第40話 放っておけない存在

「いやぁ、さやちゃんにこんなに素敵なお友達がいたとはね」


 車に乗り込んですぐに運転席の女性が笑い声をあげた。


「お、お世話になります、立花一樹たちばないつきです」

「同じくお世話になります。志津川琴子しづかわことこです」


 バックミラー越しに自己紹介を済ませると、ハンドルを握る彼女はその整った顔に人懐こそうな笑顔を一つ浮かべる。


「私は磯山薫子いそやまかおるこ。うちに泊まってく間は気軽に薫子おばさんとでも呼んでね」


 そう言うと薫子さんは右手の親指をびっしりと立てると、それをミラー越しにこちらに見せつけてくる。


 最初は鳴海さんのような人なのかと思っていたけど、容姿は似ているだけでその性格は随分と異なるらしい。


「二人が来た理由はさやちゃんから聞いてるわ。さやちゃんのお手伝いをしに来てくれたんでしょう?」


 薫子さんがちらと助手席へと視線を移すも、そこに座ったままの鳴海さんはぼんやりと車窓から外を眺め続けている。


「さやちゃんってあんまり人付き合いの得意な方じゃないでしょう? だからおばさん、最初お友達を連れてくるって聞いた時はびっくりしちゃって」

「……叔母さん、恥ずかしいからやめて」

「でね、その話をしたら旦那も喜んじゃって。今日はお友達も一緒にもてなしちゃうぞーって」

「だから叔母さん、もういいって」


 鳴海さんの言葉もどこ吹く風か。心地よく窓の外から吹き込んでくる海風のごとく、薫子さんの口は助手席からの風程度じゃ止まらない。


 その後も道中あれやこれやと思い出話に花が咲き、その間僕らも適当に学校での出来事なんかを話しながら、15分ほどの道中は何事もなく終わりを告げた。


「さて、とりあえず部屋を用意したから荷物置いて準備しちゃいなさい」


 車が到着したのは誰もが想像つくようなとある平屋の日本家屋だった。しかし予想外だったのはその大きさ。


 襖で区切られた畳の部屋が大きな床張りの廊下で繋がっている。縁側には小さな庭もあり、こんな建物に普段から全く縁がない僕はその立派さに圧倒されるばかりである。


「お、お邪魔します……」

「お邪魔いたします」


 玄関から屋内へと足を踏み入れると、更にその様相からこの家の立派さがうかがえる。


 ヒノキの梁に木製の彫刻。屋内を包む空気から僅かに香る匂いからはまるでこの家の歴史と鼓動を感じられるようだった。


 しかしそんな屋内の中でもひと際目を惹いたのは、廊下に掲げられた一枚の大きな絵画だった。


 どこか高い場所から海を見下ろすようなアングル。遠くの方には海岸線が続いていて、そのすぐ裏手には青々とした緑の山が描かれていた。


 海と山と空。ただの風景画のはずなのに、それはどこか懐かしくて、それでいてあったかくて、物悲しいような暖かいような、そんな感情が込み上げてくる一枚だった。


「あの――」

「実はお邪魔するにあたり父から預かりものがありまして……」


 絵について尋ねようと思った僕の言葉を遮ったのは志津川さんの言葉だった。


 鞄から大きな紙袋を取り出したかと思えばそれを丁寧に薫子さんへと差し出す。


「い、いいのよそんなに気を遣わなくたって」

「いえ。お世話になるのになにも心遣いが無いなんて、志津川家の娘としてあるまじきことです」


 志津川さんが取り出した紙袋には見覚えがある。


 休日には行列ができると言われるほどの滝田市有数の製菓店の紙袋だ。志津川家ほどの人間であればそんな立派な製菓店とも繋がりがあってもおかしくない。


 というかそんなもの見せられると僕としてはなんというか恥ずかしい。


「こちらはわたくし志津川琴子と、そして立花一樹からのお気持ちという事で」


 そう思っていたら、そっと志津川さんはそこに僕の名前を添えてくれた。思わず彼女の顔色を窺うと、その視線は「貸しひとつですよ」とでも言いたげだ。


 流石に今回は志津川さんには頭が上がらない。


「本当にっ!? じゃあ頂いちゃおうかしら」


 そんな僕ら子どもの気遣いを察してか、薫子さんも丁寧にそれを受け取ってくれた。


「それじゃあ後で一緒にこれは頂いちゃうとして、まずはお部屋を案内しようかしら」


 薫子さんの為すがままにそのまま二晩お世話になる部屋に案内される僕ら。

 

