第26話 ずっと大切な人だから
それは後悔に近い独り言だった。
「
そう語る仁科君の目はどこか昔を懐かしむようだった。それにしても差し込む夕日が相まってその横顔がよく映える。
ほんとにイケメンだな。それに加え可愛い幼馴染が居るとか、これが人間力の違いか。
「仲いいよね。体育の時とかよく見るよ」
「あはは……っ、なんか恥ずかしいな」
「いいじゃん。羨ましいよ」
「やっぱそういう風に見えるよな」
彼の言う「そういう風」というのは間違いなく二人が恋人同士、というものだろう。
「最初二人を見た時はいつから付き合ってるんだろうって思ってた」
「よく言われたよ。最近はそうやってからかわれることも減ったけどさ」
僕の渡したミネラルウォーターを一口流し込む。
「俺さ、柚子なら何でも察してくれるんじゃないかっていつの間にか思ってたんだ」
「それってどういう……」
「美術室での話、覚えてるか?」
「うん、もちろん」
先月、僕は鳴海さんを探しに来た美術室で偶然仁科君と出会った。そこで彼が口にしたセリフが僕をより志津川さんへの『依頼』に没頭させていったのだ。
「あの時立花にもう一度彩夏に絵を描いて欲しいって口にしたことは?」
「それももちろん覚えてるよ」
ボランティア部の手を借りるつもりもないことと、そして仁科君が仁科君なりに鳴海さんのことを考えてみるって言葉も。
「俺さ、彩夏に何もしてやれなかった……。それをずっと後悔してて。そして挙句柚子のことまで裏切ったんだ」
「粟瀬さんと一体何があったの?」
駅前でぶつかってきたあの女の子は目の前に現れた僕に気づかないほどずっと俯いたまま走り続けてきたのだろう。
目元に溢れた大粒の雫が、誰かに見られてしまわないようにと。
「彩夏のこと、柚子はあまり協力的じゃなかったんだ」
「なぜ……?」
「無理して避けてきたことを、どうして再び掘り返すんだって怒ってた。きっと彩夏ちゃんには彩夏ちゃんなりの理由があるのにって」
「それを無視して俺は動いて……それが彩夏のためだと俺は信じて……」
「その不満が今日爆発したんだね?」
「本当に察しがいいな、立花は」
褒められたことは素直に嬉しいが、事が事だけにあまり喜べない。
「俺は羨ましかったんだ……彩夏が」
「それはまたどうして」
「俺にはこれといって誇れる才能なんてなかったからさ」
彼が自分をそう評するのは意外だった。
「仁科君は勉強だって運動だって得意だろ?」
「それだって人並みか、他人より少しだけ得意ってだけだ。すげぇ絵を描いて、それがちゃんと評価されて、それがどれだけすごい事なのか。何よりも、それを捨ててしまった彩夏が腹立たしかったのかもしれない」
いつだったか西園寺部長が言っていた。僕は自分を過小評価しすぎる癖があるらしい。あの時はその気持ちが分からなかったけど、なんとなく今は部長が言っていたことが分かるような気がした。
「仁科君だって十分凄いじゃないか」
「俺は、誰かより少しだけ得意な何かじゃなくて、誰にも負けない特別が欲しかったんだ」
「誰にも負けない特別……それを持ってたのが鳴海さんだったんだね」
「だけど、そんな気持ちが柚子をないがしろにしたんだ。それだけは絶対にやっちゃいけないことだった。自分には何もないって、そう柚子に向かって口にしてしまった。俺は、一番大切なものがそばにあるのに、ずっとそれを当たり前だと思い続けてしまってたんだ」
幼稚園からの幼馴染。ずっと一緒でずっと当たり前の存在。それが仁科君にとっての
「私が居るのにどうしてそんなこと言うのって。それで俺、何も言えなくて……っ。走っていく柚子を見ているだけで……っ」
それは怒りに似た感情だった。腹が立つ、というのはこういうことを言うんだと思った。
志津川さんが憧れて、鳴海さんが心許して、そんな素敵なヒロインに好かれた人間がただ情けなく公園のベンチで座っているのが僕はどうしても癪だった。
「そこでどうして……どうして仁科君は追いかけないのさっ!」
逆切れに近い感情の吐露。掴みかかりそうになるのを必死で押し殺しながら、僕は努めて冷静に仁科君へと告げる。
