第66話 親愛なる妹曰く、
「んー、久々になんというか、いろんな意味で充実した一日を過ごした気がするっ!」
彼女曰く同学年でも抜群のスタイルを存分に伸ばしながら、前を行く我が妹は楽し気にひとつ声を上げた。
「充実だったかなぁ」
現在時刻は14時を少し回ったところ。
レストランで昼食を食べ、その後滝水名物の大型水槽を堪能した僕らは、その後すぐに水族館を後にして自宅への帰路についていた。
「だってイルカなんて見たの幼稚園以来だよっ!? それに一緒に回ったのが実の兄って……。これを充実と呼ばずになんと呼ぶのかっ」
前半は同意だけれど、後半はどうなんだろう。
「そこはいろんな意味に含まれてるからご愛敬だよ」
「そ、そうなんだ……」
いったい何が含まれているのか。興味はあるけれど、踏み込んだら踏み込んだで怪我をしそうなので湧き上がった好奇心を僕はぐっとこらえた。
「それにしても――あれで報告は大丈夫なの?」
雫梨が言っていることはきっと仁科君と粟瀬さんのデートのことだろう。
『私の兄の初デートを見守って欲しいのですっ!』
我がボランティア部に唐突に持ち込まれたこの依頼。依頼主はただ見守って経緯を報告してくれればいいと口にはしていたけれど、本当にただそれだけなんだろうか。
いや、もしかしたら彼女が実は重度のブラコンで、愛する兄の一挙手一投足を把握しておきたい、というだけの可能性もある。
誰かの行動を報告して欲しいという依頼は別に今までだって無かった訳じゃない。まぁ、そのほとんどが浮気調査という実態だったのは言うまでもないのだけれど。
だけど今回に限っては血の繋がった妹からの依頼だ。それがなんというか、妙に僕の心に引っかかっている。
「まぁ、大丈夫なんじゃない?」
いったい何に引っかかり続けているのか僕自身も分からない。だからこそ僕はただ淡々とそう答えるしかないのである。
「雫梨は誰かと一緒が良かった?」
「ん、まぁ……学校に仲のいい子はたくさんいるし、部活の同期とかが一緒でもきっと楽しかったんだろうなぁとは思うよ」
兄としての贔屓目もあるだろうが、雫梨だってルックスだけなら志津川さんや鳴海さんに引けを取らない。
おまけに性格も明るいと来たもんだから、僕なんかと違ってきっと学内の友人も多いのだろう。
「でもね――」
どうして同じ親から生まれたのにこうも人間としての出来が違うのか。そう嫌気がさしそうになったところに、しかし我が妹は明るくこう言葉をつづけた。
「久しぶりにいつ
あぁ、やっぱり僕の妹は本当によくできた妹だ。
「雫梨は良い妹だね」
「あったりまえじゃんっ!」
僕の軽口に楽し気に笑みを溢す雫梨は、確かに本当によくできた妹だった。
「だからこそ、かなぁ……」
ふと、前方を歩く雫梨がその歩みを突然止めた。
「なにがだからこそ、なんだよ」
「ん、あぁいや……なんというか……」
雫梨の隣に追いつくと、彼女はその顔にどこか曇ったような色を浮かべている。
「こう、一言で言い表すのが難しいんだけど……」
そのまま並んで歩く僕らだったが、相も変わらず雫梨の顔は晴れそうにない。その後も数度なにかを言い澱むような声を漏らすが、どうやら彼女自身も何を言いたいのかイマイチよく分かっていないらしい。
「なーんか引っかかるんだよねぇ」
ようやく言葉を絞り出したかと思えば、これもまたイマイチ要領を得ない言葉だった。
「えっ……」
しかし、だ。僕は雫梨の言葉に妙に驚いてしまう。なぜなら彼女が僕と似たような感情を抱いていたからだ。
「ど、どうしたのさ急に」
突然の声に驚いたのか、雫梨はびくりと肩を震わせた。
