第17話 黒真珠は多くを語らない
「
倒れた幹へと腰を下ろすと、僕は開口一番確認の意味も込めてそう尋ねた。周囲を見渡すと同じように何本も似たような木が倒れている。どうやらここは間伐を行う業者が使っている空間らしい。
「そうだよ」
僕の方を見向きもせずに、彼女はただぼんやりと手元の紐の先にくっついたままの銀色の何かを見つめていた。
直径一センチほどの太さの紐は彼女の足元に大量に余力を残しており、一体あの銀色の何かをどこまで飛ばす気なんだろうと不安になる。
「で、あなたは誰? 私のことを知ってるし、その制服……桑倉の生徒でしょ?」
思えば、一人でいたところに唐突にやって来た僕は彼女からしたら完全に不審者だ。あっけに取られて名乗ることすら忘れていたけど失礼だっただろうか。
「僕は
「2-Bの立花……、ボランティア部の?」
あれ、もしかしなくても僕って思ったより有名人だったりします?
「し、知ってるの?」
「有名人だよ。何でも屋みたいなことやってる変な人達がいるって」
前言撤回。全く持って僕の懸念はもしかしなかったらしい。
僕個人としてはそんなつもりはないのだけれど、あのとんちき部長のせいかそれとも僕の行いにただただ尾ひれがついて広まっているのか。
僕がなぜ桑倉学園の有名人なのかという真実は今のところなぜか闇の中である。
「で、ここに来たのは誰かの依頼? もしかしなくても美術部の生徒にでも頼まれた?」
彼女の口調はどこか呆れるようだった。まるで「またか」と言わんばかりだ。美術部、と名前が出たあたり何度も彼女達に誘われているのだろう。
「じゃあその子たちに伝えておいて。美術部に入る気は一切ないって」
「ち、違うって」
「何が違うの?」
どうやら鳴海さんは完全に僕が美術部の依頼でやって来たと思っていたらしい。まずは彼女の誤解を解かなければ。
「何がって言うか全部だよ。僕がここにやって来たのは全くの偶然なんだ」
「じゃあなんでまたこんなところに……」
「それが見えたからだよ」
そう言って僕は上空に浮かぶ銀色のそれを指さした。紐に繋がれたそれはぷかぷかと心地よさそうに空に浮かんでいる。
僕の自宅付近から見えたことや道中一度も見失わなかったことを鑑みるに、銀色のそれはかなり大きく、さらには思ったよりも上空に浮かんでいるようだった。
「それ、一体何が浮かんでるの?」
今更あれがUFOやその類だとは思わない。しかしここから見上げてもあれが何なのかはさっぱりだった。
「観測気球って知ってる?」
「観測気球?」
確か上空の高いところの気象情報を観測するために打ち上げる気球のことだっただろうか。専用の機械やGPSをつけて飛ばすとか。たまに僕らと同い年の高校生が打ち上げてネットニュースになったものを見かけたこともある。
「鳴海さんってそういう趣味の人だったの?」
「話は最後まで聞いたほうがいいよ」
「ごめんなさい」
どうして僕は初めて言葉を交わす女の子に怒られているのだろうか。
「あれはその応用。風船の先にカメラくっつけて浮かべてるだけ」
「わざわざ紐をつけるのは?」
確か観測気球には紐をつけないはずだ。GPSの故障によって行方知れずとなった機械が、数年経って山の中で見つかったなんてニュースも見かけたことがある。
「お金が無いからね。打ち上げる度にわざわざカメラ買い直してたらいくらあっても足りないよ。それに、ただのデジカメに撮った写真を自動でパソコンやスマホに送る機能はついてないし」
「あぁ……」
納得した。たかが高校生のお小遣いで毎度そんなことをしてられない。紐が付いているのは確実に回収できるようにという目的のためだったのか。
それよりも、だ。彼女の言動には一つ気になる点があった。
「カメラで空の写真撮ってるの?」
「空の写真を撮る女は地雷だと思ってる?」
ジトリ、と明らかに何か言いたげな表情で鳴海さんが僕を見る。今まで全くそんなことはなかったのに、そればかりはさすがに一家言あるらしい。
「そ、そんなことは……」
「私が空の写真を意味深なポエムと一緒にSNSに上げるような女に」
「見えないですっ!」
「……ならばよし」
食い気味の返答にどうやら満足してくれたらしい。というか空の写真を撮る女の子にそんなに敵意を見せなくても……。
自作ポエムを上げたくなってもいいじゃないか、思春期だもの。
