第49話 消せない想い、消えない願い

 同じ風、同じ場所、同じ景色。


 だけど先ほどの縁側とは全くの別物に思えてしまうのはどうしてだろうか。


 それはきっと隣にいるのがとびっきりの美少女で、更には時刻が真夏の夕暮れというシチュエーションが僕をそう錯覚させるのだろうと思った。


 学人さんには申し訳ないのだが、流石に中年の男性と同年代の美少女じゃ僕の緊張感も天と地だ。


「立花君」


 僅かに赤らめた頬はお風呂上がりのせいかそれともまた別の理由があるのか。


 とかく、どこか緊張した面持ちで名前を呼ぶ鳴海さんを、僕はただ固唾を飲んで見つめるのみだ。


「……あの、立花君?」

「へっ、あっ、あ、はい」


 その光景にただただ魅入ってしまっていたせいか、名前を呼ばれているというのに僕の反応もまるで年代物のパソコンのような速度を見せてしまう。


「あまり熱心に見つめられると……恥ずかしいけど」

「そ、それはなんというか……ごめん」


 そもそも鳴海さんがあまりにも綺麗なのが悪い。という言い訳はこの場合認められるだろうか。


 まぁ、仮に誰かが認めてくれてもそれを本人に伝えるかはまた別問題だけれど。


「そ、それより急にどうしたの? 志津川さんは一緒じゃない?」


 そういえば先ほどまで二人でお風呂に入っていたはずだ。楽しげな声が僕にも聞こえるぐらいだった。


 そんな入浴の相方の姿が見えず、僕は彼女の居場所を尋ねる。


「琴子は叔母さんとリビングで喋ってるよ」


 そう言って鳴海さんは僅かに呆れ顔で笑って見せた。大方薫子さんが志津川さんを半ば無理やり引き留めたのだろう。


 それよりも――


「名前呼びになったんだね」


 昼間はまだ志津川さんのことを鳴海さんは名字で呼んでいたはずだ。


 僕の知らないところで二人の仲が深まる何かがあった。それがきっと僕が今こうしてここに呼び出されていることにも繋がるのだろう。


「まぁね。女の子にはいろいろとあるんだよ」

「それじゃあ僕なんかが聞けるわけもないね」

「ふふっ、そーだよ」


 お風呂上がりの鳴海さんは無地の白いTシャツにホットパンツというラフな格好だった。


 縁側の床に膝を立て、体育座りの格好で上目遣いでこちらを覗いてくる様はなかなかに犯罪的だ。


 これが志津川さんだったなら恐らく自分がどう見えるのかなんて計算ずくなのだろうけど、鳴海さんのこれはきっと天然だ。


「ズルいなぁ……」


 そんな様に思わず僕の口からそんな声が漏れてしまう。


「何がズルいの?」

「あぁいや、仁科君は本当にズルいなって」


 そう言うと鳴海さんの顔に疑問の色が浮かんだ。


「どうして?」

「そりゃもちろん、こんな美少女二人に好かれているってことがさ。更には幼馴染の可愛い彼女がいる。僕と同じ人間だとは到底思えないよ」

「……た、立花君ってそういうこと素直に言っちゃう人なんだね」


 照れくさそうにプイっと視線を逸らす鳴海さん。


 自分が何を言っているのか自覚しているつもりだけど、それ以上に照れられるとこちらまで恥ずかしくなる。


「……二人に好かれている、か」


 不意にぽつりと鳴海さんはそう呟く。その表情は逆を向いているせいで読み取れないが、その背中から伝わる感情はどこか切なげに思えた。


「立花君は、琴子の気持ちを知ってたんだね」

「……今更隠す必要はないか。そうだよ、僕は志津川さんからお願いされてとある依頼に取り組んでたんだ」


 まだ2か月前のことなのに随分と懐かしく思えてしまうのはどうしてだろうか。


 僕と志津川さんの奮闘の日々。その果てに見た彼女の涙を、僕は未だに鮮明に覚えている。


 『最強負けヒロイン』


 彼女が目指したその姿は、僕の心に今も確かに刻まれていた。


「……でも、あの有名なボランティア部でも琴子の恋は実らせることが出来なかったんだね」

「それは――」


 不意に言葉が詰まった。


 どうだろう。志津川さんからの依頼がもし自らの初恋を実らせることだったら、僕は彼女にハッピーエンドをプレゼントしてやれたんだろうか。


