第67話 夏の終わりと確かな一歩

 夏休みも明けて、遂に僕らの学校でも二学期が始まった。


 それにしても本当にいろいろとあった夏休みだったと思う。去年も西園寺部長に振り回されてそこそこ充実はしていた方だったけれど、今年の夏はそれとは比べ物にならない。


 特に僕の中で変わったことと言えば――


「おはようございます、立花君」

「え、あ、あぁ、おはよう、志津川さん」


 教室でこうして志津川さんに声をかけられることだろうか。


「お前、なんかこの夏で垢抜けたか?」


 時刻は午後八時を少し過ぎたところ。


 教室の空席は順調に埋まり始め、夏休み前の騒がしい光景がそこには戻ってきていた。そして僕はと言えば相変わらず悪友の神山和彦かみやまかずひこ、通称カズとくだらない話を楽しんでおり、今もこいつの夏休みの惚気話を心地よく聞き流しているところだった。


「そ、そんなことはないと思うけど……」


 そんな折に教室へやって来た志津川さんがさらりと僕に挨拶をするもんだから、机の向こうのカズも僅かに困惑した表情を浮かべている。


 我が2-Bのアイドルであり学園の天使。そう謳われる志津川さんが、僕なんかに声をかけてきたもんだからカズの困惑もごもっともだ。


 しかしそんな僕が、所謂鉄板ラブコメの主人公とちょっと違うところがあるといえば――


「ボランティア部絡みでなんかあったのか?」


 僕がボランティア部員というこの学園でも屈指の異端組織の構成員であることだろうか。


「……仮にあったとしても、はいそうですとは言えないよ」

「だよなぁ……」


 依頼者のプライベートは絶対だ。


 これは常日頃から西園寺部長から口酸っぱく言われている事であり、先代部長がボランティア部のルールとして定めた鉄則でもある。


 当然なぜそれが必要なのかもはっきりと理解しているし、今後とも守るべきルールとしてこの胸にしっかり刻まれている。


「まぁでも、憶測は自由だろう?」

「それはそうだけど……、ほどほどにね」


 これで志津川さんの良からぬ噂が流れて見ろ。僕はその噂をボランティア部と僕の全力をかけてこの世から根絶して見せるだろう。


「そう険しい顔すんなって。って、もう時間か」


 カズの言葉につられて教室前方へと目を向けると、ちょうどそこには扉から教室へと入ってくる我が2-Bの担任教師の姿があった。


 それからすぐにホームルームと始業式、その後のちょっとした連絡事項が終わり、時間はすぐに放課後を迎えた。


 まぁ、放課後と言っても始業式の日の放課後は早い。どれぐらい早いかというと――


「一樹、昼飯は?」

「ん、あぁ……どうしよっかな」


 こんな具合にカズと昼ごはんの心配をするほどである。


「それじゃあまたファーバーで良いか?」

「あそこ混んでない?」


 カズが言うファーバーとはファニーバーガーというファストフード店のことだ。正式名称ファニーバーガー滝田駅前店。全国チェーンのファーストフード店で、滝田駅の西口から徒歩30秒という好立地。学園からもほど近く、おまけに駐輪スペースも広く確保されているため我が桑倉学園の生徒の強い味方となっている。


