第15話 負けヒロインは恋をしている
「わぁっ、本当によく見えますねっ!」
神社の境内を少し脇へと逸れると、直ぐに開けた場所へと出ることが出来た。
平らに均されたそこは普段は神社やその周辺施設に関わる業者さんの駐車スペースとして利用されているらしい。
今日も軽トラックがスペースの脇にちょこんと駐車されており、荷台には建築資材らしきものがいくつか積み込まれている。神社脇の雑木林が伐採されているあたり、それを手入れにやって来た業者の車だったりするのだろう。
小高い丘の上に存在する八雲神社のそこからは、眼下に広がる滝田市内がよく見えた。
決して高い丘ではないけれど、他に高い地形が存在しない滝田の街を眺めるにはまさにベストスポットといえるだろう。
当然、視線の先には我が街を南北に大きく貫く千歳川が一望でき、花火大会当日はここから夜空に大輪の花が咲くのがよく見えるに違いない。
「ね、言った通りでしょう?」
最近はあまり訪れることも無くなったが、生まれた時からこの街に住む僕にとっては馴染みの深い場所の一つである。
そんな場所を、学園のアイドルである
「ここで私は花火大会の日に、仁科君に告白をするんですね」
「そうだね。そして、僕たちの計画によれば――」
「その告白に、仁科君はノーと答える」
「その通り」
それこそが彼女――
「そういえば立花君は知りたくないんですか?」
駐車スペース脇に置かれた簡素なベンチに腰掛けながら志津川さんはそんな言葉を口にした。
ベンチの脇にアルミ製の灰皿が置いてあるあたり、いつもはこの辺の作業員の人達の憩いのスペースとなっているのだろう。
「えっと、一体何を?」
「仁科君のことですよ」
志津川さんは一切こちらに視線を寄せず、どこか遠くをただじっと見つめていた。初夏に向かおうとする温かな風が彼女の柔らかな髪を揺らし、透き通ったその白い肌に淡い色どりを添えている。
絵になるな、と素直に思った。
もしその光景を心のアルバムに収めることが出来たのならば、僕は一生志津川さんのその姿をアルバムの一ページ目に留めておくのだろう。
「立花君も座ったらどうです?」
その光景に魅入ってしまった僕は、自分がただその場に立ち尽くしていたことにすっかりと気付けないでいた。
志津川さんの言葉で間抜けな姿からようやく解放された僕は、そのまま彼女の座るベンチの一つ隣のベンチへと腰を下ろした。
「こっちには来ないんです?」
「仁科君に悪いしね」
「……立花君のそういうところ、義理堅いというか融通が利かないというか……」
「聞かなかったことにするよ」
腰を下ろした木製ベンチは風雨に晒されところどころ汚れているものの、長時間歩きっぱなしだった僕には砂漠で見つけたオアシスのように優しかった。
「で、仁科君の話だよね」
「そうです。どうして私が仁科君のことをずっと好きで居続けるのか。それを知りたくないのか、というお話です」
思えば妙な話だった。
志津川さんが我が桑倉学園に転校してきたのは今年の4月のことだった。6月も第1週を終えようとしている。そんな短時間で一体志津川さんと仁科君の間にどんな運命的な出来事があったのだろうか。
「……興味が無い、って言ったらウソになるよ」
ずっと気にはなっていた。どうして志津川さんは仁科君のことを好きなんだろう、と。
その言葉がウソ偽りなんかじゃないことは、彼女が僕に相談事を持ち込んだ日の事を思い返せば一目瞭然だ。
「でも、それはきっと依頼とは関係ないことだと思って」
「そう……ですね。だから、友人同士の些細な世間話と思って聞き流してください」
志津川さんに友人同士といってもらえたことが妙に嬉しかった。
「仁科君と出会ったのは私がまだ11歳の頃でした」
11歳というと今から5年前の出来事。そんなに前から既に二人には面識があったのか。
「私の父は志津川グループの代表を務めています」
「志津川グループっていうと自動車や造船の?」
