第69話 街角のセイレーン
「お見送りありがとうございます。お帰りの際はお気をつけて!」
「ありがとう、
「はいっ!」
無事にアイスを食べ終えた僕らは、その後他愛ない雑談をちょっとだけするとすぐに解散の流れとなった。
滝田駅の改札まで志津川さんを見送ると、僕はすぐに駅付設の駐輪場へと向かう。
夏の太陽は長いとはいえ、少しずつ季節は秋へと向かっていっている。今までよりちょっとだけ早く地平線の向こうに消えてしまう太陽に負けないように僕も自宅への道を急ぐことにした。
事が起きたのは、滝田駅近くの公園を近道がてらに抜けようとしたその時のことだった。
「……歌?」
公園で遊ぶ小さい子たちの楽しげな声に混じって、どこか遠くから綺麗な声が僕の耳に飛び込んでくる。
それが僕には、誰かが優し気に口ずさむ歌のように聞こえた。
「へぇ、もの好きもいるもんだな」
普段からカラオケなんてとんと縁が無い僕にとっては、こういった公共の場で歌を歌うなんて到底考えられるようなことじゃない。
その時の僕は、ただ公園のどこかに変わった人がいるんだなぁ、なんて気楽な気持ちでただ自転車を走らせていただけだった。
だからだろうか、その光景が目に入った瞬間、何かが僕の気楽さを思い切りぶち壊しにかかったのだ。
一人の少女がベンチに座っていた。
ふわふわと流れるウェーブがかった髪。日本人とは到底思えないその淡いブロンドの髪色に、思わず僕の脳内が咄嗟に自転車のブレーキを握らせた。
見覚えのある制服に身を包んだ彼女は、まるで童話の世界から飛び出してきた人形のようにも思えてしまう。
そして何よりも特徴的だったのが――
「……ペンギンがいる」
その少女が、腕に特大のペンギンを抱いていたことだった。
「るーららー、るらーららーらー」
綺麗な声だった。
先ほどから僕の耳に届いていた歌は、そんな絵本の世界の住人のような彼女の口から発せられていた。
「えっ、あっ……」
瞬間、彼女の口から聴こえてきた歌は鳴り止み、その少女は色白の頬を真っ赤に染め上げた。
視線が交差する。
自転車のサドルの上から視線を送る僕と、そんな僕に相対するベンチの上の美少女。気まずさが僕と彼女の間を包んだ。
「えっ、あっ、ご、ごめんっ、邪魔しちゃってっ!」
突然のことにテンパった僕は、咄嗟にその場を逃げ出すように自転車のペダルに足をかけた。
なんというか、気まずい。それと同時に脳内で鳴りだす警鐘。
楽しそうに歌を歌う美少女と目が合うなんて嫌な予感しかしないのだ。この前なんか雫梨に会いに来た鳴海さんが僕が家にいるのを知らずにリビングで心地よさそうに鼻歌を歌ってた。
あの時の鳴海さんの冷たい目と言ったら……。
というかなんで僕じゃなくて雫梨にだけ遊びに来たことを伝えてるんだ。というかあの二人どこまで仲良くなってるんだ。
そのせいでそれを知らずにリビングの扉を開けた僕が酷い目に合ったんだけどさ。
まぁ、おかげで珍しいものが見られたのだとでも思うことにしよう。顔を真っ赤に染めながら僕の鳩尾にグーパンをかましてくる鳴海さんはとてつもなく可愛かった。
というか普通に考えてグーはダメだろグーは。
とかくそんな事が合った手前、この状況では自分に不幸が降り注ぎかねないと脳が咄嗟に判断したのだ。
「ま、待って、私別に変な人なんかじゃっ」
慌てて少女は立ち上がり何か言いたげに追いかけてくる。だめだ、いかに彼女が絵本の中から飛び出てきたかのような美少女でも、僕はそう簡単に足を止める訳には行かない。
考えるんだ
ペダルに足をかけて思い切り踏み込む。このまま自宅まで一直線に。しかしそんな僕の意思も――
「ふにゃっ……っ」
直後に聞こえてきた、これまたなんとも情けない呻き声であえなく砕け散っていった。
「だ、大丈夫……?」
声の元へと振り向けば、件の少女が何とも情けない格好で地面に横たわっていた。咄嗟に立ち上がったせいで、足をもつれさせて転んでしまったらしい。
「ご、ご心配なく……」
そう言われても心配なものは心配だ。僕はすぐさま自転車を脇によけると、少女へとすぐに手を貸した。
「……ありがとうございます」
