第71話 イケメン襲来

 それは週明けの月曜日のことだった。


 変わり映えのしないホームルームと午前中の授業を終えて、昼食をどうしようかとカズと頭を悩ませているその時だった。


立花たちばなはいるかぁ!」


 ガラの悪い声と共に誰かが2-Bの教室へとやってくる。


「ぼ、僕っ!?」


 お生憎と我がクラスに苗字が立花の人間は僕しかいない。必然、その声が探しているのは僕自身ということになるのだが、残念ながらというべきか幸いというべきか、僕にはガラの悪い人間に絡まれる理由もきっかけも一切心当たりが無い。


 というか昼休み早々他所のクラスに乗り込んでくる奴なんていったいどこのクラスの誰なんだ。


 幸い近くにはカズもいるし、拉致されてボコボコにされるなんてことはないはずだと思うけど……。


「お前、呼ばれてるぞ」

「呼ばれてるって、いったい誰に……」


 僕のことをわざわざこんな風に探しに来る人間に心当たりが無い。


 カズの背中からちらとその人物の顔を拝んでやろうと覗き見ると、恐らく教室中を見回していたのだろうその人物とピタリと目線が重なった。


「居たな立花ぁ……話、聞かせてもらおうかぁ」


 ゆらりゆらりと体全体から怒りを溢れさせるように歩いてくるその人に、思わず僕の足は竦んだ。


 というか本当に心当たりが無い。どうして彼はそんなに僕を目の敵のようにしてくるのだろう。


「一樹、お前先に謝っといたほうが良いぞ」

「いや、僕には本当に心当たりが無いんだって!」


 僕の言葉が聞こえたのだろうか。ピタリと足を止めたその人物は、しかし直後勢いよく僕に迫ると強引に首元へと手を伸ばしてくる。


「痛ぇ!」


 が、その両手はついぞ僕の襟首には届くことなく、直後何食わぬ顔でその人物を見つめる僕の親友の手によって中空で虚しく叩き落された。


「あのなぁ、事情は知らんが他所のクラスで大声を出すな、仁科にしな

「わ、悪かった、神山」


 カズの一閃で冷静さを取り戻したのだろうか。


 件の人物こと仁科君は、カズへとひとつ申し訳なさそうに頭を下げると僕に視線を寄こして見せた。


「ご、ごめん、本当に事情がよく分からないんだけど……どうして僕は週明けの真昼間から顔の良い男に迫られてるわけ?」

「立花、言い方な?」


 仁科君はすっかりと普段通りの姿を取り戻したようで、僕の隣の席を引くとおもむろにそこに腰を下ろした。


 カズは相変わらず若干の警戒を見せているけれど、僕としては仁科君がどうしてあんな普段の温厚さを見失うような事態になっているかの方が心配だ。


「で、いったい何があったの? あんな仁科君、僕見たことないんだけど」


 そう言うと仁科君はどこか躊躇いがちに口を開いた。


「佳穂がな……」

「佳穂?」


 彼の口から出てきた名前に、隣のカズが疑問の声を上げた。


「仁科君の妹のことだよ」

「やっぱり知ってたのか……」


 なるほど、どうやら仁科君は僕と佳穂ちゃんが顔見知りだという事を事前にどこかで知ったらしい。


「佳穂がお前のことを聞いてきたんだよ。立花さんって一体どんな人ですかって」


 あー、まぁ、気になるのは当然だろう。依頼人として彼女は僕と関わった訳だけど、そもそものきっかけは志津川さんと鳴海さんが僕を彼女に紹介したことだ。


 学年も違えば学校すら違う。そんな僕のことを佳穂ちゃんがそもそも知っている訳が無い。


 僕と仁科君が一年生の時に同じクラスだったことは初対面の時に話したはずだ。そうなると当然、僕のことを知りたい人間としては親しい人間に僕のことを尋ねたくなるのも当然だろう。


「俺が大事に大事にしてきたはずの佳穂が……まさか他の男に興味を持つ日が来るとは……。しかもそれがよりによって立花とは……俺は、兄として佳穂にどうしてやればいいんだ」


