第45話 夏風が想いを浚って
ログハウスの外には小さな倉庫が一つ設けられていた。
鳴海さんから借りた鍵を使って扉を開けると中には鉄製の簡素な棚と工具がいくつか、それに大きなスコップなんかも置かれている。
「何に使うんだろこれ……」
その他にもよく分からない金具や木の板も並んでいて、例えるなら――
「これ、この前の美術準備室によく似てるな」
先日依頼で訪れた我が桑倉学園の美術準備室にその光景はそっくりだ。
「この場所、もしかして鳴海さんが絵を描いてることと縁があるのかな……」
不意に脳裏に蘇ったのは、このログハウスに初めて足を踏み入れた時の記憶だった。
埃臭さの中に混じるツンとした香り。美術室でも同じ臭いを嗅いだことがある。
「そっか……」
倉庫の中にゴミ袋を置くと、僕はいそいそとその場を後にする。
目の前には森の中にひっそりと佇むログハウス。この場所は、きっと鳴海さんが筆をとるきっかけとなった場所なんだろう。
「立花君ー!」
そんな時だった玄関の扉が開くと、そこから志津川さんが姿を現す。
「どうしたの、志津川さん」
「鳴海さんがそろそろ良い時間だから、少し休んで今後の話をしようって」
「分かった、すぐに向かうよ」
鳴海さんの過去に思いを馳せる余裕はまだまだ無いらしい。
志津川さんを追いかけてすぐさまリビングルームへと戻ると、そこにはテーブルで呑気に麦茶を啜っている鳴海さんが居た。
「お疲れ立花君」
「こっちこそお疲れ鳴海さん。それで今後の話って?」
近場の椅子を引いて腰を下ろすと、志津川さんがグラスに入った麦茶を目の前に差し出してくれた。
「ありがと志津川さん。お昼に使ってたこのグラスってやっぱりここに元からあったもの?」
「シンクの上の戸棚に入ってたんです。ゴミで捨てちゃうのも勿体ないですし、せっかくだから使ってみようと洗ったものです」
「酔狂だよね、わざわざこんなもの残してるなんて」
声を上げたのは鳴海さんの方だった。
僕の手元のグラスをやたらと熱心に見つめている。透明なガラスの向こう側からこちらを覗く美少女と目が合ってなんだかむず痒い。
「それでなんだっけ、今後の話だっけ?」
手元のグラスの残りをぐいと飲み干すと、鳴海さんはそう呟く。
「志津川さんが僕を呼んでくれた時にそう言ってたけど」
「うん、そろそろ夕方だからさ」
鳴海さんの言葉につられるように手元のスマホに目を落とす。彼女の言うようにお昼ご飯を食べてから大分時間が経っていたらしい。
夏の長い太陽のせいですっかりと時間の感覚が狂ってしまっていたようだ。三時のおやつには遅すぎる時間表記は僕らがここに来てからの長さを如実に物語っていた。
「もうそんな時間なんだ……」
「そうだね。二人のおかげで大分進んだし、今日はもう帰ろうかなって」
「薫子さんが迎えに来てくれるんだっけ?」
鳴海さんの叔母である薫子さんが、僕らを送り届けてくれた時にそんなことを彼女に言っていた。
「うん。だから二人も軽く荷物をまとめといて」
「はいっ、分かりました!」
景気のいい返事とともに志津川さんは机のグラスを手際よく片付けていく。
こういうところが本当に気が利く女の子だと思う。彼女が学園の天使と呼ばれる所以は、その余りにも常人離れした魅力的な容姿だけじゃない。
本当に天使のようなその立ち振る舞いもあってこそ、彼女は桑倉学園のアイドルと足りえるのだろう。
「……立花君?」
不意にそんな学園の天使に僕は名前を呼ばれる。
「え、あ、はい、立花ですけど、どうしたの?」
「あーいや、そんなに熱心に見つめられますと、なんだか気恥ずかしいのですが」
「え、あ、ご、ごめんっ」
そんなつもりじゃなかったのだけど、僕はいつの間にか食い入るように志津川さんを見てしまっていたらしい。
「……なんなのこのやり取り」
そしてそんな僕らを呆れるように見つめる黒真珠の美少女。
鳴海さんは小さく乾いた声を上げると、そのまま自分の荷物の元へと向かって言った。
「叔母さんに電話しちゃうね」
そう言うと鳴海さんはスマホを取り出す。
「掃除用具はどうする?」
「おきっぱなしでいいよ。どうせ明日も来るし」
耳元にスマホを当てながら、僕の言葉に鳴海さんはそう答える。
「らしいよ志津川さん。分かりやすいところにまとめておこうか」
「ですね、リビングの隅っこで良いでしょうか?」
「良いんじゃないかな」
「それにしても……」
そう言いながら志津川さんの視線はどこかおぼつかない。まるで見えない何かに思いを馳せているようだ。
「どうしたの?」
「あ、いえっ、別に晩御飯が楽しみとかそういう訳ではなくてですねっ!」
どうやらそういう訳らしい。
晩御飯は気合いを入れて作るって薫子さんは言ってくれていた。お昼のお弁当も美味しかったし、志津川さんじゃないけれど僕も晩御飯は楽しみだ。
「あれ、柄にもなく立花君もどこかワクワクしてますね?」
「そりゃね、お昼ご飯も美味しかったし、晩御飯も楽しみになるはずだよ」
「ふふっ、同類ですね」
いつの間にか晩御飯楽しみ同盟がここに結成されていたらしい。
「二人とも」
どうやら鳴海さんの電話は終わったらしく、再び彼女は元居たテーブルへと戻ってくる。
「叔母さん、30分ぐらいで来るらしいから最後に外の草むしりだけ三人でやろうか」
「あぁ、表側結構大変なことになってたもんね」
「雑草だらけでした!」
三人で勇んで外へと踏み出すと、山の背を駆け上がってきた海風がそっと頬を撫でていく。
「気持ちがいい風ですね」
「……そうだね」
志津川さんの言葉に同意して見せる鳴海さんの横顔は、どこかこの風に懐かしい想いを馳せている様だった。
「……どうかした?」
不意に鳴海さんと目が合った。驚いた表情を一瞬見せた彼女は、しかしどこか戸惑いを隠すように僕へとふと微笑む。
「何でもないよ」
なんというか、僕は僅かな間で随分と美少女を見つめる男になってしまったらしい。
相手が悪い気がしていないからこそ許されているが、この無意識の癖は出来れば治したほうが良いだろう。
「さて、軍手も付けたし、建物の周りからやっていこうか」
そんな自分を戒めるべく、僕は一気呵成に手袋をつけて生い茂る雑草へと向き合っていく。
どことなく後ろに立つ志津川さんの視線が痛いが、この際それは気にしないことにした。
「おーい、迎えに来たよー!」
それから数十分後、宣言通り薫子さんのバンが姿を見せる。
「ありがと叔母さん」
「お迎えありがとうございますっ!」
「助かります」
「良いってことよっ」
行きと同じく山道を車に揺られながら思う。
結局あのログハウスは、鳴海さんにとってどういう場所なんだろう。
そしていつかのファミレスでの志津川さんとのやり取りも思い出す。
「信じている……か」
僕は鳴海さんのために一体どんなことが出来るんだろう。
胸の奥からプカリと湧いて出る無力感から来る呟きは、だけど揺れる車内で誰の耳に届くこともなく消えていくのだった。
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