第24話 立花君の結論

 七月も上旬を僅かに終え、我が桑倉学園は期末考査の時期に突入した。


 中間テストのときよりも遥かに増えたテスト範囲に辟易しながらも参考書やノートと向き合う日々が再び始まる。


 勉強ばかりしているとどうにも些細なことが気になってしまうのは人間の性なのだろうか。こんな時、僕はふとぼんやりと彼女のことを考えてしまう。


(志津川さんは知ってたのかな、鳴海さんの気持ち……)


 期末テストの時期は4限で学校が終わる。そうなると必然的に自由な時間も増えるというものだ。


 まぁ、その自由な時間は本来勉強へと充てられる時間なのだろうけどこと僕に至っては赤点を回避しさえすれば大丈夫だろうと慢心に慢心を重ねている。


 親友のカズなんかは最近できた彼女と一緒に勉強会らしい。カズの彼女は別の学校に通っているが、聞けばテストの時期が桑倉学園とモロ被りしているのだそうだ。


 青春真っ盛りの高校生カップルが真昼間から出来た時間を勉強に充てるとは到底思えないけれど。


 とかく、こうして僕は一人の時間を有意義に使うべく自宅の近くのファミレスでひとり物思いに耽っていたのだった。


「やっぱり学生が多いな……」


 高校の期末考査なんて大抵時期が被るものだ。店内は様々な制服の若い男女で溢れてきた。ボックス席の片隅を一人で占拠するのもそろそろ限界が近づいてきている。


 鞄に忍ばせていた『藍色のキャンバス』の新刊は読み終わってしまった。生憎と明日の参考書は自宅の机の上だ。ドリンクバー一杯で粘るのも限界だろう。


「すみません、山盛りポテトフライを一つ。それとドリンクバーを。あっ、お会計は一緒で良いです」


 そんな時だった。鈴のなるような声と共に僕の向かいの椅子に誰かが腰を下ろすのが分かった。


 おもむろに見つめていたスマホから顔を上げると、一人の美少女が小さくこちらに手を振っている。


「こんにちは、立花君」

「え、あ、志津川さん!?」


 そこには、志津川さんが見慣れた制服姿でこちらに変わらぬ笑みを浮かべていた。


「ちょ、ちょっと……っ!」


 唐突に現れた彼女に驚くあまり僕の声は思わず上ずってしまう。


「ど、どうしてここに居るのっ!? ってかこんなところで話し掛けられるとあのっ」


 見れば僕らは周囲の注目をいつの間にか集めてしまっている。が、その原因は僕ではなく、十中八九目の前に座る美少女であることは間違いないことだ。


 志津川さんは他の学校にもそこそこ名前の知れている美少女。そんな美少女がファミレスでぼっちを決め込んでいる冴えない男に声をかけているのはなかなかに珍妙な光景に違いない。


「今は良いんです、そういうのはっ」


 本人も自分が目立つことに自覚はあるだろうに、しかし今はどうやらそれどころではないらしい。生憎と好奇の目に晒されるのは志津川さん程慣れていない。これが変装中だったらまだしも、今は誰が見ても知る人ぞ知る立花一樹たちばないつきその人なのだ。


