第41話 約束の地へようこそ

 磯山家を車で出発して20分ほど。


 車窓から見える見慣れぬ山道に若干のソワソワを隠せない志津川さんをよそ目に、僕はぼんやりと車の窓に映り込んだ助手席の少女を眺めていた。


 整ったその顔つきはどこか険し気で、だけどその奥には小さな決意の炎が揺らめいているようにも見てとれる。


 つくづく不思議な女の子だな、と僕は改めて鳴海彩夏なるみさやかをそう評した。


「何考えてるんですか?」


 不意に先ほどまで外の景色に興味津々だった志津川さんの声が僕の耳に飛び込んでくる。


 大型のバンとはいえ車内は狭い。到底今思っていることを本人の目の前で口にできるような状況では全くなかった。


「あぁいや、どんなところなんだろうって思って」


 だから僕は誤魔化すようにそう口にするのだった。


「ログハウスのことですか?」


 曖昧な物言いだったにも関わらず志津川さんは的確に僕の会話に答えてくれる。


「うん。鳴海さんはログハウスとだけ教えてくれたけどさ」


 瞬間、運転席の薫子さんが小さく笑みを溢したのが分かった。


「薫子さんはご存じなんですか?」


 その笑顔の意味を問いたくて、僕はハンドルを握る彼女へと話題を振る。


「当然知ってるわよ。なんたって今の所有者は私だからね」


 その返答に思わずまさか、と声が出そうになる。


 よくよく考えてみればおかしな話だ。


 ログハウスが誰かの所有物であることには違いない。これが公共の施設だったら一介の女子高生である鳴海さんがどうして掃除なんかするのかという話になる。


 そのため、当然その所有者は彼女の知り合い、または近しい人という事になる。


 それじゃあ今度はその所有者と鳴海さんはどんな関係なのかという疑問が湧いてくる。


 今までの付き合いからして鳴海さんが奉仕精神に溢れた今どき珍しい若者とは到底思えない。だから今回の依頼もきっとゆえあってのものだろう。


 知り合い以上の誰か。


 鳴海さんにとって大切な人。


 「今の」と薫子さんはそう口にした。つまり元の所有者こそ鳴海さんにとって忘れられない誰かなのだろう。


 もしかしたら、僕らは今から空を忘れた天才少女の大切な場所に足を踏み入れるのかもしれない。


「ちなみにどんな場所かを教えていただけたりは……」

「それは駄目」


 僕の質問を咎めたのは、ハンドルを握る彼女ではなくその隣でただ話に耳を傾けていた鳴海さんの方だった。


「ごめんね一樹いつき君。さやちゃんもそう言ってるし私からは何も言えないわ」


 そう言われてしまうと僕からはそれ以上何も聞くことが出来ない。


「後でちゃんと伝えるから」

「だ、そうですよ。期待して待っていましょう、立花君」


 最終的には志津川さんからの助け舟もあり、鳴海さんが道中それ以上の口を開くことは無かった。


「さて、着いたわよ。相変わらず草だらけね」


 話題を切り上げてしばらくのこと、山の頂上付近まで近づいた車はふと山道から逸れて僅かな空間に足を止めた。


 前の座席から降りる二人に倣い僕らも後部座席から地面に足を下ろす。


 そんな僕らの鼻先を不意に付いたのは土の匂いと木の匂い、そして木漏れ日の中を駆け抜ける穏やかな潮の香りだった。


「立花君、手伝って」

「あ、うん」


 鳴海さんに呼ばれて車の方へと近づくと、鳴海さんがトランクから何やら荷物を下ろしている。


「これ、掃除用具?」

「うん。ゴミとか出るだろうし、箒とか雑巾とかも必要でしょ?」


 確かに、彼女の言う通り手ぶらでやってきて掃除をしますなんて言われても出来る事なんてたかが知れている。


 彼女はボランティア部の手も借りて、二日がかりで掃除をする気なのだ。使う道具だってそれなりのものが必要になるのも当然だった。


「帰りはまた連絡くれるんでしょう?」


 荷物を下ろし終わると、再び運転席へと乗り込む薫子さんがそう声をかけてくる。


「うん。また電話するね」

「分かったわ。三人とも気をつけてね。晩御飯は気合を入れて用意をしておくから」

「あ、ありがとうございます」

「ご飯楽しみにしてますっ!」


 『ご飯』というワードにキラキラと目を輝かさせている我が学園の天使は一旦置いておいて、僕はとある疑問を鳴海さんへとぶつけることにした。


「ここ、電波通じるんだ」

「そりゃ普通の山だし」


 言われて気付く。そりゃ今いる場所は樹海や峰が複雑に入り組んだような場所ではない。


 海岸線に沿って僅かに起伏が出来上がった場所。山といっても標高は500メートルほどだ。


 付近の地形に比べたら間違いなく山という山なのだが、携帯の電波が届かないような場所かというにはあまりにも文明に近い場所だ。


「夕方には電話する予定だから」

「そう言えばお昼も近いけど」


 10時に合流してもう既に一時間以上が経過している。夏のお天道様は木々の隙間からでも僕らのてっぺんに居ることが分かる。


「お弁当、用意してもらった」


 そう言えば先ほど降ろした荷物とは別に、鳴海さんが車から風呂敷に包まれた何かを大事そうに降ろしていたのを思い出した。


「叔母さんの手作り。後でみんなで食べよう」


 そう言うと鳴海さんは小さくその顔に笑みを浮かべた。


 大切そうに風呂敷を抱きかかえると、そのまま鳴海さんは空き地をどんどんと進んでいく。彼女の足取りを見るまで気づかなかったがどうやらこの空間の先には小さな道があるらしい。


「志津川さんも着いてきてね」


 晩御飯にすっかり意識が持っていかれてしまっている志津川さんを咎めるように告げると、僕も直ぐに鳴海さんの後を追いかけた。


「……ここがそうなの?」


 鳴海さんの向かう先は本当にすぐに目の前に現れた。どうやら木々に覆われて最初の空き地からは見えなかったらしい。


 すっかり獣道のようになった細道を抜けると、目の前には小さな木造建築が姿を現した。


「素敵な建物ですねっ」

「そうだね」


 志津川さんの言う通り雰囲気はまるでヨーロッパの山小屋だ。小さいながらも趣のある二階建ての建物は、山頂から海を見下ろすような恰好で静かにその場に佇んでいる。


「なんというか、雰囲気あるね」


 外壁は僅かに朽ちている形跡があるものの建物自体はしっかりとしている。長年しっかりと管理が行き届いていたのだろう。


 しかしこの様子だとここ数年はそれも疎かになっていたようだ。ここに来るまでの道中の雑草も、外壁についてしまっている苔もきっとそのせいに違いない。


「それじゃあ、中に案内するね」


 懐から何やら小さな鍵を取り出すと、鳴海さんはそれを鍵穴へと差し込んだ。その直前に僅かに何かを躊躇うかのような仕草を見せたのは僕の見間違いだっただろうか。


 一歩。扉を開けた鳴海さんが恐る恐る屋内へと足を踏み入れた。隙間から見える部屋の中は僅かに埃っぽいものの物は少なく整頓されているようにも見て取れる。


 不意に先行していた鳴海さんがこちらを振り返った。


「ようこそ二人とも」


 嬉しそうな、それでいて悲しそうな、更にはどこか懐かしそうな。彼女が浮かべるその表情に僕は今一体何を思うのだろう。

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