第63話 滝水へようこそ

 カレンダーの日付もあと4日で9月になろうとするある日のこと。


 僕の姿は滝田市唯一の水族館である滝田水族館の入場口にあった。


 時刻は午前11時を少し回ったところ。滝田水族館、通称滝水たきすいの入場口の横には券売機と受付用のカウンターが併設している。


 滝田市有数の娯楽施設であるためか、先ほどから大勢のカップルや家族連れが僕へと怪訝そうな顔を向けながら入場口を通り抜けていく。


 一人ぼっちで必死にパンフレットを見ているふりをしている僕としては、そろそろこの気まずさも限界に近い。


「待った?」


 そんな僕に助け舟がやって来たのは、既に3週目に突入したパンフレットもそろそろ中盤に差し掛かろうかといったそんな時だった。


「……遅いよ」


 僕の視線の先、そこにいたのは一人の少女だった。


 普段見慣れぬ彼女の気合の入った私服は、贔屓目に見てもそんじょそこらの女の子では決して敵いっこない彼女の魅力を存分に惹きたてている。


「それだけ?」


 僕の言葉に彼女は僅かに不満そうに頬を膨らます。夏休みも残りわずか。街でも有数のデートスポットに気合を入れてやって来た女の子の意図を察せないような僕ではない。


「可愛いよ」

「えへへ……っ」


 僕の言葉に満足そうに一つ笑顔を浮かべると、我が妹、立花雫梨たちばなしずりは意気揚々と券売機へと足を向けた。


「それにしてもどうしてわざわざ滝水で待ち合わせなんだよ……」

「だってそっちのほうがデートっぽいでしょ?」


 さて、夏休みも残りわずか。ラノベや漫画と共に貴重な1日を消化したい僕がどうしてまた場違いな滝田水族館に足を運んでいるのか。


 事の発端は10日ほど前、僕の元に一人の依頼者がやって来たのがきっかけだ。


「それで、報告はスマホで良いんだっけ?」

「うん、出来るだけ詳細に文章で送ってくれって」


 財布から1000円札二枚を券売機へと流し込むと、薄っぺらい金属製の平口はそれを勢いよく飲み込んでいく。


「いつにいもなんだかんだでゲットしてるよね、美少女の連絡先」

「僕は雫梨と違って下心なんて無いんだよ」


 彼女の名前は仁科佳穂にしなかほ。青ヶ峰高校付属中学の三年生で、僕の同級生でもある仁科奏佑にしなそうすけの妹だ。


「いつ兄の周りにいる美少女なんて、私とあのちっこい先輩だけだと思ってたのに」

「自分で言うんだ」

「そう思われるように努力してるからねっ!」

「はいはい偉い偉い」


 雫梨のメイクや服装の知識には僕も大変に世話になっている。


 最近じゃ自分を着飾る道を外れてどうやら他人を着飾ることに熱が入っているらしいが、そのおかげか僕も今日はデートスポットに居ても遜色のない格好で出歩くことが出来ると言う訳だ。


「それにしても……琴子さんと来ればよかったんじゃ?」


 雫梨の疑問はごもっとも。


 『依頼』であれば我がボランティア部の部員である志津川さんが一緒なのが最もふさわしいと言えよう。まぁ、こんな場所に僕と志津川さんという組み合わせが相応しいか否かと言われるとまた別のお話なのだけれど。


