第19話 予期せぬ訪問者

 その日の放課後はこの時期らしく鈍色の空から大粒の雨が市内全体に降り注いでいた。


 昇降口を一歩出るともうそこはバケツをひっくり返したかのような土砂降りで、そんな天気に突っ込む勇気のない生徒達で靴箱の前は大賑わいを見せている。


 6月の天気を甘く見てはいけない。朝家を出るときは雨の一滴も見えなかった空に調子に乗った僕は今日自転車で登校している。


 頼れる雨具は鞄に突っ込まれた折り畳み傘だけ。こんなもので大雨の滝田市を駆け抜けるのは正直気が引けた。


 この際濡れるのはしょうがないとして少しでも雨脚が弱まってはくれないだろうか。


 周囲で途方に暮れる生徒達に混じって同じように空を見つめていたそんな時だった。


「やーやーいっくん。凄い雨だねぇ」


 聞き馴染みのある声が僕の背中から聞こえてくる。咄嗟に振り向くと、そこにはいつもの見慣れた笑顔を引っ提げたロリ系美少女先輩が小さくこちらに手を挙げていた。


「西園寺部長も今お帰りですか?」

「そーだぜぃ。今日はSF研の連中も用事があるらしくてな」


 そう言えばここ一か月ほど部長は部室に顔を出さなくなった。


 昔はよく部室で本を読んでいる僕を邪魔してきたものだけど、最近はそんなこともすっかりない。3年生ゆえに勉強が忙しくなったのかと思っていたのだけれど、どうやら最近はSF研究会の人と一緒に未確認飛行物体探しに勤しんでいるらしかった。


「結局見つかりそうですか。UFO」

「う~ん、それがなぁ、この前まで定期的にあった目撃証言が、最近ピタリと止まっちまって困ってるんだよぉ。いっくんなんかいい案な~い~?」


 部長は小さな体の前でめいいっぱいに腕組みをしながら小首をかしげる。その姿の可愛らしさに思わず何か力になってやりたいと思ってしまうけど、脳裏に浮かんだ今までの思い出が僕に咄嗟に警鐘を鳴らした。


 この姿に僕が今まで何度騙されたことか。ある時は山の中。ある時は川の中。ある時は人の中。ある時は土の中。幸いにして火の中やあの子のスカートの中まではないけれど、とにかく散々いろんなところに行かされたのを思い出す。


