕なりの彼女への覚悟だと考えるからだ。
「……やっぱり、わたしは間違ってなかった」
ぽつり、僕の言葉に耳を傾け続けてくれた佳穂ちゃんはまるで何かを受け入れるようにそう呟いた。
「わたしは間違ってなかった……。わたしは信じていいんだっ」
今にも崩れそうなその声は、だけど確かな音となって僕の鼓膜を震わせる。
「わたしは……この怖さと、向き合ってもいいんだ……っ」
何のことか分からなかった。だけど、それでも、今僕の目の前には確かに一人の女の子の小さな決意が転がっていた。
「お願いです、立花さん」
先ほどの弱気な声色は何処へ行ったのやら。今度の僕を呼ぶその声には、確かな覚悟が眠っていた。
「まかせて」
「わ、わたしなにもまだ言ってませんよ!?」
「もう突拍子もない相談事を持ち込まれるのも慣れたんだよ」
駅前のごみ拾いに児童施設の手伝い、それに近所のお年寄りの畑の手伝いとベビーシッターにどぶ池の掃除。更にはそこに浮気調査。この前なんかはデートの尾行なんてのもお願いされたっけな。
美少女のお願い一つ、今更増えたところでどうってことない。
「それならばいいのですけど……」
「それで、改めて佳穂ちゃんのお願いって?」
ただでさえ前回突拍子もないお願いをされたのだ。今回はある程度事前に心構えだって出来る。
「それならば改めて――わたしの友人の、最高のお別れを演出して欲しいのです!」
「すぅー、ふぅ、………………ごめん、ちょっと待って」
いやね、覚悟はありましたよ覚悟は。うん、直前まですっごくカッコつけてましたよ。でもね、でもよ、それでもある程度の限度というものはございまして。
「……考えてみたけど全く理解できない」
「でしょうね」
僕の大概な返事に呆れたのか、佳穂ちゃんは苦笑いを浮かべて笑っていた。
「そう思うならもうちょっと優しさを見せてくれてもいいじゃないか」
「あはは……ちょっとからかってみたくなったので」
相変わらず佳穂ちゃんの笑顔はどこか何とも言えない儚さを纏っていた。だけど、そんな儚さの中にも今は確かに覚悟が小さく灯っている。
自らが求めるものに挑む覚悟。それは、僕の見覚えのある負けヒロインの横顔によく似ていた。
「真理ちゃんには想いを寄せる男の子がいるのですが……」
「最高のお別れって言うのは、もしかして?」
「はい、彼はこの秋に日本を去ってしまいます」
この街を、ならばまだしも日本をとは随分とまたスケールの大きい話だ。
「そんな二人のお別れを良いものにして欲しい、それが佳穂ちゃんの願いなの?」
「はい……。真理ちゃんは自分の本心をうまく表に出すのが苦手なタイプなので……それが恋心ならば余計に……」
佳穂ちゃんの話を聞きながら、僕は先日出会った美少女のことを思い返していた。確かにあの子からは内気そうな印象を受ける。
まぁ、見た目だけの印象を言うのならば佳穂ちゃんも大概だけど。
「……なにか?」
「い、いえっ、なんでもないですっ!」
訝し気にこちらを見つめるその冷たい瞳に、思わず僕の口調も敬語になってしまう。
「……それで、改めてお願いしてもよろしいでしょうか?」
「僕に二言は無いよ」
「ホントですかっ!」
佳穂ちゃんの顔にそっと小さな花が咲いた。
それと同時に僕の心がチクリと痛むのが分かった。その笑顔の裏にはまだ僕の知らない何かがあり続けている。
「立花さん?」
不安げな顔でこちらを覗き込む佳穂ちゃんを心配させないように、僕はただ「なんでもないよ」と曖昧な顔で笑う。
「それじゃあ詳しいことはまた後で」
「はいっ、よろしくお願いいたします」
こんな時、僕は一体どうしていたっけか。
公園で佳穂ちゃんに別れを告げた後、僕はこの心のもやもやの晴らし方を探して、スマホの連絡先を無意識に指でなぞったのだった。
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