第11話 きっと君は最初から

「さて、何から話そうか……」


 腰かけた椅子により一層沈み込むと、仁科君は大きく一つ天井を仰いだ。


 美術室は僕らが普段授業を受ける教室よりさらに一回りほど大きい。しかしそんな空間に嫌に大きくその一連の動作の音が響く。


鳴海彩夏なるみさやか


 ぽつり、と彼はどこか他人事のようにその名前を呼んだ。


「俺が彼女と出会ったのは、二月も終わりかけの頃だった」


 気付けば窓の外の空は、仁科君の声色のようにどんよりと鈍色に染まっていた。五月も終わりかけ。そろそろ季節は梅雨になろうとしていた。


「鳴海さんを気にかけるのは何か理由が?」


 志津川さんは以前こんなことを言っていた。最近仁科君は鳴海さんとよく一緒にいる、と。


「理由……理由かぁ……」

「うん、鳴海さんって一年生の時は別のクラスだったでしょ?」


 僕と仁科君は一年生の時は同じクラスだった。だから鳴海さんとクラスが違うことも知っている。


 彼らの関係は僕らが一年生の時から続いているらしい。そこには何かきっかけがあったはずだ。


「放課後、先生に数学の課題を職員室に集めて持っていくように頼まれた日があってさ。その時、たまたま渡り廊下でぼんやりと空を見上げてる鳴海さんに会ったんだよ」


 たまたま……ねぇ。


 これが創作物だったら、それは偶然という名前の必然だ。仁科君という名の主人公が、鳴海さんという名のヒロインと出会うそのきっかけ。


 どうしてそれが僕じゃなくて、そしてさらには志津川さんじゃなかったのやら。これがイケメンの為せる業なのだろうか。


「何か言いたげだな、立花」

「あぁいいや、良い男は可愛い女の子に惹かれるんだなと思って」

「俺はそんなんじゃないよ。何もできないちっぽけな男さ」


 君がそう言うのならば、僕はちっぽけ以下になってしまうな。


「彩夏は確かに可愛いが、俺が彼女に惹かれたのはそれだけが理由じゃない」

「そう言えば、鳴海さんは元々絵を描いていたとか」


 知る人ぞ知る話だ。僕の場合は以前人づてに聞いたのだけれど。別に鳴海さん自身もその過去を隠そうとはしていないらしい。


 彼女の過去を知ろうと思えば、誰だってそこに辿り着くことはできるだろう。


「そうか、ボランティア部である立花なら知っててもおかしくないな」


 いや本当にこの学園の人間はボランティア部をそういう名前の諜報機関か何かだと思っているんじゃないだろうか。


「僕はただのボランティア部員だよ」

「立花は、な」


 あぁやっぱり。この部の諸悪の根源はあのとんちき部長の存在だ。あの人のせいで僕の安寧の地であるボランティア部はあることないこと言われまくるのだ。


「複雑そうな顔をしてるな」

「まぁね。僕自身は大したことできないよ」

「そうか? 俺、困ってる奴だったら誰にでも手を差し伸べようとする立花の事、結構好きなんだけどな」


 ……なんだこいつ。そんなこと急に言われるとキュンとしちゃうだろ。


「それ、せめて鳴海さんか粟瀬さんに言ってあげなよ」

「なんでだ?」


 あれか、自分が主人公なことに自覚がないタイプか。いや、まぁ現実リアルの世界に主人公も脇役もないんだけど。


 皆が皆自分が主人公の人生を生きている。その度合いの差が所詮僕らをそう思わせるだけ。


 これ以上このことを仁科君に吹っかけたところで僕の惨めさが増すだけだ。


「それで、結局、仁科君が鳴海さんを気にかける理由は?」

「彩夏の絵を見たことがあるか?」

「鳴海さんの……絵?」

「あぁ。俺が彩夏と出会った時、彼女は真っ白なスケッチブックを片手にぼんやりと空を見上げていたよ。それが妙に気になったもんでさ、声かけたんだよ。絵、好きなのかって」


 普通一般の男子高校生はそんな風に女の子に声をかけないんだよ。かけたところで無視をされるか人を呼ばれるかの二択だ。それが許されるのは君があまりにも顔が整っているからという事を自覚しろ。


「何睨んでるんだよ」

「ごめん、無意識だった。意識して睨み返したほうがいい?」

「それはそれで怖ぇよ」

「それで?」

「俺の問いかけに彩夏は寂しそうに曖昧に笑うだけだったよ。それからすぐのことだった。鳴海彩夏って名前を知ったのと、そしてあいつの絵を見たのは」

「僕は……見たことないや」


 鳴海彩夏なるみさやかという少女が絵を描いていたことはよく知っている。でも僕は、彼女が天才少女と言われていた所以を僕は目にしたことが無い。


 それほどまでに彼女の絵は人の心を震わせるものなのだろうか。


「仁科君はさ、もしかしなくても鳴海さんに何かをしてあげたいの?」


 顔も運動神経も性格も何もかもが僕より優れている同級生に、僕は自分と同じものを感じた。それはきっと誰かのために動きたいという感情。


「俺さ、もう一度彩夏に絵を描いて欲しいんだ」


 その時の仁科君の表情を、僕はどんなふうに見ていいのか分からなかった。


「心配すんなって。ボランティア部の手を借りるつもりはねぇよ。立花達みたいにやれるかは分かんないけど、俺は俺なりに彩夏のことを考えてみる」


 そうじゃない。


 別に自分に厄介ごとが持ち込まれそうな気配を感じたとか、決してそんなんじゃないんだ。


 僕は心のどこかで「もしかしたら」って信じていた。


 成績優秀で運動も得意。人当たりもよくておまけにハチャメチャの美少女。そして何よりも、仁科君のことが大好きな志津川さんが仁科君と対等に付き合う未来。


 そんな素敵な未来が、もしかしなくてもあるものだといつの間にか思い込んでいたんだ。


 あぁそうか。志津川さん、君は最初っからもう『負けヒロイン』だったんだな。


「……どうかしたか、立花」

「いや、なんでも」


 ならば僕に出来ることは一つだけだ。


 志津川さんの失恋が悲しい思い出にならないようにすること。仁科君を好きになってよかったと心から思えるようにするために。


 それが、志津川さんには決して口に出来ない僕の本当の『目標』だ。

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