 教室に入った時の勢いは何処へ行ったのやら。


 彼は絶望に打ちひしがれたかのような声を上げると、そのまま机の上に突っ伏してしまった。


「いや、僕こそどうすればいいのか困ってるんだけど」

「いや、まぁ、気持ちはわかるぞ、仁科」


 そんな仁科君に声をかけたのはしばらく黙って話に耳を傾けていた我が親友だった。


「分かってくれるか、神山……」

「あぁ、お前の話を聞くと、さっきの剣幕も理解出来る」

「そ、そうか……。もしかして神山にも妹が?」


 カズには妹はいないはずだ。確か今年大学生になる美人のお姉さんはいたと思うけど。


「妹はいないが姉はいる。もしその姉から一樹の事を突然聞かれたら、俺もきっとこんな風になるのかも、とふと思ってな」


 お前ら二人して僕を何だと思ってるんだ。


「たった一人の可愛い妹なんだ……。それがまたどうして、よりによって立花なんだ……」


 おい、どんな言い草だよ。いや、確かに僕は仁科君みたいにカッコよくも無いし頭も良くない。更にカズみたいにコミュ力があるわけでもない。


 よく言えば人並みに優れているともいえるが、悪い言い方をすれば平々凡々、ザ・平均値のような男だ。


 もし仮に雫梨が僕みたいな男に興味を持ったとするならば――いや、待てよ、仁科君の気持ちが痛いほど理解できるぞ?


「ちょ、ちょっと待って、そもそも何を勘違いしてるのか知らないけどさ、佳穂ちゃんはたまたま僕の元に依頼にやってきただけの関係であって、仁科君が心配するようなことは何もないって」

「い、依頼……? そんなっ、実の兄には相談できないのに、立花には大丈夫だってのか!?」


 うわ、めんどくせぇなこいつ。


 その依頼が仁科君絡みだからこんなことになってるんだろうが。


「花のように可憐な佳穂が桑倉の汚れ仕事請負人とも言われているボランティア部に触れるなんて……。いや、考えろ。普段は温厚で誰にでも優しい佳穂が、闇落ちして悪くなるのもありなんじゃないだろうか。どう思う、立花」

「いや、僕に聞かれても」


 というか汚れ仕事請負人とか言われてんだ、僕ら。まぁ、浮気調査もどぶ池の掃除も同じ汚れ仕事には違いないんだけどさ。

 

「例えば夕食のコロッケが俺だけ一つ少なくて、どうしたんだと佳穂に尋ねるじゃないか。そしたら佳穂が、あら兄さん、妹の相談事にも乗れないような出来損ないの兄が、満足にコロッケを食べられるとお思いで? なんて蔑むような目線で俺を見るのは全く持ってアリ寄りのアリだな。他にも――」

「ちょっと待って、その話続くの!?」


 知りたくなかったなぁ、仁科君がこんなに歪んだシスコンだったなんて。


 まぁ、佳穂ちゃんは可愛いし、そんな妹に変な虫がついて欲しくないって気持ちもわからなくはない。だけどその当人は真っ当に多分兄を心配している。なんというか、ままならないなぁ。


「と、とにかくっ立花っ! 妹にあまりヘンなことをするなよっ!」

「だから元からやってないって」

「だとしても、だっ! 頼むぞっ! 本当に頼むぞっ!」


 その後も数度僕へと力強く懇願すると、そのまま仁科君は自らの教室へと戻っていった。


「なんつーか、ちょっと親近感湧いたわ」


 彼の背中を見送るカズが、ぽつりとそんな言葉を呟いた。


「いや、なんでだよ」

「もっと完璧超人だと思ってたからさ。思ったより人間味ある奴なんだなって。まぁ、その部分が少々過剰だけどさ」


 いつの間にか教室にはいつもと変わらぬ平穏が戻っていた。


 強いて言えば昼休み早々に粟瀬さんに拉致られていった志津川さんが居ないことぐらいだろうか。というか佳穂ちゃんはどうして僕なんかのことを仁科君に尋ねたのだろう。まぁ、偶々興味があったぐらいで深い意味なんてなかったに違いない。


 しかし人生というのは本当に思った通りには進まないものだ。


 依頼も無事に終えたし、もう二度と彼女と関わることはないのだろう。そう思っていたのも束の間、僕はその日の放課後、再び仁科佳穂にしなかほに出会うことになるのだった。

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