第43話 それがあなたの優しさだから

「それじゃあ次は……こっちの部屋をお願いしていい?」


 午後からの作業も順調そのものだった。


 リビングルームの掃除も早々に切り上げ、次は一階の他の部屋の掃除へととりかかろうとしている。


 志津川さんは相変わらずキッチン周りの細かい汚れと格闘していたけれど、僕と鳴海さんは箒を片手に別の場所へと向かっていた。


「こっちの部屋は?」


 案内された場所は六畳ほどの簡素な作りの部屋だった。備え付けのクロゼットとベッドが一つ。部屋の扉はリビングルームに直接繋がっていて移動も楽だ。この具合ならばそんなに時間はかからないだろう。


「こっちは所謂ゲストルームって奴。ここに泊まりに来る人達によく使ってもらってた……気がする」


 次第に尻すぼみになっていく彼女の言葉も、記憶がおぼろげだと思えば当然のことだろう。建物の様子や鳴海さんの今までの言動を見るに彼女もここを訪れるのは久しぶりのはずだ。


 それならこの場所がどういう風に使われてきたのかあやふやだったとしてもなんらおかしなことじゃない。


「で、ここを二人で掃除するの?」


 シンクのしつこい汚れと未だに戦っている志津川さんの支援はどうやら望めそうにない。それならばここから二人がかりでやっていくのだろうか。


「いや、ここは立花君にお願いしようかなって」


 そう言って鳴海さんは片手に持った箒を僕の方へと押し付けてくる。どうやら僕は同じ戦場で戦うはずの味方にも見捨てられたらしい。


「鳴海さんはどうするの?」

「私はこっち」


 彼女が指さしたのはリビングルームの一番奥、そこに静かに佇んでいるもう一つの扉の方だった。


「あぁ、一階はもう一部屋あるんだっけ」


 ログハウスの一階はリビングを含めて三部屋。先ほどみんなで昼ご飯を食べたリビングルームと更には僕が今から掃除を任される客室、そして最後が鳴海さんが指さしたあの部屋だ。


「あっちも客室なの?」

「いや、あっちは……」


 僅かに言い澱む鳴海さん。その仕草からあの部屋が彼女にとって特別なことは明らかだが、どうやら彼女の躊躇いにはまだそれ以上の意味が込められているらしい。


「あっちはこのログハウスの前の持ち主が使ってた部屋なの」


 彼女曰くそういう事らしい。そう言われると確かに位置や大きさからしてあの部屋が特別な理由も分かるというものだ。


「だから、出来れば私がやりたいんだ」

「……なるほど、そういう事なら」


 女の子にそこまで言われちゃこれ以上は踏み込めない。


 もし助けを求められたらすぐにでも飛んでいくけど、余計なことは出来るだけしたくない主義の僕としては言われたこと以上に出しゃばるのは悪手と言わざるを得ないだろう。


「何かあったら手伝うから」

「うん、よろしくね」


 背を向けて去っていく鳴海さんの背中をしばらく見守ると、僕もすぐさま彼女に指示された部屋の掃除に取り掛かった。


「……思ったより埃が多いな」


 掃除を始めてすぐに、僕はこれが思ったより手こずりそうな作業だという事に気づいた。


 広さも大きくはないし、動かせる家具もそこそこだ。なのに掃いても掃いても埃の山が部屋の隅に集まり続けるのは、この建物が本当に長年放置され続けてきた証拠だと言えよう。


「様子はどうですか?」


 床の掃き掃除が終わったころ、ようやく志津川さんも僕の方へとやって来た。


「シンクとの戦いは勝利できた?」

「もちろんっ! ですがこいつがなかなかに強敵でして……」


 休憩がてら興味本位でキッチンの方へと足を運ぶと、そこにはここに来た時とは見違えるほどの光景が広がっている。


「凄いね……」

「えへへっ、こう見えて私お掃除大好きなんですよ」


 確か志津川さんの家にはお手伝いさんがいたと思うんだけど、こう言うのは自分たちでやったりするんだろうか。


「母がこう言うのは他人に任せきりにするのはよくないと。幼い頃からそう言われてきましたので」


 なるほど。きっと掃除だけじゃなくて色々な事を志津川さんのお母様は彼女に言い聞かせてきたのだろう。


 それが今の志津川琴子しづかわことこというまさに理想の女の子を作り上げたのだとしたら、その功績は教科書に記されるべきほどの偉業に違いない。


「そう言えば鳴海さんはどちらに?」

「あぁ、あっちの部屋を掃除するって言ってたけど……」


 そう言えば僕が客室を掃除し始めてからもう30分ほど過ぎただろうか。


 しかしその間彼女が部屋から出てきた形跡はなく、僅かに開け放たれた扉の隙間からは忙しなく今も動き続ける鳴海さんの人影だけが見て取れる。


「鳴海さんっ」

「どうしたの、立花君」


 声をかけるとすぐに向こう側から返事が返ってきた。


「あ、いや、大丈夫かなって」

「うん、大丈夫だよ。ってか、そんなに私が心配?」


 扉の隙間からちょこんと顔だけ覗かせて、彼女は曖昧に笑って見せた。


 僕よりちょっとだけ背の低い彼女の、僅かに僕を呆れるように見つめる上目遣いがやたらと印象的だった。


 仁科にしな君は本当にどうしてこんな究極に近い3択を選ぶことが出来たんだろうか。


 志津川さんはもちろんのこと、鳴海さんだって大概美少女だ。まぁ、そこについては仁科君にしか感じられないことがあって、そして仁科君にしか選べないことがあったんだと思う。


 粟瀬さんという大切な女の子に寄り添うことを選んだ彼のことを、僕は心から尊敬していた。


 だからこそそんな彼に選ばれなかった女の子たちの背中をちょっとだけでも押してあげたいと思う。


 驕りだと思う。図々しいとも思う。だけど、それが僕が今まで出会ってきた彼女達負けヒロイン達に出来る精一杯の恩返しだと思うからだ。


 運命のいたずらでそんな立場になった彼女達にも、それでも僕は明るく笑っていて欲しかった。


「……どうしたの、そんなに熱心に見つめちゃって」

「え、あ、いや、そんなつもりじゃなかったんだけどっ!」

「ふふっ、冗談だよ。私は大丈夫だから」


 そう言って鳴海さんは再び部屋の奥へと消えていく。


 だけど僕はずっと気付いている。君と初めて出会ったあの日から、君はずっと大丈夫じゃない。


 しまい込んだはずのその想いが、ずっと鳴海彩夏なるみさやかという女の子を苦しめている。


「……立花君は優しいです」


 不意に先ほどまで僕らを遠巻きに見つめていた志津川さんがそんなことを呟いた。何が、ととぼけようとした僕の口を、しかし彼女の真剣な目が咎めた。


「僕はそんなんじゃ……」


 しかしそんな言葉を志津川さんは食い気味に否定する。


「優しさって受け取る側の解釈次第だと思うのです。例え立花君がそう思っていなくても相手がそう思うのならばそれは間違いなくあなたの優しさですよ」


 真剣な顔で見つめられたもんだから、照れくささから思わず視線をそらしてしまった。


「あははっ、照れちゃいました?」

「……そんなんじゃないよ」


 否定したところでバレバレだろうに、僕の中のちっぽけなプライドがなぜかそれを否定させた。


「でも、ありがとう」

「どういたしまして」


 志津川さんの言葉は僕の指標だ。もし僕が間違ったことをしたときは必ず彼女がそれを間違っていると口にしてくれることだろう。


 傍らの雑巾をバケツの水へと浸しつつ、僕はなんとなくそんなことを考えるのだった。 

 

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