第22話 それは大きな思い違いで

 その日は珍しく放課後の空に快晴が戻った。


 どこまでも広がる心地よいほどの青を、ぼんやりと西に広がる紅が侵食を始める時間帯。僕は幸いとばかりに自転車をある場所へと向かわせている。


 桑倉学園の校門を出ると大通りをひたすら東へ。途中ランドセルを背負った小学生の集団に気をつけながら駅前の商店街を抜けるとそこから更に突き進む。


 しばらくすると、目印である千歳川の河川敷が目の前に現れた。


 穏やかに流れる千歳川は両岸に大きな河川敷を備え、この時間帯は運動をする人や平日の夕方に訪れる僅かな余暇を楽しんでいる人で賑わいを見せていた。


 そんな人たちを横目に北へと進路を変えると、すぐに目印となるそれがぼんやりと遠くの空に姿を見せた。


(やっぱり聞いた通りだ)


 僕が今自宅をスルーしてひたすらに自転車のペダルを踏みこんでいるのは、その場所に居るだろうある人と話をするためだった。


「なんとなく来るんじゃないかって思ってた」


 僕がその場所に辿り着いた時、彼女はこちらに脇目も振らずにただぼんやりと空を見上げていた。学校から直接ここへ向かって来たせいか、見慣れた制服を身に着けている。そして相も変わらずその手には太さ1センチほどの頑丈そうな紐が握りしめられていた。


「そりゃあれだけ伝えられてよろしくされちゃ、僕としては来ざるを得ないというかなんというか」

「また会ったね、立花君」

「うん。前回はなんというかたまたまだったけど……。今日は君に会いに来たんだ、鳴海さん」


 鳴海彩夏なるみさやかは僕の挨拶に僅かに視線を寄こして見せると、これ見よがしに手に持った紐を寄こしてきた。


「手伝えってこと?」

「察しのいい男の子は好きだよ」

「都合のいい、の間違いじゃない?」

「そうとも言うかも」


 しかし僕も単純なもので、ほいほいとその紐を受け取るとその先に浮かぶ銀色のバルーンを引っ張る。美少女のお願いは基本的に断れないたちなのだ。


 梅雨の晴れ間の今日の空は随分と機嫌がいいのか、バルーンは紐に従ってするするとその高度を下げていく。5分ばかり紐を引っ張ると楕円形のデカい球体が直ぐに僕の前へと姿を見せた。


「……うん、良く撮れてる」


 紐に吊り下げられていたバルーンから手早くデジカメを回収すると、彼女は満足そうに口元に笑みをこぼした。


 こうして笑っているところを見ると本当に可愛い。校内で見かけるときは不愛想で、僕もここに来るまで彼女の心からの笑顔を見たことはなかった。


 この笑顔を見せられたら思春期男子の心が揺らぐことは間違いないだろう。それはもちろんあの仁科君だって例外じゃない。


「それで、今日はどんな話をしに来たの? 美術部の依頼じゃないでしょう?」


 鳴海さんは近くの倒木に腰を下ろすと、丁寧にバルーンからヘリウムガスを抜き出した。それに倣い僕も近くの倒木に腰を下ろす。


 前回確認していたことだけど、伐採林の一次的な保管場所となっているこの場所には周りに多くの木が積まれている。


「その下り前回やったよ。それと僕は美術部からはなんの依頼も受けてない」

「でも一度はあるでしょう?」

「それは……あるけど」


 だけどその依頼だって別に『鳴海さんを美術部に勧誘して欲しい』なんて内容じゃ決してなかった。まぁ、僕にとっては苦い思い出だけど。


「あるじゃん」

「だけど鳴海さんとは関係ないよ」

「ならいいけど」


 どうやら鳴海さんもその件については納得してくれたらしい。というかどれだけ美術部に入りたくないんだ。


「それで、立花君は何を聞きたいの?」


 さて本題だ。志津川さんの前でああも立派に言い切ったのだ。このまま何の戦果も挙げられないまますごすごと撤退するわけには行かない。


 かといって何を話したものか……。


「……ん?」


 そんな時だった。鳴海さんの通学鞄に見覚えのあるマスコットキャラを見かける。


「それ、タタッキー?」

「うん、よく分かったね」


 滝田市は地方都市ながらレジャー施設が多く点在しており、その中でもデートスポットとして人気の場所が滝田水族館だ。


 有名な水族館のようにイルカやサメはいないけれど結構多くの種類の魚が展示されていて、特に人気なのが甲殻類と触れ合える施設だとか。


 そんな滝田水族館のマスコットこそが、サカナの切り身をモチーフにしたキャラクター、タタッキーである。

 

