第72話 綺麗な花には毒がある

 仁科君による突然の襲来があった日の放課後のこと。


 僕は一人虚しく学校からの帰路に勤しんでいた。


 いや、普段から下校は一人っきりの時の方が多い。昔はよく一緒に帰ってくれていたカズも最近は彼女にべったりだし、志津川さんだって僕とは予定もなく帰るような間柄じゃない。


 ボランティア部はと言えば、最近は特別これだという依頼も受けてはいない。そのためか西園寺部長が今も勝手に占領しているあの教室に足を運ぶことも無くなっていた。


 虚しくなんて表現してはみたものの、僕にとっては普段通りの光景と言う訳だ。


 だからこそ、だろうか。通学路に普段見かけないものが現れると妙に目を奪われがちだ。カッコいいデザインの大型バイクや焼き芋の移動販売、はたまた銀色の未確認飛行物体。


 今日に至っては、まるで「儚さ」を擬人化したような美少女とでもいうべきだろうか。


 滝田駅近くの公園は、僕にとっては自宅までの近道だ。大通りを沿って走ることもできるけど、公園内のサイクリングロードを突っ切ると大幅に時間を短縮できる。


 おまけに緑豊かな公園内を自転車で走ることは気持ちよくもある。


 実益と趣味を兼ねた最高のショートカットと言う訳だ。


「こんにちは、立花さん」


 そんな見慣れた道だからだろうか。その少女は何処までも僕の視線を奪っていった。


 公園のベンチで一人、ぼんやりと空を見上げる彼女。まるで背景と同化してしまうんじゃないかというほどの透明感。


 だけど、くっきりとその輪郭が僕へと問いかけてくる。


「お久しぶりです?」


 自転車のスタンドをおもむろに立てると、僕は何かに引き寄せられるように彼女の隣に腰を下ろした。


「そうだね、会うのはこの前の夏休み以来だ」

「あの時はお邪魔いたしました」

「あぁいや気にしないで。どうせ志津川さんが半ば強引にでも連れてきたんでしょ?」


 そう言うと彼女こと仁科佳穂にしなかほは、曖昧そうに口元に笑みを浮かべた。


「私からお願いしたんです。どうしても……お願いしたいことだったので」


 意外だった。あまりそういうことに積極的に動くタイプだとは思っていなかった。

 だけど、だからこそ彼女にはああするだけの理由があったのだろう。


 その「理由」が、きっと今もどこか僕の心に引っかかり続けている。


「今日はまたどうしてこんなところに?」

「深い理由はないのですが……友人からおかしな話を聞きまして」

「おかしな話?」


 はて、もしかしてこの公園にまつわる都市伝説や噂話が僕の知らぬ間に広まってたりするのだろうか。


「どんな話か聞かせてもらっても?」


 正直かなり気になる。ボランティア部員として情報の収集には余念がないはずの僕が知らない噂話。更にはタダの戯言ならまだしも、こんな美少女にわざわざ足を運ばせているじゃないか。


 いったいどんな話だというのだろうか。


「……ふふっ」


 僕と視線が交差すると、佳穂ちゃんはなぜか表情を綻ばせた。


「な、なにっ!?」

「あ、いやっ、ふふふ……っ、あまりにも立花さんが真剣なお顔をしてらっしゃったので」

「そ、そんなに!?」


 指摘されてようやく気付く。肝心の話が聞きたすぎて思わず顔に力が入ってしまったらしい。


「ええ、そんなに、です」


 そう言って再び佳穂ちゃんは笑い声を漏らす。


 あぁなるほど。確かにこんな顔を普段から見せられてちゃ、仁科君がああなっちゃうのも納得だ。


 綺麗な花には棘があるというが、たおやかに咲く花には更には毒もあるという訳か。


「まぁ、気になるものは気になるよ。ほら、僕ってボランティア部じゃん」

「ボランティア部に関係ありますか、それ?」

「……いや、人助けにはいろんな方法があるからさ」


 まぁ、そりゃそうなるよね。ってか自分で口にしてて余計に分からなくなってくるな。なんなんだ、ボランティア部って。


「でも、くだらないお話ですよ」

「都市伝説や噂話なんてたいていくだらないものだよ」

「……ふふふっ」


 僕の言葉に、しかし佳穂ちゃんはさらに表情を崩す。そんなにおかしなことを言ったつもりはなかったのだけれど。


「な、なんかおかしなこと言ったかな」

「いや、まぁ……続きを聞いたら分かるんじゃないですか?」


 続き、というと話の続きだろうか。


「じゃあ聞かせてもらっても?」


 そう尋ねると、佳穂ちゃんは話の続きを少しずつ語り始める。


「その友人が言うには、この公園でおかしな人に出会ったそうです」

「おかしな人、か」


 都市伝説や噂なんて思ってたけど、もしかしたら不審者やストーカーなんてそっちの類の話だったりするのだろうか。そうなるともう警察にお願いするような案件だ。


「危ない人だったりするのかもね」

「私はそう思いませんけど」


 しかし僕の言葉に、佳穂ちゃんは間髪入れずにそう答えた。


「わたしの友人はちょっと変わったところがあるんですけど、その人は彼女の変わったところをバカにせずに受け入れてくれたそうです」

「へぇ、それだけ聞くと良い人っぽく思えるけど」

「ね。初対面の女の子にそんな風に振舞えるなんて、日頃から女の子には慣れてる方なんでしょうか?」


 そう口にする佳穂ちゃんは、何か言いたげな視線を僕におもむろに向けてくる。


「どうなんだろうね……」


 そんな視線から逃れるように曖昧な返事を答えるが、当の本人は逃してくれる気は無いらしい。


 というか、僕にはなんとなくこの話のオチが少しずつ見えてきた。


「その人は、帰り際に友人にこう名乗ったそうですよ」


 とどめとばかりに佳穂ちゃんは自分に近い方の僕の手を取ると、今にも互いの唇が触れんばかりの距離でこう呟く。


立花一樹たちばないつき、桑倉学園の二年生、と」

「やっぱりそういう……」


 この世界は本当に狭い。そう痛感させる出来事は、ときおり予告もなく目の前に現れる。


 僕の場合はそれが今だ。


 あの日おもむろに言葉を交わしたペンギン少女は、世界の思わぬところで思わぬ人と繋がっていた。


「ねぇ……立花さん」


 ふと、佳穂ちゃんは首を傾げながら僕の顔を覗き込んでくる。西日差し込む彼女の横顔は、いつの間にか随分と大人びて見えた。


 夕日がそうさせるのか、それとも他の何かがそうさせるのか。


 とかく、数刻前とは全く違うその雰囲気に僕は思わず小さく息を呑まざるを得ない。


「ど、どうかしたかな?」

「もし、そのおかしな人がまた公園に現れたとしたら――」


 たおやかに咲く花には毒がある。


「その時は、またわたしのお願いを聞いてくれますかね?」


 少しずつ僕を蝕んでいくその毒は、もしかしなくてもその花から決して目を離すことを許さない、魔性の毒なのかもしれない。

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