 そんな時だった。傍らに置いたスマホが静かに数度震えると、メッセージの受信を告げる通知が画面へと映り込む。


 咄嗟に視線をそちらに向けると、そこには狙い図ったかのように志津川さんからのメッセージが送られてきていた。


『彩夏さんには全てをお話しても構いません』


 見た目も良ければ運動も出来る。更には頭の回転も素晴らしい彼女にはこの状況は想定済みだったのだろうか。


 僅かに言葉を詰まらせる僕だったが、最後は彼女の意を汲んで事のあらましを僕は鳴海さんへと話すことにした。


「僕が志津川さんから受けた依頼は、彼女の恋を実らせることじゃないんだ」

「……えっ」


 驚くような仕草で鳴海さんの視線が僕を捉える。きっと鳴海さんは僕と志津川さんの関係をずっとそう誤解し続けていたはずだ。


 恋心を実らせたい彼女と、それを手伝う僕。


 ずっと鳴海さんにはそう見えていた。だけど真実は違う。彼女の真意は別にあった。


 それは『最強』の『負けヒロイン』に自らがなること。


 そしてもう一つ。それは実らないと分かっている初恋に、しっかりと決着をつける事。


「志津川さんも同じだったんだ。仁科君の本当の想いを知っているからこそ、鳴海さんと同じように別の選択肢を選んだんだ」


 叶わない想いだと分かっていた。


 だからこそ彼女は、その想いをしっかりと終わらせることを選んだ。


 誰よりも仁科君の幸せを願って、志津川さんは初恋を乗り越えることを選んだのだ。


「私と同じように……」

「鳴海さんも言ったじゃないか、仁科君に幸せになって欲しいって」

「あ……」


 僕の指摘に、彼女は驚いたように小さく声を上げた。


「あの時の言葉はちゃんと覚えてるよ。でも、僕はそれが鳴海さんの本心だとは思ってない」

「……どうしてそんなことを言うの?」


 今度の彼女の視線は、まるで僕に何かを懇願するかのような視線だった。


 それ以上言わないでくれ、そんな想いが籠った視線。だけど僕は自分の口から零れる言葉を止めようとは思わなかった。


 きっと余計なおせっかいなんだと思う。


 自分のような人間が出しゃばるような場面じゃないことは重々承知だ。だけど、僕はこれ以上ただ何かに燻っているだけの鳴海さんを見ていられなかった。


「鳴海さんはさ――」


 夕暮れの潮風が僕らの間を流れていく。


 だけど、そんな心地よい風では決して、鳴海さんの心に根付いた強い思いは浚えない。


「鳴海さんは、今も仁科君のことが心から好きなんでしょ?」


 そんな彼女の強い思いだけは、どうあっても拭えないのだ。


「……好きだよ、好きなんだ。でも、どうしていいか分からないんだ」


 涙に震えるその声が懇願するように言葉を紡ぐ。


「仁科君のことを思うのならば、私の想いは決してあってはいけないの。ねぇ――」


 僕はようやく、天才少女の本当の心を見つけられただろうか。


「助けて……立花君。私の、初恋の消し方をどうか……教えてくれませんか?」


 祈るように告げられる言葉。助けを求めるように伸ばされた手。


 きっと鳴海さんにハッピーエンドは訪れない。彼女は仁科君を中心とした物語の『負けヒロイン』なのだ。だけど、だからこそ、僕はそんな彼女に最高のトゥルーエンドを迎えて欲しい。


 実らなかった想いとどう向き合って、そしてどんなふうにこれからの人生を歩いていくのか。


 志津川琴子が歩み始めた道のりを、僕は鳴海彩夏にも歩いて行って欲しかった。


 とある少女が憧れた強さを、今度は他の少女が願っている。


 ならば、僕に出来る事は決まっていた。


「まかせてよ。僕が全力で鳴海さんを助けるよ」


 空を忘れた天才少女。

 

 だけど僕はこれまで彼女が抱いてきた大切な想いまで忘れて欲しくはない。


「でも、鳴海さんのお願いだけはどうしても聞くことが出来ない」


 だからこそ今回だけは、ボランティア部として、そして立花一樹たちばないつきとして、鳴海彩夏の依頼を聞き入れる訳にはいかないのだった。

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