黒真珠の空に涙は似合わない

第32話 再び始まると言う訳でもない『負けヒロイン』さんの戦い

 魅力的なヒロインたちが様々な創作で跋扈ばっこする今日こんにち、作者の都合や読者の意思、または様々な要因で意中の男性と思い通りになれない女の子たちがいる。


 物語という辻褄からはじき出された悲しき存在。


 彼女たちはいつしか『負けヒロイン』と呼ばれるようになり、一部の変わり者たちに愛されるようになっていった。


 そんな『負けヒロイン』に憧れて僕の元へとやって来た志津川琴子しづかわことこが自称『最強』の『負けヒロイン』を名乗るようになって一週間が過ぎようとしていた。


 5年間ずっと好きだった初恋の男の子、仁科君との恋に破れた志津川さんはしかしそれでも前を向くことを止めない。


 彼女が憧れた負けヒロインたちのように、精一杯笑い続けることを選んだのだ。


「それで、入部届ってどこで貰えたりするんでしょうか?」


 夏休みも一週間が過ぎたとある日曜日の午後のことだった。


 僕の自宅のリビングで、妹の入れた冷たい緑茶に口を付けながら志津川さんはそんなことを尋ねてきた。


「入部届?」

「はい、だってこの前言ったじゃないですか、ボランティア部のお手伝いをさせて欲しいって」


 それは確かに覚えている。僕が志津川さんの依頼を手伝ったように、彼女自身も誰かの手伝いがしたいのだと。


 それに関しては異論はない。むしろ志津川さんの決めたことを僕なんかが捻じ曲げられる訳もない。


「それに関しては理解してるよ」

「ですよね!」

「僕としても助かるよ。正直僕だけじゃ出来ることも限られてくるし、それに志津川さんがいることで依頼を出すことに躊躇ってる人たちの背中も押せるだろうし」


 僕の所属する桑倉くわくら学園ボランティア部には、なぜか良からぬ評判が付きまとう。


 一部の生徒達には危険視されているし、また別の生徒達には学園の秘密組織なのではと不審がられている節もある。


 決してそんなことはないのだが、日頃の行いが行いなだけにそう思えてしまうのもまた事実だ。


 まぁ、それもこれも全て我がボランティア部のトップである西園寺さいおんじ部長のせいなのだが、僕がその片棒を全く担いでこなかったかと言われるとこれもまた否なのだった。


 そんなボランティア部に学園一の美少女である志津川さんが入ってくれると、今まで我が部の悪評を耳にして依頼を躊躇っていた人たちもきっと足を運んでくれるんじゃないだろうか。


 困っている人の手伝いをすることに生きがいを覚えている僕としては志津川さんのおかげで状況が好転するのは願ったり叶ったりだ。


「もちろん歓迎するよ」

「なら早速入部届を出させていただきたいのですが!」

「それは無理な話なんだよ」

「こんなに頼んでるのにどうしてですか!?」

「あー、それなんだけどうちには……あっ」


 そこでようやく僕らの会話がなぜどこか噛み合わないのかに思い至った。


「志津川さん」

「はい、志津川さんです」

「その、一つ確認したいんだけど……」


 そんな僕らの会話を、なぜか妹の雫梨しずりも固唾を飲んで見守っていた。


「ボランティア部って部じゃないんだ……」

「……へっ?」


 志津川さんの随分と気の抜けた声が、我が立花家のリビングに響き渡った。


「えっと、あの、えっと……えっ?」

「よくよく考えて欲しいんだけど、いま志津川さんの知ってるボランティア部員って何人いる?」

「それは、立花君とみったん先輩と……あれ、二人?」

「その通り。ちなみに桑倉学園の規定では、部活動として正式な活動を認められるには5人の部員が必要なんだ」

「つまり……?」

「ボランティア部ってのは西園寺部長が勝手に部活動を名乗ってるだけのただの学生の集まりなんだよ」


 志津川さんの口があんぐりと空いていた。歯並びが綺麗だなとか、女の子の口の中って少々エロティックだなとか思ったけど、当の本人からしたらそれどころじゃないらしい。


「じゃじゃじゃ、じゃあっ、部室は!?」


 確かに。ボランティア部は東棟4階のとある教室をよく活動拠点としている。志津川さんとよく作戦会議をした場所で、彼女にとっては既に馴染みの場所と言えるだろう。しかしそんな教室も――