 ネーミングやデザインがいろんなところに喧嘩を売っているが、市民からは結構人気でグッズもそこそこ売れているらしい。

 しかしなんというか、いわゆるブサカワに含まれるそいつと鳴海さんというのが妙にミスマッチだ。


「私のキャラじゃない?」

「まぁ……。気に障ったのなら謝るけど」

「別にいいよ、事実だし」


 一瞬怒られるかと思ったけど本人は案外気にしていないらしい。


「他人からの貰い物だしね」

「あ、そうなんだ」


 なるほど、そうなると納得だ。もし本人が好き好んでタタッキーのキーホルダーなんてつけてたら僕はとんだ失言をしたところだった。


「いや、私好きだよタタッキー。家にでっかいぬいぐるみあるし」

「それはなんというかごめん」


 前言撤回。やっぱり本人の好みでもあったらしい。というかタタッキーのぬいぐるみなんてあったんだ。しかもデカい。


「これ、粟瀬さんに貰ったんだ。滝水たきすいに行ってきたからって」

「粟瀬さんから?」


 滝水というのは滝田水族館の略称だ。滝田市民は滝田水族館を親しみを込めてみんなそう呼ぶ。この街で滝水と言われて頭に疑問符を浮かべるのはモグリか最近越してきたかの二択だろう。


「うん、遊びに行ってきたからって」

「へぇ。仲いいんだね、粟瀬さんと」

「仲がいい……うーん、どうだろう」


 僕の言葉に、しかし鳴海さんは疑問符を浮かべた。


「まぁでも友達……うん、友達、かな」


 随分と曖昧な言い方だ。だけど他人の距離感なんて他人にしか分からない。僕が外野からどうこう言う問題ではないだろう。


 でもじゃあ、今度は逆にそんな距離感である粟瀬さんをどうして彼女が後押しするような依頼を持ち込んだのか。


「それじゃあこの前はどうしてあんなことを?」


 『粟瀬柚子あわせゆずの恋を、実らせて欲しいの』


 ボランティア部の部室にやって来た鳴海さんは僕に確かにそう告げた。


「突然あんなことを言い出すなんて、鳴海さんと粟瀬さんに特別な関係が無いと起きないでしょう?」


 どうだ、突っ込んだことを聞き過ぎただろうか。


「そうね……」


 そう言うと鳴海さんは苦い顔を浮かべた。


 最近女の子のマイナスな感情の表情を見ることが増えた気がする。志津川さん然りそして目の前の鳴海さん然り。


 本来僕はそういう役回りじゃないはずなんだけどなぁ。こういう時寄り添ってこその主人公だろう、仁科君よ。


「仁科君……」


 そして鳴海さんは僕の頭の中に浮かぶ人物の名前をそのまま口にした。


 一瞬余計な思考を読まれたのかと焦ったけど、よくよく考えると鳴海さんと粟瀬さんの繋がりを考えた時にまず初めに行き当たるだろう人物だ。その名前が鳴海さんの口から出てくることはなんらおかしい事じゃなかった。


「仁科君……?」


 一応僕は鳴海さんの前では仁科君の存在なんて気にも留めていないことになっている。まぁ、もしかしたら彼女と初めて会った時の反応で見抜かれている可能性もあるけど。


 彼女が以前口にした「そういう人」というのは間違いなく仁科君だ。


「そう。同じクラスの仁科奏佑にしなそうすけ。知ってる?」

「……去年同じクラスだったよ」

「そっか……」


 そう言って鳴海さんは小さく天を仰いだ。


 僕の位置からふと盗み見る彼女の横顔は夕方の真っ赤な太陽の元で僅かに紅色に染まっている。


(なんだ、仁科君上手くやってるじゃないか)


 鳴海さんと仁科君の間にどんなやり取りがあったのかを僕は微塵も知らない。しかし彼のことを思う鳴海さんの横顔は、確かに恋をする少女のそれだった。


 だからこそ、僕は次に耳にした鳴海さんの言葉に、ただ息を呑むしかなかったのである。


「私はさ、仁科君に幸せになって欲しいんだよ。私以外の人と一緒に。なによりも彼が好きな粟瀬さんと一緒にさ」

「え、あっ……、仁科君が、粟瀬さんを……好き……?」


 何を言ってるんだこいつは、という視線で鳴海さんが僕を見つめている。だが、僕から言わせてもらえば鳴海さんにこそ何を言っているんだと言わせてもらいたい。


 6月も終わろうとしている。


 かき氷にはまだ少し早いそんな季節に、僕は頭が痛くなりそうなのを必死に堪えるのだった。

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