「じゃ、じゃあせめて席を変わろう……?」

「た、確かにそれは妙案です」


 彼女も周囲の視線が自らに向けられていることに即座に気づいたのだろう。僕の提案をすぐに志津川さんは飲んでくれた。


 幸い僕らのいるボックス席は店内の一番奥に位置している。背中を向けて、なおかつソファの一番奥に陣取れば周囲から志津川さんの顔が見えることはない。


「と、とりあえず、どうしてここに?」


 先ほどよりも幾分ボリュームを落として、僕はそう志津川さんへと尋ねる。


「立花君に聞きたいことがありまして」

「そ、そっか……」


 期末考査の期間中という事もあって最近は志津川さんとの作戦会議もおざなりになっていた。成績優秀と謳われている彼女の勉強の邪魔を僕がしたくなかったからだ。


 しかしその分僕らの情報交換の機会は自然と減っていた。


「それで、聞きたいことって何……?」

「鳴海さんと一体どんなお話をしたんです?」

「鳴海さんと? それまたどうして?」


 鳴海さんの口から依頼の詳細を聞いた日。その日のことを僕は志津川さんに話していない。もちろん話すつもりはこれまでもこれからも僕にはなかった。


 しかしそれをどうして彼女が知っているんだろう。


柚子ゆずちゃんからこんな連絡が来たんです」


 そう言って志津川さんは自らのスマホを机の上に差し出した。


 『そう君とさやちゃん、喧嘩しちゃったのかな……? 琴子ちゃん何か知ってる?』


 そこに書かれていたのはそんなメッセージ。文末には女の子の連絡っぽく、何やら疑問の表情を浮かべる熊のスタンプが使われている。


「これ、そう君ってのは仁科君のことで、さやちゃんってのが鳴海さんだよね?」

「そうだと思います」

「なるほどね」


 想像するに、この前の会話を踏まえて以降鳴海さんが仁科君と距離を置こうとしているのだろう。


 彼女は抱いてしまった自らの恋心を閉じ込めてしまいたいのだ。だからこそそんな態度が粟瀬あわせさんにはそう見えてしまったのだろう。


「もしかしなくても、立花君と鳴海さんの間に何かありましたね?」

「うぐっ……、そ、それは……」


 傍から見ると完全に浮気を追及される男である。いや、まぁ僕が志津川さんとそんな仲になれる訳もないし、よりによってその相手が鳴海さんである訳もない。


「そりゃその……まぁ、あったっちゃあったよ」


 そう言うと志津川さんは一つ大きく溜息を吐いた。


「まぁ、なんとなく想像は付きます」

「……どうして?」


 そんな溜息に乗った志津川さんの声色は明らかに呆れている。


「それは立花君が立花君で、そして鳴海さんが『負けヒロイン』だからです」

「……あっ」


 鳴海さんがボランティア部へと相談事を持ってきた日、志津川さんがどうして「あぁ……なるほど」と何かに納得したような声を上げたのかが分かった。


「志津川さん、もしかして気付いてたの?」

「鳴海さんの表情で分かりました。というかあれですね、我々の業界で言うと臭いがしたんですよ」


 常日頃から負けヒロインを愛していると、無意識のうちに鍛えられてしまうものが存在する。それが『負けヒロインを感じ取る嗅覚』。志津川さんのそれがきっとあの瞬間、鳴海さんに反応してしまったのだろう。


「僕は気づかなかった……」

「まだまだ修行が足りませんね、立花君」


 どうやら僕の嗅覚は現実リアルの女の子には全く反応しないらしい。


「それで、鳴海さんとはいったいどんなお話を……」

「それは言えないよ」


 あの日の話は僕と鳴海さんだけの秘密だ。鳴海さんはきっとその心の内を誰かに晒す気はないのだろう。だったら依頼人として僕はその気持ちを最大限に尊重しなければならない。


「……私でも、ですか」

「例え志津川さんでも、だよ」

「そうですか」


 僕の意志が固いことを察してか志津川さんはそれ以上の追及をすることはなかった。


「依頼を受けるんでしょう?」

「もちろん。だけど志津川さんの依頼を疎かにするつもりはないよ」


 というよりこの二つの依頼については最終的な到達点は変わらない。


 『仁科君が粟瀬さんと付き合う事』


 これがきっと、志津川さんの想いと鳴海さんの意志をどちらも一番に尊重できる方法だろう。


「ならば私から言うことはありません」

「なんかごめん」

 

 だけどそれこそが、僕こと立花一樹たちばないつきの求めるべき答えなのだろう。


「それがきっと、立花君のやり方なのでしょう」


 そう言うと志津川さんはどこか満足そうにその頬を緩めた。


「……そう言ってもらえると嬉しいかな」


 この笑顔を僕一人が占有してしまった事に僅かに優越感を覚えながら、僕はやってきた山盛りポテトにそっと手を伸ばすのだった。

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