第33話 いつかどこかに置き忘れた空

 僕の元に「依頼」の連絡が来たのは、志津川さんから散々依頼が来ていないかの連絡が寄せられ続けるとある平日のことだった。


「ボランティア部員になって早一週間っ! ようやく初めての依頼ですよ立花君!」


 待ち合わせ場所となっている学校の校門へ向かうと、朝早い時間だというのに志津川さんは既に準備万端で僕の到着を今か今かと待ち受けていた。


 桑倉学園一の美少女と言っても過言では無い志津川さんが朝一で校門前に立っているのだ。部活動や補習で登校してきた生徒は何事かと気が気じゃないだろう。


 そんな志津川さんが待っていたのがボランティア部員である僕だったときの周りのリアクションと言ったら……。どうして世界の終りのような目で僕を見るんだ。僕はただのボランティア部員だというのに。


「それで、依頼主というのはどなたなんでしょうか?」

「あぁ、それは――」


 ボランティア部はこの学園でもなぜか異常に危険視されている。まぁ、それもこれもあのとんちき部長のせいなのだけれど、そのせいであまり好き好んで関わりたがる人間はいない。


 しかし頼まれた「依頼」はしっかりとこなすということには定評があるようで、今回の依頼主も前回の「依頼」に満足してまたボランティア部を頼ったらしい。


 所謂リピーターという奴である。


「今回の依頼主は高梨さん。2-Eの生徒で、美術部の部長なんだ」

「へぇ、ということは今から向かうのは美術室ですか?」

「そういうことだね」

「なるほど、それでわざわざ学校で待ち合わせをした理由がわかりました」


 夏休みだからといって校内の雰囲気が劇的に変わるわけではない。


 部活動はもちろんのこと、補習だって行われている。通常の授業が無いだけで普段とあまり変わりはないのだ。


 仁科君の一件で美術室にあまりいい思い出はないのだけれどそんなことを言っていてもしょうがない。志津川さんを伴なって東棟二階の美術室へと向かうと、既にそこには今回の依頼主が待ち受けていた。


「おはよう高梨さん」

「あっ、立花君っ! いやぁ今回は助かるよ!」


 そこに居たのは一人の女の子だった。


 志津川さんと同じ制服に身を包んだ女の子。彼女こそ今回の依頼主である桑倉学園美術部部長、高梨燈佳たかなしとうかさんだ。


「って……なんで志津川さんが!?」


 高梨さんの驚く声が美術室に響き渡る。そりゃ彼女が驚くのも無理はない。志津川琴子しづかわことことボランティア部。まさかここに繋がりがあるなんて学園の誰もが思いやしないだろう。


「あー、実はちょっとした事情でね」

「今ボランティア部を手伝わせていただいてるのです!」


 食い気味でそう宣言する志津川さんに、高梨さんは思わず一歩身を引いてみせた。


 そりゃそうだろう。普段はお淑やかが服を着てるような女の子だ。それがなぜこんなに張り切っているように見えるのか。それはひとえに彼女がようやくきた依頼に舞い上がっているに過ぎない。


 だがそんなこと高梨さんが知る由もない。


「と、とりあえず志津川さんも今回の「依頼」を手伝ってもらう予定なんだ。まぁ、普段とやることは変わらないから、高梨さんもそんなに気負わないで欲しい」

「そ、そんなつもりはないんだけど……」


 志津川さんがいることにどうやら納得してくれたみたいだ。


「それじゃあ早速今回の「依頼」なんだけど……」


 そう切り出しては見たものの、高梨さんからの「依頼」はもう既に彼女から連絡を貰った時に聞いている。


 その内容はいたって簡単。「美術準備室を片づけるから手伝って欲しい」といったものである。


「美術準備室の片づけって聞いてるけど」

「え、あ、それなんですか!?」


 逆に驚いたのは志津川さんの方だった。


「もしかしなくてももっとごたごたした依頼だと思ってた?」

「そ、それは――」


 そう言えば以前今までどんな依頼をこなしてきたのか、と志津川さんに聞かれたことがあった。僕も聞かれた手前プライベートなことは出来るだけ伏せて話したのだけれどそれでも随分と面白おかしく語ってしまった気がする。


 確かその時志津川さんが一番食いついていたのが浮気調査の話だったな。


 なるほど、この人ボランティア部がそういった裏仕事みたいなものしか受けない組織かなんかだと思ってたな。


「依頼は依頼。そこに大小はあれど、貴賤は無いよ」

「た、確かに……」

「それじゃ、早速やろうか」

「うん、まずはあっちの資料を段ボールに入れてもらおうかな」


 そんな具合で始まった美術準備室の片づけ。使わない資料を段ボールにまとめて、備品なんかを定位置に戻す。その都度高梨さんからはわかりやすい指示があり、作業は順調に進んでいった。


