第16話 空を忘れた天才少女

 神社の下見も終えて週が明けた月曜日。教室に入った僕を待っていたのはクラスメイト達の何処か落ち着かない騒めきだった。


 机に鞄を置いた僕は近くで駄弁っている友人へとこの異様な状況について尋ねることにした。その友人曰く「志津川さんが土曜日に男と二人で歩いているのを目撃した奴がいる」とのことらしい。


 席に戻ると僕は大きく頭を抱えた。まさかあの場で僕と志津川さんを見ている人間がいたとは。


 そりゃ滝田駅は市内でも一番大きな駅だ。誰かが知人の顔を見かけることがあっても別におかしなことじゃない。


 だがそれがよりにもよって学年のアイドルである志津川さんともなると話は別だ。この噂も数日は学園中の至る所で話題になるに違いない。

 幸いなのは相手が僕であるという事がバレてないことだろう。もしそんなことがバレでもしたら僕は学園中の男どもから一心に恨みを買うに違いない。


雫梨しずりには心から感謝しておかなきゃ……)


 我が妹にはあの日心から感謝をしたが、まさかこんなところでも助けられることになるとは思ってもいなかった。今日は帰りにちょっと高いアイスでも買って帰ってやろう。


 そんな話題が2-Bを中心に学園中で持ちきりになった日の放課後。僕は一人でいつもの通学路を自転車で帰っていた。


 志津川さんはというと今日の話題について友人からひたすらに質問攻めにあっていた。「一緒に歩いていたのはただの親戚だ」という答えで乗り切っていたけど、それを果たしてどれだけの人間が信じたことか。


 万に一つでも在りはしないと思うが、僕の名前が彼女の口から出なかったことだけは心からホッとしている。そんなこんなで疲れ切っているだろう志津川さんを案じて、放課後の作戦会議は今日は無しとなったのである。


 僕の自宅は桑倉学園から滝田駅を超え、更に千歳川に向かって進んだ場所に存在している。土曜日に訪れた八雲神社がちょうど千歳川を挟んで反対側に位置するような場所だ。


「アイス……高かったな……」


 それが見えてきたのは、自宅の最寄りのコンビニで雫梨へのお礼を購入してしばらくのことだった。


 千歳川の下流一帯は標高が低い平野地帯となっている。堤防は存在しているものの、住宅地そのものが堤防と同じ高さに存在しているため見晴らしがいい。


 上流の方へとしばらく行けば八雲神社のある丘を代表するようにそこそこの標高がある地形へと変化するのだが、今僕が走っている場所は全く持って高い地形が存在しない。


 だからこそ、千歳川上流に浮かぶそれがやたらとよく見えたのだ。


「未確認飛行物体……」


 時刻は5時過ぎ。夕焼け色に染まる空に、銀色の小さな何かがぷかぷかと浮かんでいる。


 位置としては北北東。八雲神社をさらに北へとずっと進んだあたりだろうか。


(そう言えば……)


 僕はふと、先日西園寺部長が言っていたことを思い出した。


 SF研が千歳川上流に現れる未確認飛行物体を探している。そこに自分は協力していると。


「もしかして……あれか!?」


 まさかこんなところでトンデモないものを見かけるとは。


 僕の中に眠る男の子が、自然と自転車の行く先を自宅からそちらへと変えていた。


「遠いな」


 決して見失ってしまわないようにと視線は上空に浮かぶ銀色の何かを追い続けている。しかしそれはどこまで行っても追いつけない。


 それから10分。僕は自転車をひたすらに漕ぎ続けた。


「……ようやく近づいたぞ」


 それの浮かぶ場所まで辿り着いた時、僕は既にすっかり千歳川を上流へと進み続けていた。どうやら銀色のそれは森の上空に浮かんでいるらしく、ここからは徒歩で進まないと入れないらしい。


 幸いにも近くに山道があり、昇るのに苦労はし無さそうだ。


「アイス……」


 ふと自転車から離れようとすると、カゴに乱雑に詰め込んだコンビニの袋が眼に入った。


「持ってくか」


 溶けてしまっては勿体ない。なんなら山登りの最中に食べてしまうのもいいだろう。そう思ってコンビニ袋も一緒に連れていくことにする。


 山道は日頃から整備されているらしく、通学用の運動靴でも難なく昇っていくことが出来た。


 相変わらず木々の隙間からは夕暮れの空に浮かぶ銀色の何かがちらちらと姿を見せている。


「もうちょっとだと思うんだけど……」


 そんな時だった。


 ふと、空に浮かぶ銀色のそれから、細い何かが地面に向かって伸びているのが眼に入った。


「……なんだあれ」


 というか麓に辿り着いていた時からうっすらと気付いていた。


 未確認飛行物体なんて言ってはいるものの、明らかに空に浮かんだそれはUFOなんかのサイズ感じゃない。もっと小さい何か。例えるなら大きな風船のような――


「誰?」


 そんな声が響いたのは、ふと僕の足が山中の開けた空間に辿り着いた時だった。


 山の中にぽつりと現れた空間で、一人の少女が何かを握りしめてこちらを見つめていた。


「え、あ、えっと……っ」


 黒真珠のようなきれいな黒髪が、彼女の肩口でふわりと揺れた。


 整った顔つきはどこか心ここにあらずといった様子。だけどその目は確かにこちらを見ていて、心まで見透かされそうなその澄んだ瞳に僕は思わず魅入ってしまう。


 思わず立ち尽くす僕と対極に、彼女は僕の出現を全く気にしていない様子だ。


 脳内にはいくつもの質問が浮かんでは消えていく。しかしそのどれもが僕の口を付いてくれない。なぜならばそこに居る人物が、僕のあまりにも想定外の人物だったからだ。

 

「立ち話もなんだから、せっかくだし座りなよ」


 そう言って彼女、鳴海彩夏なるみさやかは広場に大きく横たわる大木の幹を指さしたのだった。

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