第30話 夜空に大輪のさよなら

「……さようなら、私の初恋」


 仁科君が姿を消して直ぐに、志津川さんは寂しそうにそう呟いた。


「さて……。あのですね立花君!」


 ふと、涙交じりの声を吹き飛ばすように、志津川さんは僕の名前を呼んだ。


「な、なんでしょう!?」


 突然呼ばれたもんだから僕も咄嗟に声を荒げて答えてしまう。しまった、ずっと隠れているつもりだったのに。


「……やっぱり居ましたね」

「うぇ、もしかしてカマかけられてた!?」


 バレてたのかと思ったけどそうでもないらしい。どうやら志津川さんは思い付きで僕の名前を呼んだようだ。


「確信1割、期待が5割、後の4割は……立花君への信頼、でしょうか」

「何その分かりずらい割合」

「立花君はそういう人ですから」

「どういうことなのさ」


 バレてしまってはしょうがない。僕はその場を立ち上がると、志津川さんの腰掛けるベンチの一つ隣のベンチに腰を下ろした。


 そう言えば下見の日もこうやって二人で座ったんだっけ。


「相変わらずこっちに来ないんですね」

「泣いてる女の子の横に座るような度胸は持ち合わせてないからね」

「……そういうのは言わないお約束では」


 目元の雫を拭いながら志津川さんは呆れ声で笑った。

 

「浴衣、似合ってるね」

「今言う事ですかそれ」

「言わないのもあれかなって思ったんだよ」


 志津川さんは紺色を基調とした花柄の浴衣を身に着けていた。すらりと伸びた手足と浴衣、そして纏め上げた髪の下にちらりと覗くうなじが彼女をより一層魅力的に惹きたてている。


 仁科君はよくもまぁこんな美少女の告白を断ったものだ。


 愛の力は偉大だといったところだろうか。


「まぁ、仁科君には敵わなかったですけどね」

「それを自分で口にするんだ」

「はぁ……。覚悟はしてましたけど、辛いものは辛いですねぇ」


 振られたばかりの志津川さんに一体何と言葉をかけたものか。


「あ、あのさ」


 どうにか言葉を探しながら僕が口を開いたその時だった。

 

 ドンッ、と一つ大きな音と共に、次々と夜空に大輪の花が咲き誇って行く。


「花火……」

「もうそんな時間か」


 スマホを見るとデジタル時計は花火大会開始の時刻を告げている。


 この瞬間だけはきっと祭り会場に訪れた多くの人が、そしてこの街に住む多くの人が同じように空を見上げているのだろう。


 赤、黄色、緑に青。カラフルな花火が次々に滝田の空を彩っていく。


 そんな空を、僕らはただ黙って見つめ続けていた。


「ずっと……すきだったのになぁ。やっぱり、くやしいなぁ……」


 体中に響き渡る花火の音の中であっても、聞き馴染みのあるその声はやけに僕の耳にしっかりと届いた。


 ちらと横目で彼女を見ると、そこには志津川さんが空を見上げながらただ静かに涙を流し続けていた。


(あぁ……綺麗だ)