「それは志津川グループの傘下企業の一つですね。他にも志津川の名前を冠していないグループ企業も多くありますよ」
志津川さんの家は、やっぱりお金持ちの家だった。纏う雰囲気や時折滲み出る所作は明らかに彼女が僕らと違う世界の人間であるという事を示していた。
別にそれを気にしたことはなかったけれど、こうして直接志津川さんの口から聞くと「やっぱりか」という感想しか浮かばない。
志津川さんが滝田市に戻ってきたのは全くの偶然だったらしい。ご両親の仕事がひと段落して、地元に拠点を移すのに合わせて一家そろって戻ってきたのだそうだ。
「それで、その出会いってのは?」
「父は人と会うのが好きな人で、昔から自宅でパーティーをよく開いていたんです」
流石お金持ち。パーティーが出来るなんて、さぞ立派なお屋敷があったりするんだろうな。
「仁科君のお父様が輸入雑貨商を営んでいらっしゃることはご存じですか?」
「えっ、それは知らなかった」
新情報だ。確かに彼のご両親が海外に居ることは知っていたけど、まさかその仕事が理由だったとは。母親も一緒というところを見ると随分と仲がいいか、それとも仕事上そちらの方が都合が良かったのか。流石にそこまでは彼女が知るところではないだろう。
「仁科君のご両親は古くからうちの父と付き合いがありまして。うちのリビングにある大きなソファも、父がねだって仁科君のお父様に仕入れてもらったものなんだそうです」
「ってことは仁科君のお父さんもよくパーティーに招待されてたんだね?」
「そういうことです。その時仁科君もお父様と一緒にうちに来ていたみたいで……」
「その時に出会ったってことか」
それから5年間。ずっと志津川さんは仁科君のことが好きで居続けている。
「彼から見たらパーティーにいた私は随分と退屈そうに見えたみたいでした」
パーティーに呼ばれた客人も志津川さんのお父さんの知り合いばかりだろう。11歳の子どもからしたらそりゃさぞ退屈だったに違いない。
「だからか、それを見兼ねた仁科君が私の手を取ってこっそり会場を連れ出してくれたんです」
なんだそれ。イケメンは小さい頃からイケメンなのかよ。
「転校先で仁科君にまた会えたのは全くの偶然です。それが良かったことなのか悪かったことなのか、今でも私は分かりません」
初恋の人に再び出会う。一見すると素敵なことなのかもしれないけど、日々変わっていく世界の中でそれはあまりにも一人の女の子にとっては残酷なことだったのかもしれない。
「今思えば握られた手を通じて彼の暖かさを感じてから、私はずっと仁科君のことが好きなんだと思います」
だけどそれでも、残酷な世界で彼女は一心にその想いに向き合おうとしていた。憧れの『負けヒロイン』達が前を向き続けたように。
『最強』の『負けヒロイン』になりたい。
それも一番大好きな彼に振られることによって。
一見とんちきに思えるこの依頼も、少しずつ解していくとなぜそんな依頼を彼女がしてきたのか見えてくる。
「さ、そろそろお腹が空いてきました。今戻ったらちょうどお昼には駅前に戻れそうですね」
「そうだね」
ふとスマホを見れば時計は11時半を少し回ったところだった。思えば一時間もここに居たのか。
「そう言えば今日のデートは立花君のプランニングなんですよね?」
「で、デート!?」
「男女が休日に二人で出かけて居たらそれはデートですよ」
暴論のような気もするけど、志津川さんが言うならそんな気もしてくる。何より彼女にデートと言われて悪い気が起こる訳もない。
「さ、行きましょう」
志津川さんの柔らかな手が僕の手を引っ張り上げた。細い指先から伝わる体温は、確かにほんのり暖かかった。
「エスコートお願いしますね、立花君」
「さ、最大限善処します……」
誰かのためなんかじゃない。
誰かのような真似をするためでもない。
それはただ、残酷な世界に立ち向かうために。
――志津川琴子は、恋をしている。
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