それからしばらくの事。僕と少女は公園のベンチに並んでのんびりと暮れゆく夕日を眺めていた。
幸い彼女に目立つ怪我は見受けられなかった。しかしこのまま放置して去っていくのもなんだか罪悪感が湧いてしまったので、彼女が無事に歩けるようになるまでの間、こうやって傍で時間を潰す羽目となったのである。
「えっと、その制服……青ヶ峰中の子だよね?」
「分かります?」
彼女の着ている制服は僕の見知ったものだった。
「まぁ、詳しいからね」
「……もしかして、そういう趣味の方で?」
そう口にした瞬間、少女の訝し気な視線が僕へと突き刺さる。いや、まぁ今のは僕の言い方も悪かった。
確かにボランティア部員という性質上、市内の学校の制服には詳しい方ではあると思う。しかし僕が普段見慣れないはずの制服をきっちりと判断できたのは、もう一つ確かな理由があるのだ。
「妹が以前通ってたんだよ」
「妹さんが?」
僕の妹である
当然今目の前の少女が着ている制服も、僕が一年前まで毎朝見かけていたものだった。
「なるほど、妹さんは私の先輩さんなんですね……」
「そうだよ」
現実離れしたその容姿に最初は飲まれてしまいそうになっていた僕だったが、いざ実際にこうして言葉を交わしてみると、彼女は随分と気さくで可愛らしい少女だった。
「いつもここで歌ってるの?」
「え、あ、たまに……です。普段は学校近くの公園で良く歌ってます」
「へぇ」
照れくさそうに笑う彼女を見ていると、ふとその脇にちょこんとペンギンのぬいぐるみが座っているのが眼に入る。僕が彼女を見かけた時に、その容姿と同じぐらいに目を引かれてしまった存在だ。
「そのペンギンは……?」
「え、あ、、えっと……中学三年生にもなってぬいぐるみなんて、やっぱりヘンでしょうか?」
「あーいや、その、好きなんでしょう?」
「好き、というか、安心できるんです、この子がいると」
そう言うと彼女はそっとペンギンを再び胸に抱きかかえる。
「ならいいんじゃない? 好きなものだったり安心できるものだったり、誰だってみんな一つはそういうものがあると思うからさ」
それがきっと僕にとっては「負けヒロイン」だ。簡単に理解されるようなものじゃなくても、その人にとってはかけがえのないもの。
それが目の前の少女にとってはペンギンのぬいぐるみというだけの話である。
「お優しいんですね」
「僕自身も変わってるつもりだからさ」
「……それ、遠回しに私を変人だと言ってます?」
「さあ、どうだろう」
「……ズルい人です」
自然と二人の間で笑い声が零れる。
「っと、そろそろ時間だ」
公園に置かれている時計がそろそろ6時を回ろうとするところを示していた。今日は珍しく雫梨が夕食を作ると張り切っていたのを覚えている。早く帰らないと鳴海さんのグーパン以上のものが僕に降り注ぎかねない。
「一人で帰れるかい?」
このまま放置してしまうのは若干忍びなかったが、これ以上僕が付きまとうのも逆に彼女にとっては迷惑だろう。
「はい、大丈夫です、改めてご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんて思ってないさ。それじゃ」
美少女とデートをした後にまさか別の美少女に出会うことになろうとは。人生は本当によく分からない。
まぁ、これも一期一会の出会いだろう。
そう思って僕がベンチを立とうとしたその時だった。ふと少女が僕の指先を申し訳なさそうに掴んでくるのが分かった。
「お、お名前を……」
視線でどうしたのかと尋ねると、少女は不安げな表情でぽつりとそう答える。
「え、あ、あぁ、僕は
「立花さん……」
「そうだ、よかったら君も名前を教えて欲しいな」
名前を聞いたのはある種の社交辞令のようなものだった。決してもう会うことのない少女の名前。そんなものを知ったところで一体何の意味があるのか。
しかし――
「私は青ヶ峰高校付属中学三年生、
この少女との出会いが、僕の人生にまた一つ小さな一石を投じてくることをこの時の僕はまだ知らなかった。
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