 この瞬間だけは、僕は世界で一番最低な奴なんだと思った。恋敗れた女の子の涙がこの世で一番綺麗だと思っているからだ。


 宝石だって、オーロラだって、満開の花火だって敵わない。

 僕の隣には今、世界で一番綺麗な光景が広がっている。


 その景色を綺麗だと思ってしまう僕のことを僕は嫌いだ。それと同時に、僕だけが彼女のその美しさを独占できているんだと誇らしくも思ってしまう。


 やっぱり僕は最低だと思う。だけど、僕はそんな最低な自分をどこか憎めないでいた。


「ねぇ、立花君」


 ふと、先ほどまで静かに空を見上げていた志津川さんが僕の名前を呼んだ。


「どうしたの、志津川さん」

「今の私、どうですか?」


 そんな問いかけに、僕は間髪入れずに「綺麗だよ」と答えた。


「……ふふっ、そうですか」


 自らの『敗北』を彼女は誇らしげに笑っていた。


「私、最強になれましたか?」


 ずっと僕らが追いかけてきた『最強』は、確かに目の前にあった。


「うん。志津川さんこそ、『最強』の『負けヒロイン』だよ」


 今ならば言える。


 大輪の花火に照らされた一筋の落涙を、最強と言わずになんと例えるのだろう。


「ねぇ立花君」

「今度は何?」

「……隣に行っていいですか?」


 僕の答えを聞く間もなく志津川さんは隣へと腰を下ろした。


 淡いシャンプーの香りと、どこか清涼感を感じる洗剤の匂いが僕の鼻腔をくすぐった。


「……今までお世話になったお礼です」


 直後、僕を襲ったのは柔らかな感触と先ほど鼻腔をくすぐった志津川さんの香りだった。


「ちょ、志津川さんっ!?」


 咄嗟に慌てた僕が身を翻すも、その身はがっちりと志津川さんにホールドされて動けそうにない。


 男の意地で後ろに倒れる事だけは防いだけれど、おかげで僕はその場から全く動けなくなってしまった。


 そりゃ女の子一人ぐらいは僕だって引き剥がすことが出来るだろう。


 だけどそれを止めたのは、胸の中で小さく呻く志津川さんの声が聞こえてきたからだ。


「うぅ……ぁあ……っ、ぅぁ……っ、うぅっ……」


 空に咲く大輪の花が、志津川さんの5年分の想いが流れていく音をかき消していった。


 それからどれだけの時間が経っただろうか。


 僕の胸で泣く志津川さんをどうすることもなく、僕はただぼんやりと空に打ちあがる花火をただ見つめていた。


 物語の終わりはいつだってほんのちょっとの切なさを含んでいる。


 それが例えハッピーエンドであったとしても、だ。


 今志津川さんが手に入れたものがハッピーだとは決して思わない。本当だったら志津川さんだって仁科君と両想いになりたかったはずだ。


 だけど、彼女はそうはならなかった未来を真っすぐに見つめていた。そんな強さに僕はいつの間にか憧れていったんだと思う。


 彼女と初めて出会った時、志津川さんはこうも言っていた。


 『私の出会ってきた負けヒロインって、みんな強い子たちなんですよ』


 心の強さ。


 志津川さんがそう表現した強さに僕もいつの間にか惹かれていったんだと思う。そしてそんな強さを、今志津川さんは確かに僕の目の前で示してくれたのだ。


「……もう、大丈夫です」


 いつの間にか志津川さんは泣き止んでいて、その顔には普段の見慣れた笑顔が浮かんでいた。暗がりでも分かるほど目元が赤くなっているのはご愛敬だ。


「ごめんなさい、お洋服汚しちゃって……」

「気にしなくていいよ。むしろ男の勲章だよ」

「勲章?」

「可愛い女の子が僕なんかの胸で泣いてくれた。それって男として凄く誇らしいことだと思うんだ」


 そう口にすると、志津川さんはきょとんと驚いたような表情を浮かべた。


「ちょっとだけ濡れちゃったTシャツは、ここに『最強』の『負けヒロイン』がいたっていう証拠だよ」

「ふふっ……」

「な、何で笑うのさ!」

「だ、だって……、そ、その……っ、カッコつけすぎですよ、立花君っ」


 どうやらやりすぎてしまったらしい。


 でも、おかげさまで志津川さんに笑い声が戻った。


「ありがとうございます、私を元気づけるためですよね?」

「バレバレだった?」

「だって私たちは盟友ですよ?」

「あ、あぁ……そう言えばそうだったね」


 同じ『負けヒロインおんなのこ』を愛してしまった者同士通じるところがあったのだろう。僕の考えはあっさりとお見通しだったようだ。


「さて、帰りましょうか……」

「駅まで送るよ」


 その場に立ち上がり、今だベンチに腰を下ろしたままの志津川さんに手を伸ばす。ふと上目づかいでこちらを見つめるそんな彼女と目が合った。


「……あの日こうやって手を伸ばしてくれたのが立花君だったら、良かったのにな」

「そういう冗談は良くないと思うよ」

「確かに、これは良くないことでした」


 僕には、一人の『負けヒロイン』好きとしてどうしても譲れないことが一つだけある。


 それは、物語にIFは存在しないという事だ。


 二次創作やファンアートでそれを描くことは否定しない。むしろどんどん僕の好きなヒロインたちの創作が増えてくれればと思っている。


 だけど作中のヒロイン達にはそんなIFは存在しないのだ。だから「もしも」に思いを馳せることはあっても、その「もしも」は決して実現してはならない。


 仁科君と志津川さんだってそうだ。


 これこそが彼らが辿り着くべくして辿り着き、選ぶべくして選び取った結末なのだ。「もしも」で世界を変えてしまうことは、その選択を傷つけてしまうことだと僕は思う。


「さて、行きましょうか」


 志津川さんは僕の手を取りながら力強くそう口にした。


 その言葉は駅までの道中だけじゃなくて、その先に続く志津川さんの人生そのものに対しての言葉だったような気がした。


 花火大会は終わってしまったけど、遠くでは未だにお祭りの喧騒がこれでもかというほど響いている。


 そんな中、僕の隣を歩く『最強』はどこか誇らしげな顔を浮かべているのだった。

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