「あ、いや、別に大したことじゃないんだけれど……」
そう口にしてみるが、妹の視線はさっさと先を言えと僕へと促してくる。
「いや、僕もなんかずっと引っかかってるんだよね。同じ妹としてどう思う?」
同じ立場の人間ならば、また感じ方が違ってきたりするのだろうか。
「まぁ、お兄ちゃんが心配ってのは分からなくもないよ」
「分からなくもないんだ……」
「うん、いつ兄の周り、最近急に可愛い人増えたし。活動的だってのは相変わらずだけど、なんていうか……あんまり自分を犠牲にしすぎないでね」
心配そうに呟く妹の顔は、僕が今までの人生で初めて見る表情をしていた。
「……そんな風に見える?」
「なんとなく、そんな気がした」
そんなつもりはなかったのだけれど、親しい間柄の人間にはそう見えてしまうらしい。
「気を付けるよ」
そう言うと「よろしい」と雫梨は小さく口元を緩めた。
「でも、雫梨のそれは佳穂ちゃんのそれとはまた別な気がするんだよね」
「うーん、私もそんな気がする。お兄ちゃんが心配ってのは私たちがそう思ってるだけで、もしかしたらこのお願い事は佳穂ちゃんにとってそれ以上の何かがあるんじゃないかな?」
「それ以上の何か?」
僕の疑問に、しかし雫梨も正確な答えは持ち合わせていないらしい。「うーん」と小さく顎に手をやりながら考え込むような仕草を見せる。
「多分佳穂ちゃんにとっては大切な何かなんだと思う」
「大切な何か、かぁ……」
「うん、それが何かは分かんないけどね」
「分かったら僕も雫梨もこんなに悩んでないよ」
「ホントだよ」
そういうと雫梨は一つ笑い声をあげる。それにつられるように自然に僕の口からも笑い声が零れた。
「あーあ、でもこれでいつ兄はまた忙しくなるね」
そう言って雫梨は僕へと意味深な笑みを向けてくる。
「どういうこと?」
「だっていつ兄は放っておけないでしょ、ああいう子」
僕はその場で小さく頭を抱えた。全く持って本当によくできた妹だ。まるで僕の心の内なんてはっきりとお見通しみたいだ。
「まぁね」
実際僕は既にこれからのことについて考えていた。
鳴海さんに手を差し伸べたあの日から、僕の中ではきっと何かが変わってしまったんだと思う。
「出来るよ」
不意に雫梨がそう声をかけてきた。その声色は、この夏聞いたどんな彼女の声よりも優し気な色をしていた。
「……どうしてそう思うの?」
「だって……琴子さんも彩夏さんも、お兄ちゃんが関わってきた二人はあんなに綺麗に笑ってるから」
その言葉が妙に誇らしかった。
今彼女達が笑っているのは、確かにあの日彼女達自身がその道を選び取ったからだ。でも、その道を少しでも照らすことが出来たんだという自信が、僕を今ここに立たせているのは間違いない。
「やってみるよ」
「事後報告、よろしくね」
自宅の玄関が見えてきた。
扉を開けると、ふと家の奥からは母さんの作る甘いクッキーの匂いが漂ってきた。
「ただいま」
そう声をかけると、すぐに奥からは母さんの「おかえり」の声が帰ってくる。
「色々とありがとう、雫梨」
そう告げると、脱ぎかけの靴を片手に握りしめたまま雫梨は驚いたような表情を浮かべた。しかしすぐに言葉の意味を理解したのか、妹はしたり顔で人差し指を立てて僕へと言う。
「お礼はこれで」
「……はぁ、分かったよ」
彼女達が道を選んできたように、僕にだって歩いてきた道があった。
妹の元へと献上されるクッキーを名残惜しく思いつつも、僕はあの日見た佳穂ちゃんの表情へと思いを馳せるのだった。
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