「そ、それで結局空の写真を撮る理由は教えてもらえたり……」
「深い意味はないよ。私が好きなだけ」
どんな変な行動もそれがただの趣味、と言われればそれまでだ。僕の人助けだって元をたどればただの趣味。僕が好きだからやってるに過ぎない。
だけど彼女ならこの空をもっと綺麗に収める方法があるのでは。そう思った僕は直接尋ねることにした。
「絵は描かないの?」
ピクリ、と彼女の方が震えた。背中越しでその表情までは見えないが、どうやら僕は鳴海さんの別の地雷を踏み抜いたらしい。
「……描かないよ」
この時ばかりは表情が見えなくてよかった、と本当に思った。声をめいっぱいに震えさせた女の子の顔を見てカッコよく振舞える自信がなかったからだ。
これが仁科君だったら、彼女の表情が見えてもきっと上手くやれるんだろうなぁとなんとなく思う。
「そっか」
だから僕に答えられるのはこの程度だった。
「あなたもそういう人なの?」
僕の答えにしかし鳴海さんは怪訝そうな顔を辞めない。彼女が口にした「そういう人」という人物に僕は心当たりがある。
しかしそれを問うのはなんとなく気が咎めた。
「僕は鳴海さんの言う、そういう人じゃないよ」
「…………そう」
長い溜めの後、鳴海さんはつまらなさそうに再び気球の方へとそっぽを向いた。空へと視線を向け続けるその背中はどこか寂しそうにも思えた。
「ねぇ、ボランティア部ってなんでも『依頼』を聞いてくれるんでしょ?」
背中越し、彼女の横顔がこちらを向いた。彼女の柔らかな黒髪が風に揺れる。逆光で見えないはずなのに、なぜかその表情はどこまでも悲しそうに見えた。
「……『依頼』の内容によるよ。死者蘇生や銀行強盗なんて頼まれても出来ないものは出来ないからね」
「そんなの分かってるわよ。まるで無理難題を押し付けられたことのあるような口ぶりね」
「昔、期末テストの答案を職員室から盗んでくれって頼まれたことがあってね」
「あなたも苦労してるのね」
「そう言ってくれるだけで救われるよ。それでお願いって? 僕に出来る事なら何でも言って」
さて、こんな状況で果たして僕は一体何を頼まれるのだろうか。
「ん、これ、一緒に引っ張って」
彼女が差し出したのは先ほどから手に持ち続けている紐だった。
「気球にヘリウムガス入れすぎて。思ったより高く飛んじゃったんだよね」
「それぐらいならお安い御用だよ」
なんてことない『依頼』だった。少々身構えてしまったのが恥ずかしい。座っていた大木を立つとすぐさま彼女から紐を預かる。
「よし、これでいいよ。手伝ってくれてありがとう」
それから何事もなく気球の回収は終わった。僕の見立て通り、気球はかなりの大きさだ。女の子一人で回収するのは一苦労だろう。
「いつもこんなことを?」
「たまに、ね」
なるほど。これはSF研や西園寺部長が勘違いしてしまう訳だ。
「また来ても?」
「いいけど、いつ居るか分かんないよ」
「気球が見えたらやってくるよ」
「……気付かなかった。分かりやすくていいね」
そう言って鳴海さんはくすくすと笑った。今日初めて見た笑顔だった。なるほど、これは仁科君が彼女のことを気にしてしまうのも納得だ。
「ありがと」
「これぐらいならお安い御用という奴で。あの……鳴海さん、また会えるかな?」
「なにそれ。私口説かれてる?」
「そ、そんなつもりはないんだけど……」
そう言うと鳴海さんはまたくすくすと口元を緩めた。彼女の震える方と連動するように、黒い真珠のような艶やかな髪が柔らかく風になびいていた。
「もしかしたらまた会えるかもね。それじゃ」
「う、うん……また」
荷物をまとめてその場を去っていく彼女を見送ると、それからすぐに僕も自宅への道を急ぐことにした。
「あ、アイス……」
去り際、コンビニ袋のアイスを完全に忘れていたことを思い出した。想定外のことが起きてすっかりとその存在が頭から抜け落ちてしまっていたのだ。
「もう一度冷凍庫で固めたら食べられるかな……?」
一度溶けてしまったものが再び固まったとき、それは果たして前と同じものだと言えるのだろうか。
不満げに口をすぼめる雫梨の顔を思い浮かべながら、僕は自宅への道を急ぐのであった。
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