第31話 負けヒロインさんの戦いはこれからだ!

「いつにいっ、なんかどえらい美少女が来たんだけどっ!?」


 夏休みも3日目に突入したある日のことだった。


 我が妹、立花雫梨たちばなしずりの叫び声が僕の部屋に響いたのはまだベッドの中で睡魔と仲良く追いかけっこをしているそんな時だった。


「あのなぁ雫梨、人の部屋に入るときはノックぐらいしろって……。というか夏休みなんだからもうちょっと寝させてくれよ」

「駄目だよっ!お母さんは自治会の用事で出かけちゃってるから私じゃどうしようもないしっ! あとその人、いつ兄に会いに来たとか言ってるっ!」


 机の上の時計は10時30分を僅かに回ったところを示していた。


 昨日WEB小説を夜通し読み耽っていた僕としては早起きも良いところである。


「だから早くっ! 私、お客さんにお茶出してくるからっ!」


 そう言い残し雫梨は部屋から去っていった。


 いや、それよりも誰なんだよどえらい美少女って。名前を尋ねるとかあったと思うんだけど。


「仕方ない。行くか……」


 ベッドから這いずり出ると最低限の衣服に着替えて部屋から出る。雫梨はああ見えてしっかりものだ。僕がいなくてもちゃんとお客の対応ぐらいは出来るだろう。が、そのどえらい美少女が気になってしまう僕もいる。


 もしかしてと心当たりもあるのだが、まさか彼女が僕の家を訪ねてくるわけもない。


「妹さんはお茶を淹れるのがとてもお上手なのですね」

「えへへぇ……綺麗なお姉さんに褒められると照れちゃうよぉ」


 2階の自室からリビングへと降りると、そこには確かにどえらい美少女が妹が淹れたのだろうお茶を飲んでいた。


「そうだお姉さんっ、昨日お父さんが出張先で買ってきたお煎餅があるの。お茶によく合うからこっちもどうぞ!」

「まぁ、ありがとうございます!」


 妹と談笑しながら机の上のお煎餅に手を伸ばす美少女。


 ちょっと食い意地の張ったその美少女を、僕はよく知っていた。


「ちょっと待てぃ!」


 咄嗟に荒げてしまった声に彼女も僕の存在を認識する。


「あ、お邪魔してます立花君っ!」


 テーブルの向こうで、どえらい美少女こと志津川琴子しづかわことこが見慣れたいつもの笑顔で僕へと小さく手を振っていた。


「いやいやいやいや、お邪魔してます、じゃないよっ! こんな朝早くにどんな用事でっ、ってかどうして僕の家を知ってるのさ」

「立花君のご自宅は、みったん先輩が教えてくれました」

「おい西園寺っ! プライベートだぞっ!」

「まぁまぁまぁ、私がお願いしたのであまりみったん先輩を怒らないで上げてください」


 ぐぬぬ……志津川さんにそう言われるとあまり部長にも強く言えない。むしろ部長はそれを分かった上で志津川さんに僕の家の住所を教えたな。


「あの……そろそろ私も会話に混ぜてもらっていい?」


 ふと隣を見ると、雫梨が困惑した顔で僕らを交互に見つめていた。


 確かに、実の兄が見知らぬ美少女と仲良くしてたら困惑するのも当然だ。


「あー、この人は僕の高校の友人の――」

「志津川琴子と申します」

「し、しづかわ…………。んっ!? し、志津川っ!? あのっ!? なんで!? 」


 雫梨の脳がオーバーフローした。


「ちょちょちょどういうこと!? いや、同姓同名の可能性もあるけど! でも同姓同名の美少女が二人も存在するなんて世界があるわけもなくっ! いや、むしろ志津川琴子という名前にすれば美少女になれるっ!? いつにい、私も今から志津川琴子に改名するっ!」

