第64話 お似合いカップルを尾行せよ!

「で、見守るって具体的に何すればいいわけ?」


 仁科君と粟瀬さんのデートを尾行し始めて早10分が経った頃だろうか。


 滝田水族館のマスコットであるタタッキーの被り物を頭に被った雫梨が、ぽつりとそんな言葉を呟いた。


「そうだなぁ……」


 思い返すのは昨日貰った佳穂ちゃんからの連絡。


『無事に二人が楽しい1日を過ごせるように見守って欲しいのですっ!』


 可愛らしい絵文字と共に送られてきたそれは、イマイチ僕らが何をすればいいのか要領を得ないものだった。


「まぁ、佳穂ちゃんからはただ楽しく過ごせているか教えて欲しいってことだけしか聞いてないかな。それよりもいつの間にそんなもの見つけたんだよ」

「ん、あそこのグッズ売り場にあったよ」


 雫梨が指さしたのは入場口横に併設されている水族館のお土産コーナーだった。


 魚や海の動物をあしらったクッキーやキーホルダーなんかも売られているらしく、今も多くの人で賑わっている。その一角に雫梨が被っているタタッキーの被り物も存在した。


「なんで開口一番にお土産コーナーに向かってるのさ」

「こいつと目が合っちゃって」


 雫梨が手を伸ばしたのは被り物の中ほどに位置しているタタッキーの目の部分。魚の切り身をモチーフにしたとは到底思えないほど愛らしい眼をしたそれを、ぐりぐりと弄り回している妹を見て兄として複雑な感情を抱かざるを得ない。


「後で彩夏さんに渡すお土産も買わなきゃね」

「ん、鳴海さんに?」

「だってあの人好きでしょ? タタッキー」

「まぁ、そうなんだけどさ。どうしてそれを雫梨は知ってんのさ」

「ん、だって鞄のキーホルダーに着いてたよ」


 あぁ、そう言えば以前会った時も通学鞄にそんなものつけてたな。


 というかそれって確か恋敵である粟瀬さんから貰ったものじゃ……。


「いつ兄、なんか複雑そうな顔だけどどうしたの?」

「いや、恋を憎んで人を憎まずってことなのかなって」

「……意味分かんないけど」


 そんなくだらないやり取りを繰り返している間に、仁科君と粟瀬さんはどうやらどこのエリアに向かうか決めたようだ。


「わぁ……クラゲってこんなに綺麗なんだ」


 仲睦まじそうに手を繋いで歩く二人を追うと、僕らは薄暗く落ち着いた空間へと辿り着いた。


「そっか、この前来た時は雫梨は小さかったもんね」

「うん、あんまその時のこと覚えてないや」


 滝田市の数少ない観光スポットなっている滝水だが、僕自身はあまり足を運んだことはない。前回訪れた時は小学生の低学年の頃。


 雫梨がまだ幼稚園に通っていたぐらいの昔だ。


「というか、いつ兄もちっちゃかったでしょ」

「だから僕も驚いているよ」


 青白いライトに照らされた空間には小さな水槽がいくつも並んでいて、その中にはいろんな種類のクラゲたちが気持ちよさそうにぷかぷかと浮かんでいた。


 あまり広い空間ではないため、近づきすぎると仁科君たちにばれてしまう可能性がある。


 僕らは適切な距離を保ちながら、先を行く二人を決して見失わないようにとそのスペースを歩いていく。


「それにしても……ホント仲いいね、あの二人」

「まぁね」


 雫梨の言う通り、仁科君と粟瀬さんは滝水に着いてからずっとその手を握り合ったままだ。冷房が効いているとはいえ外は今日も真夏日を優に超えるほどの快晴。あんなに寄り添って暑くないんだろうか。