「そういえば他の部員の方はいらっしゃらないのでしょうか?」


 両手は塞がっていても口まで塞がる訳じゃない。作業に慣れてくると、時折こうやって雑談も交わせるようになった。


「実はうちの部、7人しかいなくて……。しかも運悪くみんなの都合も付かなかったんだよね。私も私で明日から田舎のおばあちゃんちに出かけちゃうし」

「なるほど……それで早急な人手を求めてボランティア部に連絡を入れた訳ですね!」

「そゆこと。まさか志津川さんまでついてくるとは思ってなかったけど」

「そ、それにはマリアナ海溝より深い事情がありまして……」

「なにそれ、世界で一番深いじゃん」


 いつの間にか志津川さんと高梨さんは随分と距離を縮めていた。


 元より志津川さんのその人当たりの良さは有名だ。更には高梨さんも社交的なタイプだし、仲良くなるのも時間の問題だったのだろう。


「ボランティア部には以前も助けてもらったからね」

「そうなんですか? ちなみに前回はどんな依頼を……?」

「それは――」

「あーあーあー! 高梨さんっ! これどこに持っていけばいいのかなー!」


 高梨さんから持ち込まれた初めての依頼は僕にとっては苦い思い出だ。どちらかというと記憶の奥にしまっておきたいようなもの。


 それがどうしてまたこのタイミングで掘り返されなきゃいけないんだ。


「ど、どうしたんですか立花君っ! いきなり大きな声出されると驚いちゃいます!」

「や、その話はおいておいて……」

「……なるほどねぇ、ふふっ」


 高梨さんはどうやら僕が大声を上げた原因にすぐさま思い至ったようだ。どうか、頼むからこのことは内密にして貰えないだろうか。


「あの高梨さん、その件については……」

「分かってるって。ちゃんと志津川さんに話しちゃうよ」

「鬼かっ!」

「ほらほら、立花君のいないところでお話ししてあげるよ!」


 そう言って高梨さんは志津川さんを伴って美術室から続く美術準備室へと姿を消す。いや、志津川さんもなぜそんなに嬉しそうについていってるんだよ。


 このままじゃ僕の黒歴史が志津川さんにバラされてしまう。


 そう思った僕は二人を、というか正確には高梨さんを止めるべく彼女達の後を追った。


「それで、高梨さんがボランティア部にお願いした初めての依頼ってなんだったんです!?」

「実はうちって男手がいなくて――」


 準備室に足を踏み入れると、まさに高梨さんがその件について口を開こうとしていたところだった。


「ご、後生だから言わないで!」


 慌てて準備室に突入した僕は、そのまま勢い余って部屋の隅にあった本棚に思い切りぶつかってしまう。


「ちょ、大丈夫立花君!?」

「へ、平気だよ……」

「物凄い音がしましたけど」


 心配そうにこちらを覗き込む二人。可愛い女の子二人に心配されるなんて役得だな、とも思ってしまうが原因が原因なだけに複雑な心境だ。


「た、高梨さん、ほんとにそれだけは……」

「仕方ないな。体を張った立花君に免じてここは引いてあげよう」

「ありがとう」

「志津川さんも、聞きたかったら本人に聞いてみて」

「むぅ……そこまで言うのならしょうがないですね」


 どうやら僕の危機は去ったらしい。


「あと、ごめん。片づけて欲しいって依頼なのに逆に散らかしちゃって……」


 さっき僕がぶつかった衝撃で本棚からは数冊の作品集が飛び出してしまっていた。咄嗟に拾い集めようと手を伸ばすと、ふと視線の先の志津川さんが床に落ちたとある一冊に釘付けになっていた。


「どうしたの、志津川さん?」

「た、立花君、これなんですけど……」


 彼女が拾い上げたのは無数の本に混じったとある一冊の作品集だった。表紙には鮮やかな夕焼けが描かれていて、いったいどこの有名な画家が描いたのだろうと思わず興味を惹かれてしまう。


「それがどうかしたの? すっごく綺麗な夕焼けだけど」

「そ、そうじゃありません、ここです。この絵を描いた方の名前が載ってるのですが……」


 そう言って志津川さんは表紙のとある箇所を指さして見せる。


「……えっ」


 心臓が一つ大きく鳴ったのが分かった。


 『千歳東中学校三年 鳴海彩夏』


 空を忘れた天才少女の過去が、しだれ柳の下の幽霊のように僕らの前にふわりと姿を現した。

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