第50話 暗闇を照らす光になれたら

「ど、どうして……?」


 僕の誠心誠意の答えに、だけど納得が行かない鳴海さんは小さく肩を震わせた。


 今にも泣き出しそうな綺麗な瞳には、キラキラと光る雫が浮かんでいる。


「初恋の消し方……なんてもの、僕には到底用意できそうにないからだよ」

「そんなのっ、立花君ならどうにか見つけてくれるっ!」


 我が桑倉くわくら学園にはボランティア部を勘違いしている生徒が大勢いる。


 悪の秘密結社だったり、生徒会の勅命を受けて動く影の暗躍部隊だったり。そのおかげかボランティア部に持ち込まれた依頼は何でも確実に解決できると思っている。


 そりゃ僕としても持ち込まれた依頼は出来るだけ達成できるように努めているが、それでも出来ないものというのは存在するのだ。


「以前僕は言ったでしょ? 死者蘇生や銀行強盗なんかは出来ないって」

「……そんなこと、言ってたっけ」

「言ったよ。無理難題はこなすことが出来ないんだって。ましてや記憶を消すなんて到底できない相談だよ」

「そ、それは……」


 鳴海さんも自分が口にしたことがどれだけの無茶か自覚したのだろう。僅かに言い澱む仕草を見せるも、だけどそれでもという感情が彼女に口を開かせる。


「でも、私はもうこんな苦しい思いをしたくないの……」


 彼女がこれまでその感情でどれだけの思いをしてきたのかは分からない。


 それに、その苦しみを理解した気になってしまうのも、先ほど学人さんから釘を刺された行為に反してしまうことになる。


 誰かの感情に寄り添いたいと思うのは恥ずべきことじゃない。だけど、その心境まで勝手に慮ろうとするのはそれはもう行き過ぎた行為だ。


 だからこそ、その苦しみを理解できるなんて言葉を僕は決して口にしてはならなかった。


「鳴海さんがどんな思いをしているのか僕は全く分からないよ。誰かを心から好きになったことなんてこれまでないし、それに僕はそんな思いを忘れたいと思ったこともない」

「じゃあ立花君は、私に何もしてくれないの……?」


 先ほど鳴海さんにはああ言ったが、だけど僕は決して彼女を見捨てたわけではない。


 鳴海彩夏なるみさやかという少女が必死に僕へと伸ばした手。僕は今もその手を離すまいと誓い続けている。


「言ったでしょ。まかせてって。僕が全力で鳴海さんを助けるって」

「そ、それは……」

「鳴海さんのお願いだけはどうしても聞くことが出来ない。それは僕が僕なりに考えた、鳴海さんを思っての最大限のことだからだよ」

「私のことを思って……?」


 ここからは完全に僕の独断と身勝手だ。


 僕の脳裏を今ぐるぐると回っている言葉は、かつて西園寺部長や志津川さんが僕へとかけてくれた言葉たちだ。


 いつしか部長は言ってくれた。『君の見たいものを、君のために見つめて来い』と。更にはつい先日志津川さんがこんなことを言っていた。『私を救ってくれたあなたのことを心から信じています』と。


 これは本当に僕の独断と身勝手だ。だけど僕は、僕の見たいものの先にこそ、鳴海さんを救える何かがきっとあるのだとそう信じている。


「初恋を忘れた先に僕は本当に鳴海さんの笑顔があるとは思えない。だから僕がボランティア部として鳴海さんに提示できるプランは一つだけ」


 食い入るようにこちらを見つめる鳴海さんを、だけど僕は一歩も臆するまいと負けじと見つめ返した。


「鳴海さんの初恋は決して忘れさせない。そしてその先に、鳴海さんが心から笑える未来を作ってみせる」


 目の前の美少女が小さく息を呑むのが分かった。


 それは驚きか、それとも躊躇いか、はたまた――その感情の正体を僕は知ることもできないし、知りたいとも思わなかった。


 ただ彼女の言葉で、僕のプランへの答えが聞きたかった。


「……分かんないよ」


 ぽつり、鳴海さんは小さくそう呟いた。


「立花君が真剣なのは分かる。私なんかのことをこんなに考えてるくれる人、もしかして初めて出会ったかもしれない。でも、私は分からないんだ……」


 消え入るような声。だけど僕はその一音一音を決して聞き逃すまいと必死で耳を傾ける。


「怖くなって、寂しくなって、それで絵を描くことを捨ててしまった私が、叶わない恋心なんて感情を受け入れられるのか、それが私はただ怖いんだ……。これから私がどうなってしまうのか、ただそれが分からなくて怖い……」


 溢れる感情の吐露を、僕はただひたすらにじっと聞くことしか出来ないでいる。


「助けて欲しいのは本当なの。絵も、仁科君も、私は嫌いになりたくないっ……だから忘れてしまうのが一番なのっ」


 だけどそんな彼女の言葉を聞いてもまだ、僕の心はそうあって欲しくないと願っている。


 たとえその想いが実らなくても、いつだって僕の憧れてきた負けヒロインはその想いを受け入れてきた。乗り越えて、その想いを抱いた自分と共に新しい道を歩いていくのだ。


「鳴海さん……さっきの依頼、聞かなかったことにするよ」

「えっ……?」

「人を好きになるって、とっても素敵なことだと僕は思うんだ」


 いつだって、恋する乙女は最強だ。


 その笑顔に、その涙に、その想いに、物語のこちら側の僕らはいつだって心揺さぶられてきたんだ。


「そんな素敵なことを……僕は鳴海さんに忘れて欲しくはない。本当に今の気持ちを忘れてしまいたいのか、僕はもう一度鳴海さんに考えて欲しい」

「それって……」

「さっきはああ言ったけどさ……。本当にもし鳴海さんが望むのなら、その気持ちの忘れ方を世界中を駆け回ってでも探して見せるよ。でも、もしそうじゃないのなら、その怖いって気持ちに向き合って欲しい」

「でも……」


 それでもまだ、彼女は躊躇いの表情を見せる。ここまで来たらもう僕が鳴海さんにかけられる言葉はない。この一言を除いては。


「鳴海さんが怖いって気持ちに向き合う時、それでもまだ一人でいること不安だったら僕が必ず、君の気持ちに寄り添って見せるから」


 僕は物語の主人公じゃない。その背中を押すことも、新しい答えを用意してあげることもできない。


 だからこそ、僕が出来るのは彼女達の目の前にある道が隠れてしまわないように、ただひたすらに照らし続けることなのだと思う。


「……一晩、考えさせてほしい」


 すくり、と立ち上がると鳴海さんはそのまま縁側を去ろうとする。背中越しのためその表情は伺うことが出来ない。


「一晩どころかずっと考えてくれてもいいよ。いつか改めて鳴海さんの答えが出たのなら、その時は僕に聞かせてくれると嬉しいな」


 だけど、その背中は確かにこの場に訪れた時よりも幾分かしゃんとしているようにも見てとれた。


「……優しいね、立花君は」


 去り際、鳴海さんはただそれだけを言い残して姿を消した。


「……本当にこれでよかったのかな」


 ぽつり、縁側に残された僕の口から言葉が零れる。聞こえてくるのは離れた幹線道路を走る自動車の音と、どこか遠くから聞こえる潮騒の風。


 だけどそんな静寂を切り裂く様にその声はやたらと澄んで僕の耳に届いてくる。


「それが立花君が求めた答えなのならば」


 驚いて咄嗟に僕は後ろを振り向く。


 そこにはお風呂上がりの可愛らしいルームウェアに身を包んだ志津川さんが、どこか優し気な表情で僕に視線を送ってくるのだった。

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