「……いつ兄、無粋なこと考えてない?」

「いやぁ、そんなことは……ないと、思うよ」


 志津川さんにもよく言われるけど、多分僕のこういうところが彼女の言う”そういうところ”なんだろうなぁ。


「それで、結局あの二人はなんな訳? あの超絶イケメンがうちに来てた佳穂ちゃんって子のお兄さんってのは分かるけど……」


 そう言えば雫梨にその辺の事情を一切話していなかった。


 そう考えると全く知らないカップルのデートを尾行するのによく了承してくれたものだ。


「あの二人は幼馴染だよ。佳穂ちゃんのお兄さんである仁科奏佑にしなそうすけ君とその幼馴染、今は……恋人って言えばいいのかな、その恋人である粟瀬柚子あわせゆずさん」

「へぇ……お似合いの二人だね」


 確かに雫梨の言う通りお似合いの二人だと思う。


 美男美女カップルとでも言うのだろうか、二人の纏う柔らかな雰囲気のおかげか、どこかその姿は微笑ましくも映ってしまう。


 志津川さんや鳴海さんには申し訳ないけど、仁科君の隣にいるのは粟瀬さんが一番しっくりくるような気がした。


「お、次はペンギンエリアに行くみたいだね」


 いつの間にか僕らはクラゲの展示エリアを抜けていて、先を行く幼馴染カップルは滝水の端っこに位置するペンギンエリアへと向かっていた。


「ペンギンかぁ……」


 ふと雫梨が先ほど僕が手渡したパンフレットを見ながらそんな言葉を零した。


「ペンギン、嫌いなの?」

「あぁいや、そういう訳じゃないんだけど……」


 僅かに言い澱む雫梨だったが、僕が先を促すとすぐに彼女は話の続きを話し始めた。


「うちってほら、中高一貫高じゃん?」

「まぁね。それがどうかした?」


 雫梨が通う青ヶ峰高校は所謂エスカレーター式の市立高校だ。その付属中学として存在するのが青ヶ峰高校付属中学で、その敷地は高校の敷地から大通りを一つ挟んだその向かい側に存在している。


「うちの学校って近くに大きな公園があってさ、そこでよく見かけるんだよね」

「……見かけるって何を?」

「ペンギンのぬいぐるみ抱えた可愛い子」


 なんだそれ、また随分と珍妙な光景だなぁ。


「それって学校では有名な話なの?」

「ん、まぁ……有名人だしね」

「へぇ」


 志津川さんは我が桑倉学園の圧倒的な有名人だけど、きっとどの学校にもそれに似たような存在が居るんだろうな。


 雫梨の話は興味があったが、それよりも今日の僕にはもっと重要なことが存在した。


 ペンギンブースに足を踏み入れる二人を決して見逃さないように、そして決してバレないように、僕らは人ごみに紛れながらそっと彼らの背中を追う。


「おぉ……ペンギンだぁ」


 ペンギンエリアに足を踏み入れた瞬間、隣居た我が妹の目がキラキラと輝くのが見て取れた。


「そんなに興奮するもんかねぇ」

「いつ兄には風情が欠けてるよ」


 ペンギンを見て風情を感じることの方が可笑しいと思うけどな、と口にしかけたところで先日のローキックの一件を思い出してそっと言葉を引っ込める。


 兄妹仲は良い方だとは思うけど、気に入らないときは平気でこいつは手、もとい足を出してくる。


「……また余計なこと考えてるよね」


 ぐりぐりと、足ではなく結局雫梨の手が、僕の脇腹を強引に押し込むのが分かった。


「痛いよ」

「痛くしてる」


 ふと、涙ながらに顔を逸らすと、水槽の中でぼんやりとこちらを眺めるペンギンと目が合った。


「ペンギンって何考えてるか分かんないよね」


 そう口にすると「そーだね」とだけ我が妹は小さく相槌を返してくる。


「なにを考えてるか分からない……か」


 僕はふと、そんなペンギンを眺めながらこの『依頼』の依頼主のことを思い返していた。


「どうしたの?」

「いや、実の兄のデートがどうしてそんなに気になるのかと思ってさ。同じ妹なら分かったりするのかな?」


 僕の言葉に、隣の雫梨は小さく口から笑い声を零した。


「分かる訳ないじゃん」

「だよね」


 ふと仁科君と粟瀬さんに視線を戻すと、心なしか二人の間の空間がさっきよりも縮まっているように僕には見えた。


「まぁ、考えたところで仕方ないか」

「そーだよ。ほら、見失わないうちに追いかけようよ」


 お似合いの二人だ。佳穂ちゃんはどうしてあの二人をそんなに気にしているんだろう。


 雫梨に引かれる手を眺めながら、僕はふと湧いたそんな疑問を心の奥にしまい込むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る