「どうしてそんな苦虫をかみつぶしたような顔をしてるんだい?」

「部長のせいですよ」

「なははーっ! すまんなっ!」


 全くタチが悪い。何が悪いって、このとんちき部長は自分のその容姿の良さをしっかりと自覚していることだ。


 これまでこの容姿に騙された何人の男がボロボロと大事なことを口にしてきたことやら。


 部長はもっと志津川しづかわさんの品のあるおしとやかさを見習ってほしい。


「みずっ!」


 そんな時だった。ふと大勢の生徒達をかき分けて一人の男子生徒が僕らの元へとやって来た。


「あれ、きーちゃん。お前確か今日は委員会とか言ってなかったか?」

「終わったんだよ。大雨だし早く切り上げようってことになってさ。で、みずはこんなところで何してるんだ?」


 すらりと背の高い、眼鏡の似合う知的な人だった。ネクタイの色からして僕の一つ上の3年生。親し気な呼び方からして西園寺部長の友人、またはそれに近しい人なんだろう。


「いやぁ、偶然後輩に出会ってね」

「後輩?」


 ちらとその人の視線が眼鏡越しに僕を捉えた。


「2年B組の立花です」


 ぺこりと彼に向かって頭を下げると、部長が「きーちゃん」と呼んだその人も小さく笑みを返してくる。


「3-Aの我妻公継あづまきみつぐだ、よろしく」

「よ、よろしくお願いします」

「後輩ってことはボランティア部の?」

「あ、はい……」


 僕がそう答えると、何を察したのか我妻先輩は苦笑いを浮かべていた。


「みずとは小学校の時からの知り合いでね。大変だろう、みずの後輩は」

「いえ、新鮮な体験ばかりですよ」

「別に隠さなくてもいいさ。みずのことは僕もよく分かってる」


 なるほど、我妻先輩も昔から西園寺部長には振り回されてきたらしい。僕の何倍もきっと苦労してきたんだろうなぁ。


「おいおい、二人でなに盛り上がってるんだっ、私を混ぜろぃ! ってかきーちゃん、私の可愛い後輩にあることないこと吹き込んでないだろうなぁ!」

「いや、みずは可愛いだろうって言ってただけだよ」

「きーちゃんはそう言うと私が喜ぶと思ってるだろっ! その手には乗らないんだからな」


 そんな言葉とは裏腹に先輩はしっかりと嬉しそうだった。


 恋人、というにはちょっと違くて、でも親友というのもちょっと違う。二人の関係はどこか不思議でそれでいてなんとなく僕にはいびつに思えてしまった。


「さて、それじゃあきーちゃんや、せっかくだから一緒に帰るか」

「帰るって、まだすごい雨じゃ……って、今がチャンスっぽいな」


 我妻先輩の言葉につられるように外を見ると、先ほどまで土砂降りだった雨脚が少し弱まっている。


「いっくんも帰るなら今のうちだぞ」

「そうですね、そうします」

「はっはっはっ、喜んでそうするがいいっ!」


 そう言って部長は我妻先輩が開いた傘に流れるように入っていった。


「我妻先輩もお気をつけて」

「おう。立花はみずには勿体ないくらいの良い後輩だな」

「きーちゃん、それ一体どういう意味だ?」

「言葉通りの意味だよ」

「なにおうっ!」


 傍から見たら仲のいいカップル。だけど先ほどの会話からして互いが互いをそんな風には見ていないんだろう。


 人の想いは無限大。想いの数だけ関係の種類も存在する。きっと二人もそんな無限の関係の一つなんだろう。


「そだ、いっくんに連絡しようと思ってたことを忘れてた!」


 去り際、西園寺部長は何か大切なことを思い出したかのようにこちらを振り向いた。


「可愛い女の子が部室の前で待ってたぞ。私が代わりに部室の鍵開けといたけど、もしかしたらまだいっくんを待ってるのかもしれん」

「そういうこと、僕を見かけたらすぐに言ってくださいよ!」

「なははっ、まぁ少年少女にはただ待つだけの時間も大切ってことさ!」

「それ、待たせてる側の台詞じゃないですからっ! ってかそれならもうすぐ行きますから!」


 それだけを言い残して僕はすぐさまその場を後にする。


 もし誰かがボランティア部に大切な用があったのならばそれを待たせてしまうのは非常に心苦しい。その人は本当に困って僕の元を訪ねてくれたのかもしれないのだ。


 あれ、というかそれならば別に西園寺部長が対応してくれても良かったのでは? どうしてそんな僕に任せっきりなんだ。


 しかしそんな僕の疑問はその直後にあっさりと解決することになる。ボランティア部の扉の先。そこに居た人物が僕の見知った顔であり、そしてなにより現在進行中の依頼人当人だったからだ。


「あれ、志津川しづかわさん。ごめんもしかしてボランティア部に用があったのって……」

「あっ、立花君。良かった、ちゃんとみったん先輩は連絡してくれたんですね」


 忘れかけてた、とは言えないけどね。それよりもいつの間にかしっかりとみったん先輩呼びが馴染んでしまったんだなぁ。


「それと……」


 部室で待っていたのは志津川さんだけではなかった。


 もう一人。黒真珠のような綺麗な黒髪が風のない屋内でふわりと揺れた。


鳴海なるみさんも、ボランティア部にご相談ですか?」


 鳴海彩夏なるみさやか。空を忘れた天才少女が、見慣れたボランティア部の部室で僕を待ち構えていた。

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