第21話 この世界は物語じゃない

「いやいやいやいや待ってよっ!」


 僕の悲痛な叫びもどこ吹く風か、「それじゃあよろしくね、ボランティア部さん」とだけ気軽に言い残して鳴海さんは部室の扉から姿を消した。


「ねぇ、どういうことっ!? 聞いても結局分からずじまいなんだけど!」


 状況の混沌さに思わず僕は志津川しづかわさんへと助けを求める。しかし、そんな彼女は事の次第をしっかりと理解しているのかうんうんと数度ただ頷いているだけ。


「ど、どうして鳴海さんがあんなことを言い出すんだよ。彼女はメインヒロインだろう!? 仁科君とくっ付くのは彼女でしょ!? それがなんでまた粟瀬あわせさんの名前が出てくるんだよっ」


 この物語は仁科君という超絶イケメン主人公が絵を描くことを辞めてしまった女の子と交友を図って次第に互いに心惹かれていく物語じゃなかったのか。


 そこに彼に惚れてしまった二人の女の子。粟瀬さんと志津川さんの登場によって物語が面白くなる。それがミソじゃなかったのか。


「いったん落ち着きましょう、立花君」

「そう言われたって……」


 これが落ち着いていられる状況か。ってかそもそもどうして渦中の志津川さんがそんなに冷静でいられるんだ。これまで進めた計画がもしかしたら何の意味もなさないかもしれないんだぞ。


「そもそも、です。私は別に仁科君が誰とくっ付こうと良いと思ってますよ」

「へっ……!?」

「確かにもしこれが一つのお話であったのなら、鳴海さんほどメインヒロインにぴったりな女の子はいないでしょう」


 それを言うなら完璧美少女の志津川さんだって大概メインヒロインを張れると思うが。いや、その場合は少々ジャンルが変わってくるか。


「何やら冷静な分析をされてるようですが……。それはおいておいて、今のは私の本音です。もし仁科君が鳴海さんか粟瀬さんのどちらかと付き合ったとしても、そしてまかり間違って私とお付き合いをしてくださることになっても、私はきっとそのどれもを受け入れると思います」

「でもそれじゃあ志津川さんの目的は……」

「私たちは、鳴海さんのことを大きく勘違いしてしまっているのかもしれませんね」


 続きを言いかけた僕を、しかし志津川さんは諫めるようにそう言い止めた。


「鳴海さんのことを……?」

「言いましたよね、立花君。もしこれが一つのお話であったのならって」

「うん。僕はそう思ってた」

「現実は違うんですよ」


 そう言って志津川さんは相も変わらずの柔らかな笑みを一つ浮かべた。万人が魅入ってしまうような魅力的な笑顔。しかしその裏に、僕は少しだけ寂寥感のようなものを垣間見た気がした。


「筋書き通りに行くことなんて一つもない。いつだって人生は横やりの連続です」

「それはそうだけど……」

「規則正しい食生活を送ろうと思っても、隣にお菓子があるとついつい食べちゃうじゃないですか。そんな想定外の連続です」


 いや、その例えは志津川さんがただ我慢すればいいだけの話じゃないだろうか。


「何か言いたげですね?」

「い、いえ……全くそんなことありませんことですわよっ?」

「口調で全部バレバレです。つまり、私たちはもっと仁科君や鳴海さんとお話すべきなのですよ。私も……もっと仁科君といろんなお話をしておけばよかったと反省しています」


 『計画』なんて大それたことを言っていても、所詮これまでの僕たちはただ変わらない日常を過ごしてきたに過ぎなかった。多少のイレギュラーは増えたかもしれないけれど、自ら進んで何かを変えようとした訳じゃない。


 いや、志津川さんはそうだったかもしれないけれど、少なくとも今までの僕はそうじゃなかった。


「私たちは物語の登場人物じゃない。みんながみんな、自分の想いを抱えて生きているんです。主人公だとかメインヒロインだとか、そういうお話じゃないんですよ」

「志津川さん……」

「私、仁科君ともっとお話がしたいです」


 ぽつり、と今までの後悔を振り返るかのように志津川琴子は確かにそう呟いた。


「終わりがどんな形であれ、このままじゃ私はきっと納得いかないままになってしまいます」


 ずっと懸念していたことがあった。


 それは、志津川さんが仁科君とこれ以上親しくなることで彼女が傷ついてしまう事。


 僕の本当の『目標』は、この初恋が志津川さんにとって悲しい思い出になってしまわないようにすることだ。だからどうしてもただ志津川さんが傷ついてしまう展開だけはずっと避けたかった。