「混んでって……あぁそうか、今日はどこも始業式か」

「そりゃそうでしょ。なんたって9月の1日なんだから」


 この調子だと行きつけのファミレスもこんな感じだろう。あそこは近くに桑倉とは別の高校もあるし。


「どーすっかなぁ」


 カズがスマホ片手に悩みだしたその時だった。


 ふと教室前方でちらちらと中の様子を伺う美少女の姿が目に留まる。


「ん、あれって……」

「鳴海さん、だっけ」


 僕の見ている先に気づいたのか、カズの視線も自然とそちらに引き寄せられていく。


「うん、鳴海彩夏なるみさやかさん。隣の2-Aの生徒だよ」

「職業柄詳しいな」

「ボランティア部を職業と思ってるつもりはないけど……まぁ、詳しいのはそういう理由かな」

「お前がきっちりそういう時否定しないからボランティア部の悪評が広まっていくんだぞ」

「でも、事実だし……」


 そう言うとカズは僕の肩を小さく小突く。


「馬鹿正直なだけじゃ苦労するだけだぞ」

「ははは……忠告感謝するよ」


 それよりもだ、鳴海さんはどうしてB組に顔を出しているんだろう。


「あ、立花君」


 不安げにきょろきょろと教室内を見回していた鳴海さんだったが、僕の姿を見つけるとその顔に花を咲かせたように明るい表情を浮かべた。


 とことことこちらに歩み寄ってくる鳴海さん。なんというか、どう見ても可愛らしい小動物だ。


「一樹、お前……」


 隣のカズが何かを言いたげだったが、そちらには聞く耳は持たないことにした。


「やぁ、鳴海さん」

「こんにちは、立花君」


 教室にはまだ大勢のクラスメイトが残っている。我が桑倉学園だけでなく、市内の別の高校にまでその名を馳せる志津川さんだが、鳴海さんだって彼女に負けず劣らずの美少女である。


 クラスの男どもがちらちらとこちらに視線を送ってくるのが先ほどからなんともむず痒い。


「えっと、お友達とお話し中だったかな?」

「あーいや、こいつのことは気にしなくていいよ」

「酷い言い草だな……。どうも、神山です」

「な、鳴海です」


 おずおず、といった様子で鳴海さんはカズへと挨拶を返す。


「それで、どうしたのさ急に」

「あーいや、急ぎって訳じゃないんだけど……」


 そう言うと鳴海さんは何かを言いたげな顔でこちらを見つめてくる。


「何か言いにくい事?」

「いや、そうじゃないんだけど……」


 不意に鳴海さんがぐいとこちらに身を寄せてくる。


「あの、立花君……」

「は、はい……」


 教室内に妙な緊張感が走った。


 さっきまでこちらに視線を寄こしていた男どもだけでなく、なぜかガールズトークに花を咲かせていたはずの女の子たちまでこちらを見つめてくる始末である。


「きょ、今日もまた、家に遊びに行っていい?」


 瞬間、我が二年B組の教室は、まるで水をぶっかけたかのような静寂に包まれた。


「な、なななんですとー!」


 開口一番、そんな静寂を切り裂いたのは教室に響く志津川さんの声だった。


「私の知らない間にっ! わ、私もまた行きたいです!」


 先ほどまで会話をしていたはずの友人たちを置き去りにして、志津川さんがそそくさとこちらに歩み寄ってくる。


「一樹、お前……夏の間に何があったんだ……」


 隣を見やれば、カズが唖然とした表情でこちらを見つめている。


 いや、僕の方こそ何があったか教えて欲しいんだけど。


「や、ていうか別に誤解だからねっ! 家に来るとかそんな変な意味じゃなくてねっ!」


 気付けば教室内にはまた先ほどのような騒がしさが戻っていた。まぁ、その騒がしさの原因が、今目の前で繰り広げられた出来事なのは明らかなのだけれど。


「いや、何も言わなくていいんだ……。お前は俺以外の奴と、キラキラ輝く青春を楽しんでくれ」


 そう言い残しながらカズはその場を後にする。だが僕は知っている。奴の去り際、カズのスマホにはあいつの彼女の連絡先が映し出されていることを。


 あいつ、僕が厄介に巻き込まれたと知ると速攻彼女に乗り換えやがったな。


「ねぇ、私も行っていいですよね!?」


 鳴海さんを押しのけるようにしてこちらに迫る志津川さん。というかもう無茶苦茶だ。周囲のクラスメイトの視線が痛すぎる。


「わ、分かったから、一旦落ち着ついて貰ったほうが嬉しいかも……」


 僕は何とか二人をなだめると、周囲の様子をちらと伺う。


 刺さる視線、聞こえるひそひそ声。うん、分かるよ。その気持ちはよく分かる。男共の僕を見る目の意味はよく分かる。僕だってなんで夏休みが明けたぐらいでこんなことになってるのかよく分からないんだ。


「それは了承という意味でよろしいですか!? 雫梨ちゃんにも会いたいですし、早速お邪魔しちゃいますねっ!」

「私も……」


 どうやらこの夏はちょっとだけ、少女たちを大胆に成長させたらしい。


「あぁ、もう好きにしてくれ」


 僕の呟きもどこ吹く風か、先導する美少女に引き連れられながら、まるで市中引き回しに合う罪人のごとく僕は学園を後にするのだった。

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