 とかく雫梨の言いたいことはよく分かる。しかし――


「志津川さんは予定があって来られないらしいんだ」

「あぁ、振られたんだね」


 まぁ、その通りと言えばその通りだけど、もうちょっと実の兄を気遣う心を妹は持ち合わせていいんじゃないだろうか。


「……まぁ、本当に予定があって来られなかったんだろうからそこは気にしなくてもいいんじゃない?」


 そう言って雫梨はフォローの言葉を僕へと投げかけてくる。しかしその物言いだと、志津川さんは僕と水族館に来られなかったことを悔やんでいるみたいじゃないか。


「そうかなぁ」

「そうだよ。じゃないと――いや、なんでもない」


 何かを言いかけた雫梨だったが、別に大したことじゃなかったのかそれ以上の言葉を飲み込んで、いそいそとチケット片手に入場口へと歩いて行った。


「いやぁ、それにしてもそこそこ混んでるねぇ」


 雫梨の背中を追いかけて僕も入場口のゲートをくぐる。


 妹の言葉通り、ゲート入り口近くの展示物の傍には遠目でもわかるほどの人だかりができていた。


「まぁ、夏休み最後の週だしね」

「ホントだよ。そんな日に兄に付き合わされる妹の身にもなって欲しいものだね」

「それは……ホントにごめん。でもおかげで助かってるから」


 志津川さんが一緒に行けないと分かった日の夜、僕はダメもとで我が妹に依頼に同行できないかと頼み込んだ。


 最初はあまり乗り気には見えなかったが、しばらく考え込んだ雫梨はその後「まぁ、そっちが奢ってくれるなら」という返事で僕のお願いを聞いてくれたのだった。


「お昼はレストランで一番高いもの食べるから」

「はいはい、当然僕の奢りでね」

「分かってるならよろしいー。それにしても――」


 ふと、雫梨が辺りを見回すように視線をきょろきょろと動かすのが分かった。


「どうかした?」

「あ、いや、一応依頼なんでしょ? 私はただ一緒に来てくれるだけで良いって言われたけど、一応いつ兄の付き添いな訳じゃん?」

「……雫梨は本当によくできた妹だよ」

「知ってる」


 僕がただ一人でデートスポットに行くのが嫌だったから付き添いを頼んだだけだったのだけれど、それに加え依頼にまで協力的な態度を示してくれるとは。


「それで、その件のお二人さんとやらは?」


 依頼の内容を知っている雫梨ならその点に疑問を持つのも納得だ。


『私の兄の初デートを見守って欲しいのですっ!』


 佳穂ちゃんが我がボランティア部に持ち込んだのは、そんな兄妹愛溢れた可愛らしい依頼だった。いや、可愛らしいかはさておき、実の兄のことを心配して僕らを頼ったのは分かり切ったことだ。


 そんな佳穂ちゃんの情報によると、仁科君と粟瀬さんは今日、この滝田水族館で初々しくデートに勤しむらしい。


 僕らの目的はそんな二人をこっそり尾行して、デートの様子を佳穂ちゃんに報告するという一見簡単に見えるものだった。


 つまり雫梨が言いたいことは――


「ほら、件のお二人さんはあそこだよ」


 僕はちらと入場口へと視線を動かす。


 そこにはちょうど、ゲートをくぐる優し気なイケメンと淡い栗毛の可愛らしい女の子の姿があった。


「おぉ……あれが……」


 僕の隣の雫梨が小さく声を漏らすのが分かった。


「仁科君たちがいつ来るかは連絡貰ってたからね」


 事前に彼が家を出る際に依頼主の佳穂ちゃんから僕のスマホに連絡が行く手筈になっていた。


 そして僕はこうして段取り通りに彼らを水族館の入り口で待ち構えることが出来たと言う訳だ。


「なんというか……いつ兄がこういう事ばっかりやってたのは知ってたけどさ」


 そう言えば雫梨がこうしてボランティア部の依頼に関わるのは初めてのことだ。


「ドン引きした?」

「しょーじき」


 流石は僕の妹だ。こういうところも素直でよろしい。


「これで誰かが笑顔になれるんなら、僕は喜んで泥でも被るよ」

「……そういうところだよ」


 雫梨の返答がどんな意味を込めていたのかは分からない。


 とかくこうして夏休みの最終週、突然僕の元にやって来た突拍子もない『依頼』は達成のための幕を開けたのであった。

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