第65話 ミッション・コンプリート

「なんというか、ふつーに今どきのカップルって感じだよねぇ」


 滝田水族館にやってきて既に一時間と半分が過ぎようとしていた。


 休憩とばかりに仁科君と粟瀬さんが腰を下ろしたのは小さな屋外プールのある、所謂イルカのショーのスペースだった。


 緩やかな弧を描く様に設置された階段状の席に座ると、その視線の先には小さなプールとその向こうの簡素なステージが見て取れる。


 その中央では先ほどから滝水のアイドルであるバンドウイルカのバンさんが見事なジャンプを決めている。


 綺麗な着地を決める度にそこそこ埋まった観客席からは拍手が湧き、激しい水しぶきに包まれる前方の席からは若い女の子たちの黄色い歓声が上がっていた。


「粟瀬さんと居ると、仁科君ってあんな風に笑うんだな」

「いつにい、知らなかったんだ」

「……まぁね」


 さて、そんな僕らはというと、水槽のすぐそばを陣取った仁科君と粟瀬さんを見下ろせるような位置でぼんやりと彼らの動向を見守っている。


 先ほどから始まったイルカのショーはこの滝水では目玉の一つである。


 いち地方都市の水族館としては珍しくイルカが飼育されている滝水では、一日に3回、毎日決まった時間にイルカのショーが行われている。


 滝田市のデートスポットを紹介する雑誌にもそのショーのことは掲載されていて、夏休みという時期もあり普段より大勢の人で賑わっているようだ。


 当然仁科君たちもそんな目玉を見逃すはずもなく、ペンギンのコーナーを抜けてどこへ行くのやらと付けてみれば、僕も雫梨もこのイルカのショーの観客席に腰を下ろすことになった次第である。


「彼氏かぁ……」


 相変わらず仲良さそうに顔を寄せ合って何かを語り合う仁科君と粟瀬さんカップルを見て、ふと雫梨は何とも言えない声色でそんな風に呟いた。


「なに、ああいうのやっぱり雫梨も憧れるの?」

「ん、まぁ……そうだねぇ」


 それもそうだ。雫梨だって青春真っ盛りの高校一年生。恋に恋してキラキラの学校生活を夢見るのは当然ともいえよう。


 噂になって教室でクラスメイトに揶揄われたり、放課後制服を着て二人で買い食いなんかして歩くのにも憧れるのかもしれない。


 僕だって、もし理想の女の子が目の前に現れたその時は、そんな風な時間を過ごしてみたいとも当然思う。


「琴子さんとか彩夏さんとかもきっとそうだよ」


 そして、何を思ったか雫梨は自らの言葉をそんな風に続ける。


「志津川さんと鳴海さんが?」

「うん。あんなに可愛い人たちだって、蓋を開ければただの女の子だもん」

「そんなもんなのかなぁ」

「うん、きっとそうだよ」


 視線の先では、バンさんのジャンプで起こった水しぶきに楽しそうに顔を綻ばせる粟瀬あわせさんの姿があった。


 もし、あの場所に座っているのが志津川さんや鳴海さんだったら。


 ぽつり、僕の脳裏をそんな言葉が過る。


 物語にIFは存在しない。


 それは僕が「負けヒロイン」を愛していくうえで何よりも大切にしていることだ。今という時間は、なにも負けヒロインだけが心から欲しがった時間じゃない。


 あの日ファストフード店の前で見えてしまった粟瀬さんの涙も、そして公園で苦しそうに心中を吐露してくれた仁科君の表情だって、僕は今も鮮明に覚えているのである。


 今ああやって楽し気に笑っている二人にだって、きっと辿り着きたかった未来があったはずなんだ。


 「もしも」で世界を作り変えてしまうことは、あの日二人の中にあった大切な想いを無かったことにしてしまう行為。


 だから――


「ああいう風に、いつかなればいいね」


 僕に出来る事は、そんな彼女たちにきっと次の憧れを作ってあげる事なんだと思う。


「さて」


 イルカのショーも終わりに向かおうというところで、ふと隣の雫梨が立ち上がった。


「どうかした?」

「あぁいや、他人の幸せでお腹は満たされないなぁと思いまして」


 ぽんと自分のお腹を叩いて見せると、雫梨はひとつ照れくさそうに舌を出しながら笑った。


「まだちょっと早くない?」


 ショーの終了予定時刻まではまだ10分ほどの時間があった。しかし、そんな僕の言葉に雫梨は小さく「いいんだよ」と答える。


「あまりこれ以上見続けるのも、イルカさんにも仁科さんとやらにも野暮だと思うでしょ?」

「いや、イルカさんはあれがある意味仕事みたいなもんだと思うけど」


 まぁでも、後半に関しては同意だった。別に彼らの熱に充てられたわけじゃないけれど、なんとなくこれ以上は僕なんかが覗いてはいけないような彼らだけの秘密の時間に思えたからだ。


「なんだっけ、レストランで一番高いものを食べるんだっけ?」

「そーそー! もちろんいつ兄の奢りでね」

「はいはい、分かってるよ」


 生憎とボランティア部の依頼達成のために発生した諸費用は経費じゃ落ちやしない。当然と言えば当然なのだけれど、僕のお財布にも限界というものは存在してる訳で、その辺は我が妹は理解してくれていると嬉しいのだけれど。


「依頼はどうしよっか」

「それは……まぁ、あれだけ追いかければ十分だと思うよ」


 僕が見たままをそのままに伝えればきっと佳穂ちゃんも分かってくれるだろう。


「そっか。ってかレストランって混んでるかな?」


 滝田水族館には小さなレストランが併設されている。まぁ、どこにでもあるような洋食屋さんなのだけれど、海の生き物をモチーフにした可愛らしいデザインの料理が出てくるのは市内でもこのレストランだけだろう。


「んー、どうだろう。お昼にはちょっとだけ遅い時間だし、近くにはショッピングモールもあるからね」


 滝田水族館は滝田駅とを結ぶシャトルバスが定期的に走っていて、駅に戻るだけなら案外簡単にそれが出来てしまう。更には近くには大型のショッピングモールもあって、食事をするだけだったら別にこのレストランに囚われる必要は全くなかった。


 仁科君たちがどこでお昼を食べるのかは分からないけど、ここまで見守れば「依頼」としては十分だ。そう判断した僕は、雫梨につられるようにしてイルカのショーを後にすることにする。


「いつ兄は何食べたい?」


 レストランに向かう道すがら、ふと雫梨がそんなことを尋ねてきた。


「そうだなぁ……」


 別に美味しかったらなんだっていいけど、なんてことを考えていると、ふと僕の視線にあるものが留まる。


「カニクリームコロッケとか?」


 雫梨が僕につられて視線をやった先では、大型の水槽の中でタカアシガニが呑気に大きな体を動かしていた。


「……いつ兄、今あれ見てそう思ったでしょ」


 その時の我が妹の声色は、この夏僕に投げかけられた彼女の声の中でも一番と言っていいほどなんというか、呆れていたのだった。

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