「えっと、琴子ちゃんはこっちで、一樹君はこっちの部屋を使ってちょうだい」


 いつの間にか薫子さんの呼び方も苗字から下の名前に変わっていてすっかり久しぶりに会った親戚のおばさん状態だ。


 さっきの絵のことについては聞けずじまいだったけれど、この家で二晩も過ごせばそのうち誰かしらに尋ねる機会が来るだろう。


 そう考えた僕はそのまま薫子さんの案内のままに和式の部屋へと案内される。


「お手洗いはあっちで、この廊下をずっと行けばリビングに辿り着けるわ。それで――」


 そう言うと薫子さんは意味深に僕の耳元へとそっと顔を近づけてくる。


「一樹君はさやちゃんと琴子ちゃん、どっちが本命なの?」

「なっ!?」


 慌てて薫子さんへと視線を飛ばすと、そこではにやにやと僕の様子を楽しそうに伺う美人の笑顔が輝いている。


「ど、どういう意味で……!?」

「どういう意味って……。ほら、さやちゃんは明るい方じゃないけれどよく見なくても美人じゃない? それに琴子ちゃんだって気が利く素敵な女の子じゃない。あんなに綺麗な子、私初めて見たわよ」

「そ、それはそうですけど……」

「当然、男の子だったら放っておけないでしょう?」


 それに関しては薫子さんの言う通りだ。


 現に志津川さんは多くの男子共に言い寄られているし、実は鳴海さんだって隠れファンは多いのだ。


 そんな美少女二人に挟まれる僕。これが普通のラブコメだったら二人の女の子の間で揺れる僕、なんて展開もあるだろう。


 しかし現実はそう甘くはない。


 あの日、花火大会の夜まで、少なくともその二人の美少女はとある男の子のことが好きだった。


 優しくて気が利いてスポーツも万能で勉強もできる、おまけに顔もイケメンというとんでも主人公属性持ち高校生。仁科奏佑にしなそうすけその人のことだ。


 今も彼女達が同じ想いを抱いているのかは分からない。


 既に彼の気持ちが違う少女のところにあると知りながら、あの日と変わらぬ想いを二人が抱き続けているかどうか僕には知る術なんてない。


 だけど少なくとも、薫子さんの言うように「放っておけない」というのは間違いない。


「薫子さんの言う通り、放っておけないってのはその通りだと思います」

「あら、その様子じゃちょっと違うのかしら?」

「ええ、ご期待に沿えなくてごめんなさい。僕の言う放っておけないってのは、この場合は好きとかそういう意味とはちょっと違うのかもしれません」


 僕の好きな『負けヒロイン』がこんな言葉を口にしていた。


 『悔しくても、悲しくても、それでも好きだった人のために精一杯笑えるような、前向きな女の子。私は、あの子たちみたいになりたいんです』


 僕は、そうなりたい女の子たちのために、ちょっとだけその手伝いがしたいだけなんだ。


 彼女達が精一杯笑った笑顔の先。その先には必ず彼女達が心から好きだった相手がいて欲しい。それはきっと僕なんかじゃないし、僕であって欲しいはずもなかった。


「……なんとなく、さやちゃんが一樹君を連れてきた理由が分かったわ」


 そう言って薫子さんはその綺麗な顔に小さな微笑みを浮かべた。


「えっとそれってどういう……」


 その意味を問おうと薫子さんの背中に声をかけるも、既に彼女はリビングへと続く廊下の方へと足を向けてしまっている。


「さ、お話はここまで。この後すぐにログハウスに向かうんでしょ?」

「あ、はい。でもさっきの話って……」

「一樹君も準備しちゃいなさいな。ほら、あなたの『放っておけない』が待ってるわよ」


 遠くから志津川さんが僕を呼ぶ声がした。


 廊下の隅からひょこりと顔を覗かせるその横では、鳴海さんが早く来いとでも言いたげな顔でこちらを見つめている。


「ちょっと待ってて、すぐ準備するから」


 美少女二人を僕なんかが待たせるのは忍びない。


 案内された部屋に荷物を下ろすと、僕はすぐさま鞄の中から取り出した作業着に袖を通すのだった。

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