「落ち着け」

「ご、ごめん……」


 僕の言葉ですぐに雫梨は元に戻ったようだ。


「雫梨が想像している志津川さんで間違いないよ」

「そ、そうなんだ……」


 志津川さんは美少女だ。


 それは我が桑倉学園だけじゃなく、この滝田市に存在する多くの高校にも知れ渡っている。当然、雫梨が通っている高校だって例外じゃない。


「それよりも雫梨、お前ちゃんと自己紹介したのか?」

「そ、そうだったっ! いきなり目の前に超絶可愛い女の人が現れた衝撃で忘れてた!」


 こほん、と一つ改めると雫梨は志津川さんへと丁寧に頭を下げた。


「兄がお世話になっております、立花一樹の妹、立花雫梨と申します」


 これは兄としてのうぬぼれかもしれないが、我が妹も志津川さんに負けず劣らずの美少女だ。自己紹介一つとってしてもそれなりに様になるのも納得だ。


「雫梨さん、ですね。よろしくお願いします」


 自らに返された笑みに雫梨は思わず魅入っていた。確かに耐性が無いと志津川さんの微笑みと正面から対峙するのは難しいだろうな。


「それで、結局志津川さんはこんな朝からどんな用事で?」

「いやぁ、実は『依頼』のお礼をしていないなと思いまして」


 僕はちらと雫梨の方へと視線を寄こした。


「そう言えばお母さん、お昼ご飯までに帰ってこれないんだって。だから自分たちで何とかしろって。だから私、ちょっとスーパーまで買い物に行ってくるね」


 そう言ってその場を立ち上がる雫梨。本当に出来た妹である。


「お金は?」

「大丈夫! お母さんから貰ってるから!」

「気をつけてな」

「うんっ!」


 玄関の先に消えていく雫梨を見送ると、僕は改めて志津川さんへと向き直る。


「ごめんね、話遮っちゃって」

「いえいえっ! 素敵な妹さんですね。彼女がこの前お話してた?」

「そうだよ。それよりも『依頼』のお礼の話だっけ」


 時折、僕らの依頼主は依頼完了後にそんな話を持ち掛けてくる。正直それが欲しくて僕らはボランティア部をやっている訳ではないし、現にモノとして何かを受け取ったことは一度もなかった。


「お礼は受け取れないよ。そんなつもりで志津川さんを手伝ったわけじゃないし」

「みったん先輩もおんなじことを言ってました。いっくんはどうせ断るからって」


 流石部長。こういう時はしっかり僕の意を汲んでくれる。


「だからお願いがあるんです」

「お願い?」

「はいっ! 私にボランティア部をお手伝いさせて欲しいんです。今まで立花君にお世話になったように、私も誰かの手助けがしたいです!」


 それは意外な提案だった。


「それはありがたいことだけど……」


 志津川さんが協力してくれるのなら、ボランティア部に付きまとう悪い評判も少しは払拭できるかもしれない。


「それと同時に、もう一つ……」


 先ほどまで明朗だった志津川さんが突然その口を濁らせた。


「もしかして、また『依頼』?」


 そう言うと彼女は小さく首を縦に振った。正直僕はもう志津川さんのお願いなら何でも聞いてしまいそうだ。


 彼女の依頼なら、僕はきっと地獄の底まで付き合うのだろう。


「何でも聞くよ。言ってみてよ」

「では――」


 大きく深呼吸をすると、意を決したように志津川さんは口を開いた。


「私より、強い奴に会いたいのですっ!」

「………………は?」


 長い沈黙の後に、ようやく絞り出せた言葉がたったそれだけの疑問の声だった。


「えっと、順を追って説明しますね」

「出来れば僕にも伝わるようにお願い」

「この度、私は立花君のおかげで『最強』の『負けヒロイン』になれたわけですよ」

「まぁね」


 志津川さんがあの日流した涙を僕は一生忘れないだろう。今まで出会ったどんな創作の女の子たちよりも、あの瞬間の志津川さんは世界で一番の負けヒロインだった。


「でも、それって多分私と立花君の中でのお話だと思うのです」


 おっと、ちょっと雲行きが怪しくなってきたな。


「私たちの知らないところで、私よりも強い負けヒロインが居るかもしれない」

「あぁ……そういう事」


 ようやく話が呑み込めてきた。


「つまり志津川さんは、現実リアルに存在する自分みたいな女の子に会いたいんだね」

「ですですっ!」


 随分と突拍子もないことを言い出すなと思った。それと同時に、それを少しだけ楽しそうだと思ってしまうゲスな自分も存在している。


 現に僕は一人、志津川さんを超えるかもしれない原石に出会っている。


 それ以外にもきっとこの世界には多くの恋に破れる女の子が存在しているはずだ。


 そんな女の子たちが少しだけ前を向けるような、その手伝いをしていくのも悪くはないなと思う。それが『負けヒロイン』に心を奪われた僕らが出来る、負けヒロインへの恩返しなんじゃないだろうか。


「もしそれが志津川さんの心からのお願いだったら、僕は協力するよ」

「……また、ワガママに付き合わせちゃいますね」

「望むところだよ」 


 どうやらこれからも、僕と志津川さんのこの奇妙な関係は続いていくらしい。

 

 それからしばらくして、雫梨が両手いっぱいのレジ袋を手に戻ってきた。


「雫梨さん、お手伝いしますよっ!」

「ほ、本当ですかお姉様っ!」


 いつの間にか僕の知らないところで謎の姉妹関係が結ばれていた。


 それからすぐに昼ごはんの用意を始める二人。雫梨に続いてキッチンに向かう志津川さんの背中を見つめながらぼんやりと思う。


 負けヒロインとは物語の都合のために創られた言わば当て馬のような存在だ。しかし、彼女達は皆その想いが叶うことを信じている。

 自らの想いに真摯に向き合い、心挫き、涙を零し、それでも前を向くその様に僕らは憧れ、恋をする。


 僕はいつの間にか志津川琴子しづかわことこという女の子に魅せられていたのだろう。


 その心の強さに――その生き方に――僕は確かに、恋をしていた。


「立花君っ!」


 ふと、キッチンへと足を向けていた志津川さんが僕の名前を呼んだ。


「私たちの戦いはこれからですよっ」


 その笑顔はどこまでも明るく、どこまでも前を向いていた。


「いや、それ打ち切りエンドだから!」


 僕と志津川さんの『最強』を目指す物語は、どうやらまだ道半ばらしい。

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