「あそこ、空き教室だからって勝手に西園寺部長が占拠してるだけなんだよね」


 静かに、本当に静かに、志津川さんは頭を抱えた。


「みったん先輩、無茶苦茶じゃないですか……?」

「それは今更だよ。ちなみに生徒会からこの前三度目の退去命令を貰ったって嬉しそうにしてたよ」

「それじゃあ私はどうやってボランティア部に入ったら……」


 机の上のお煎餅を齧りながら、志津川さんは寂しそうに呟いた。


 あれだけ意気込んでいたのに現状がこれじゃ、落ち込むのも無理はない。


「そんなの簡単じゃないですか、お姉様っ!」


 しかしそんな志津川さんに救いの手が差し伸べられる。振り向けば、そこでは先ほどまで静かに事の成り行きを見守っていた雫梨がどや顔でこちらを見つめている。


「わ、私はいつの間に雫梨さんのお姉さんになったのでしょう?」

「えへへ……こんな美人さんをお姉様と慕わずにいつ慕うのでしょう!」


 初対面の時に結ばれた謎の姉妹関係はどうやら今も健在らしい。


 気付いたら妹に姉が出来ていた。よく分からないと思うが、僕自身が一番よく分からない。


「それで雫梨さん、その簡単な方法とは?」

「それって結局いつにいとあのちっこい先輩が琴子さんの入部を認めちゃえばいいってことでしょ?」

「……確かにですね」

「その通り、だな」


 僕のボランティア部への入部は西園寺部長の強引な勧誘がきっかけだった。そうだよな、どうして僕はその方法に気づかなかったんだろう。


「毒されてるんだよいつ兄……」

「そうかも」


 部長の常識はずれがいつの間にか染みついてしまっている自分にそこはかとない恐怖を覚える。


「それで、結局私のボランティア部への入部は認めてもらえるのでしょうか?」

「そりゃもちろん、当たり前だよ」


 西園寺部長へと経緯を伝える連絡を入れると、数分と経たずに「歓迎しようっ!」という旨の返信が届いた。


「部長も歓迎してるってさ」

「やった!」


 部長からの返信を志津川さんへと見せると、彼女は胸の前で小さくガッツポーズを作って見せた。


「これで正式なボランティア部員ですね!」

「そうだね」

「おめでとう琴子さん!」


 雫梨とハイタッチを交わしながら嬉しそうな笑顔を見せる志津川さん。

 

「今日から早速頑張っちゃいますよ!」 


 さて、こうして志津川さんがボランティアの正式な部員となった訳なのだが、ここに来てとても重要なことが一つ存在する。


 ボランティア部の主な活動は学園内外問わず様々な人達から持ち込まれる「依頼」をこなしていくことである。


 駅前のゴミ拾いや児童施設の手伝い、それに近所のお年寄りの畑の手伝いにベビーシッター、更にはどぶ池の掃除に浮気調査。思えば本当に様々な依頼を受けてきたと思う。


 つまり、僕らは「依頼」を受けなければボランティア部としての活動が出来ないのだ。


「それなんだけど……今、受けてる依頼が何一つないんだよね」

「え……それじゃあ……」

「ボランティア部として活動できることって、今なにもないんだよ」

「そ、そんなぁ……。これじゃあお煎餅をやけ食いするしかないじゃないですか!」

「どうしてそうなるんだよ」


 『最強負けヒロイン』志津川琴子しづかわことこのボランティア部初日は、山盛りの煎餅との激しい戦闘の末に幕を閉じたのだった。

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