第39話 青と緑の狭間にて
滝田駅から鈍行列車を乗り継いで一時間と半分。
鳴海さんが指定した
「それでですね、柚子ちゃんったら思いっきりプールに頭から落ちちゃって!」
「だ、大丈夫だったの……?」
その日、ボックス席の向かい側に座る
ちなみに今は先日仁科君や粟瀬さんと行ったプールの話を聞かされていて、その前にも小さい頃の夏休みの思い出や最近作ったお気に入りの手料理と話題に事欠かない。
「仁科君が慌てて助けに飛び込んだんですよ」
おお流石イケメン主人公。僕の期待を裏切らないところは流石だ。
「ところがどっこいですよ! 実は柚子ちゃん、仁科君より泳ぐのが上手くて! そのまま潜ったかと思えばすいーっと仁科君の後ろに回り込んでたんですよ!」
「それは仁科君も一杯食わされたって奴だね」
そう言えば粟瀬さんは確か運動が得意だったはず。有名な話だけどそれを忘れるくらいに仁科君も幼馴染の突然のことに驚いたみたいだ。
それよりも「ところがどっこい」って今どき使う女の子が目の前にいることの方が僕としては驚きだけど。
「何か言いたげですね?」
「い、いや……、なんというか志津川さんも夏休み満喫してるね」
「えへへ」
いや、そんなに嬉しそうに笑顔を浮かべられましても。
それが初恋の人と、その初恋の人がずっと恋心を寄せていた幼馴染との三人でプールに行った話じゃなかったら僕も心からその笑顔を受け入れられたんだけどね。
「そ、それよりも、今日は本当に助かったよ」
さて、そろそろ本題に入ろう。
夏休みも十日を過ぎ、カレンダーの日付も7月から8月へと表記が変わった。そんな夏真っ盛りの平日にどうして僕と志津川さんが鈍行列車で見知らぬ土地へと向かっているのか。
それは、鳴海さんから持ち込まれた『依頼』を実行するためだった。
「当たり前じゃないですか。私も正式なボランティア部員ですよ! それに、鳴海さんには何やらただならぬ縁を感じるのです」
そう言って志津川さんはうんうんと何かに頷いて見せた。
いや、その何かは大概見当が付くんだけど。
「それに、立花君が私を頼ってくれたのが嬉しかったのです」
「あーいや、それはなんというか……」
僕が一人で受けてしまった手前、この依頼も僕一人でこなすのが筋なのではないだろうか。
そう最初の頃は思っていた。
しかし事情を知った志津川さんはこの件についてなぜか随分と乗り気だったらしい。更にはそれを知った鳴海さんからの言葉もあり、僕はあえなく彼女を今回の依頼に誘わざるを得なかったのだった。
「志津川さんの力が借りたかったんだよ」
「ふへへ……そう言ってもらえて嬉しいですぅ」
こんなにいい笑顔をされたら最初はそんな気なんてなかったなんて今更言える訳もない。
それに、きっと志津川さんじゃなければ伝えられない言葉だって、きっとどこかにあるはずだ。
「ん、そろそろじゃないですか?」
ふと志津川さんが乗車口上に小さく流れる電光掲示板へと目をやった。
「ほんとだ。なんだかんだですぐに着いたね」
掲示板には『森沢駅』の表示が流れており、それが次の停車駅であることを告げていた。
「こちらで電車に乗るのは初めてだったのですが……立花君のおかげで退屈せずに済みました」
「それはこっちの台詞だよ。やっぱり声をかけてよかった」
これは本当だ。
車窓からの景色は確かに物珍しさはあったものの、同じ空間に一人でずっとというのは流石にままならなかった。
「それじゃあ忘れ物が無いように降りましょうか」
「そうだね」
車両が停車駅へとたどり着くと、僕らはすぐにホームへと降り立った。
「おお……」
「これはこれは……」
そんな二人の口を付いたのは感嘆の声。きっと僕も志津川さんも目の前に広がるその光景に思わず口からため息を漏らしたのだろう。
「調べた時にもしやと思っていましたが」
「なんというか、凄い場所だね」
目の前に広がるのはどこまでも深い青。そして幹線道路を挟んで背後に広がる鮮やかな緑。
二つの色の美しいコントラストが、目の前に何とも言えない不思議な空間を生み出していた。
「ホームからこれほどまでに海が見えるのも珍しいですよね」
「それにすぐに背後が山だなんて、なんというか絵になるね。それじゃ、待ち合わせの時間もあるし行こうか」
鳴海さんからは事前にこの時間に森沢駅前のロータリーに居るように、という連絡を受けていた。
現在時刻は朝10時を僅かに回ったところ。この辺にいれば分かるのだろうか。
「すぐに見分けがつくものでしょうか?」
森沢駅周辺は僕が思っているよりも賑わっていた。乗り入れている路線は一つだけだが、国道が近く常時多くの車が行き交っている。
そのためかロータリーには今も数台の車が止まっており、その中の一台が迎えのそれだと言われると正直どれかお手上げだ。
「うーん、連絡くれるとは思うんだけど……」
先ほど到着した旨の連絡を入れると、不細工なのか可愛いのかよく分からないサカナの切り身をモチーフにしたキャラのスタンプが一つだけ送られてきた。
滝田水族館、通称滝水のマスコットであるタタッキーだ。道中志津川さんにスタンプについて尋ねると、最近一部界隈でタタッキーは人気なのだと教えてもらった。
その界隈、僕は二人しか知らないんだけど……。というかいつの間に公式スタンプになってたんだタタッキー。その時だった。
「おまたせ、立花君」
不意に後ろから鈴の鳴るような声で名前を呼ばれる。
「それと、志津川さんも来てくれたんだ」
そこにいたのは、淡いベージュのブラウスに白いプリーツスカートを纏った
「……や、やぁ」
突然現れた鳴海さんに僕はただただぼんやりと口を開けるしかできない。
なぜならば夏空に青い海、その下でどこか照れくさそうに笑う鳴海さんが、どこまでも絵になる人だったからだ。
「……見すぎです、立花君」
「え、あ、あ、ご、ごめんっ」
ぺちり、と鈍い音を立ててなぜか僕の腕が志津川さんに叩かれた。いや、見惚れてたってのはあるけれど、それでももっと良いやり方があったと思うんだよなぁ。
「……私がどうかした?」
「あ、いや、なんでも」
鳴海さんも志津川さんに負けず劣らずの美少女だ。しかし、そんな鳴海さんが志津川さんと大きく違うところがひとつ。それは自らのそのずば抜けたルックスにあまり頓着していないという点である。
黒真珠のような艶やかな黒髪に凛と澄んだ瞳。幼さの中にどこか人を突き放すかのような鋭さを含んだ整った顔つきは100人に聞いたら100人が彼女を美少女だと答えるだろう。
だけど彼女が自らの容姿を誇るような発言を僕は一度も耳にしたことが無い。
「それならいいけど……二人とも疲れてるだろうしこんなところで長話もね。でも、長い事電車に乗った後で申し訳ないけど、もう少しだけ付き合って欲しいんだ」
そんな鳴海さんは、先ほどの僕と志津川さんのやり取りなんて無かったかのようにロータリーに停まった一台のバンを指さした。
「叔母さんに迎えに来てもらったの。乗って」
彼女が指したバンの運転席では、数十年経った鳴海さんはきっとこんなに美人になるんだろうな、とふと思ってしまうような女性がにこやかにこちらに手を振っていたのだった。
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