 彼女は自らの初恋の終わりを受け入れている。


 しかしもしそれを今拒んでしまったら。ただ志津川さんが傷つくだけの結果に終わってしまったら。僕はこの可愛くて優しくて、どこか抜けているところのある我が学園のアイドルにそんな風になって欲しくないだけなんだ。


「どうしてそんなに深刻そうな顔をしているんです?」

「僕には僕の考えがあるんだ」

「……私にも言えないことですか?」

「そ、それは……」


 僕は僅かに言い澱む。果たして彼女の問いかけに、僕は自らの心中を明かすべきなのだろうか。


「……うん、言えないよ」


 しばらくしたのち、僕はただ簡素にそれだけを答えた。


「そうですか」

「言えないことについては志津川さんには申し訳ないと思ってる。でもこれは僕だけの問題なんだ」


 僕の表情に何を思ったか、それ以上志津川さんは口を開こうとしなかった。


 なんとなく事の深刻さは理解しているつもりだ。鳴海さんがあんなことを言い出した理由。そして意図。そこには仁科君を中心として鳴海さんと粟瀬さん、そして志津川さんの4人の関係を結ぶ大事な何かがあるはずだ。


「私は、仁科君に幸せになって欲しいんです」

「それは……僕だってそう思うよ」


 仁科君は良い奴だ。親友、と呼べる存在ではないけれど、同じクラスメートとして過ごした僅かな時間でもそれが分かるくらいには彼はそういう男だと僕は思っている。


「私は、きっと立花君以上にそう思っていますよ」

「それは……そうかも」


 志津川さんは5年以上も彼のことを好きで居続けているのだ。単純計算で僕の5倍。更にその密度だって僕の感情のそれこそ何万倍も、志津川さんは仁科君のことを想い続けている。


 そんな彼女が言うのだ。仁科君に幸せになって欲しいんだと。


「僕が協力するよ」


 『最強』の『負けヒロイン』になりたい君が言うんだ。僕の力をそんな風になりたい彼女のために使わずにいつ使うというんだろうか。この世界が物語ではないのなら、せめて物語に憧れる女の子の背中ぐらいは押せるようになりたい。


「僕が鳴海さんに会うよ。だから、志津川さんは仁科君といっぱい話をして欲しい」


 いつからか僕は怖がっていたのかもしれない。

 志津川さんが傷ついてしまうことに。


 だけど彼女は言っていたじゃないか。「悔しくても、悲しくても、それでも好きだった人のために精一杯笑えるような、前向きな女の子。私は、あの子たちみたいになりたいんです」と。


 もしこれからのことでそんな出来事が起きたとしても、志津川琴子という女の子はそれでも明るく笑ってくれるはずだ。


 それが、だって彼女の憧れた『負けヒロイン』達なのだから。


「信じてますよ、立花君」

「僕はそんな大した男じゃないよ」

「それでも、です」


 そう言って志津川さんは照れくさそうに笑った。


 もしこの世界がゲームやラノベの世界だったら、そこにはそれはそれは見事なほどの一枚絵が添えられていることだろう。


 だけどこの世界はそうじゃない。誰かの都合が複雑に積み重なって、誰かの想いが雨水のようにその層を通り抜けていく。


 そうやって通り抜けた先に、その想いは果たしてどんな風に変わってしまうのだろう。


「誰かの都合……か」

「どうかしたんですか?」


 ふと思ったことがある。誰かの都合で運命を捻じ曲げられるのは、『負けヒロイン』の有り様によく似ている。そう考えると、この世界で恋をしてしまった時点で、ある種その人はもう既に負けヒロインなのかもしれない。


「なんてね」

「きゅ、急にどうしたんですか!?」

「……なんでもないよ」

「立花君はそればっかりです」


 でもそんな世界で前向きになるのも悪くないかな、とどこか不服そうにこちらを見つめる志津川さんを見て僕はそう思うのだった。

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