「だけど、行って何をすればいいんだよ……教えてくれよっ!」
「そんなもん自分で考えろよっ! 仁科君なら出来るよっ! ずっと大切な人だったんだろうっ!? ずっと好きだったんだろうっ!? なのにっ、なのにどうしてまだここでそうやって座ってるんだよ」
「でも、俺は彩夏にすら何もできなかったんだぞ。一番大切な柚子に、一体こんな俺が何をしてやれるって言うんだ」
そういえば以前こんなことを思った。
誰かの都合で運命を捻じ曲げられるのは、『負けヒロイン』の有り様によく似ている。そう考えると、この世界で恋をしてしまった時点で、ある種その人はもう既に負けヒロインなのかもしれない、と。
肩書は全く違えど境遇は似ている。仁科君の今は、様々な運命と都合によって複雑にろ過されてしまった雨水なのだ。
だったら僕のやることは変わらない。
「何とかするよ」
「どういうことだ?」
もしかしなくても鳴海さんは今も絵を描いていないだろう。だけどそれは決して仁科君が何もできなかった訳じゃない。
仁科君が一人の天才少女の心を震わせたのは確かだ。
あの時の鳴海さんの表情を、僕は今後も絶対に忘れない。
「ボランティア部が彼女の力になるからさ」
「なっ……」
「絵をもう一度描いて貰うってことは出来ないかもだけど……。
「ボランティア部が……か」
そう言って仁科君は苦笑い浮かべた。我が桑倉学園においてボランティア部が協力するという事がどういうことかを彼なりに解釈したのだろう。
「なら安心だ。それよりも……俺が後悔するほどってどういうことだ?」
あぁいいな。やっぱり『主人公』は鈍感系が安心する。この様子だと本当に仁科君から鳴海さんに対しての恋心は無かったらしい。
「気にしなくていいよ。仁科君は確かに大切なものを鳴海さんにあげてるからさ。それよりも仁科君は、今君が一番心に想っている人の元に今すぐに行って欲しい」
僕はポケットから自転車の鍵を取り出すと、それを仁科君めがけて放り投げた。
「立花、お前これっ」
「明日返してくれればいいよ。2年生の駐輪スペースに適当に停めといてくれればいいから」
「……分かった」
仁科君の顔が何か覚悟を決めたかのような顔に変わった。いいね、仁科君にはさっきみたいな弱弱しい表情は似合わない。
「……ありがとう、立花」
「別に大したことはしてないよ」
僕が精々したことといえば発破をかけたことと自転車の鍵を渡したことぐらいだ。
「でも……」
だけど仁科君はどこか納得していない様子だ。
「じゃあ一つだけお願いがあるんだ」
だったら僕も、ここで計画の最終工程を少しだけ進めることにしよう。仁科君のことを、何よりも大好きな彼女のために。
「終業式の翌日、花火大会があるでしょ?」
「あ、あぁ……
「その日、仁科君が今日粟瀬さんと向き合うように、仁科君のことを心から想っている人が君と向き合うことになると思う。だからその人の想いに真摯に向き合って欲しいんだ。別にその想いに答えて欲しいなんてことは言わない。だけどただ真剣にその言葉に耳を傾けて欲しい。そして仁科君の心のままを彼女に伝えて欲しいんだ」
「それってまさか」
もしかして志津川さんはもう仁科君を花火大会に誘ったりしているのだろうか。
「ほら、行きなよ。粟瀬さんは絶対に待ってるよ」
ペダルを漕ぐ足を停めた彼に、発破をかけるように僕はそう告げる。
「あ、あぁっ!」
何かを言いかけた仁科君だったが僕の言葉に意を決したようにそのまま勢いよく自転車を漕いで公園の出口を目指していった。
(さて、僕が出来るのはここまでか……)
後はもう志津川さんの問題だ。
生憎と花火大会に行く予定はない。当日はのんびり部屋で余暇を満喫することにでもしようか。
それよりも今一番の懸念事項は――
「こっから家まで歩いて帰るの、結構しんどいなぁ……」
花火大会まで後一週間と少し。七月も中旬に入り、夕方も25度を軽く超える日が続いている。
そんな中で歩いて帰る我が家への道は、なんとなく足取りが軽いような気がした。
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