第9話 仁科君という人
僕らの計画もようやく第一歩を踏み出して数日が経った。
その日の三限は2-Aと2-Bのクラス合同の体育だった。体育館を半分にして、片側を男子のバスケットボール、もう片方を女子のバレーボールが使用している形だ。
志津川さんが『最強』の『負けヒロイン』になる為にはどうしても一人、この計画に欠かせない人物が存在する。
僕の視線の先。今まさに華麗なドリブルからこれまた見事なスリーポイントを決めた人物こそ、僕らの計画の一番の重要人物こと
そんな彼を眺めていると、額から流れる汗を鬱陶しそうに拭いながら見知った顔がやってくる。
「おう、一樹」
「カズも休憩?」
「うちのバスケ部が張り切っちゃってよ。俺が仁科を止めるとかなんとか」
「皆からしたら本職のお株を奪われちゃってるようなもんだからね」
「それよりもどうしたんだよ、男の体操着姿なんてぼんやりと眺めて。お前そんな趣味なんてないだろう?」
仁科君のスリーポイントが音もなくバスケットに吸い込まれていくのを見届けながら、僕は隣の親友の茶化すような声に一つため息を吐いた。
「そんなんじゃないよ……」
「つっても随分と熱心な視線を送ってるじゃねぇか。仁科がどうかしたか?」
「あー、いや……」
親友であるカズは小学校時代からの腐れ縁である。だからといって、おいそれと依頼のことを口にする訳には行かない。ボランティア部が半ば無茶な依頼を請け負いがちなことはこいつもよく知ってはいるが、今回は内容が内容だ。
ゴミ掃除や畑の手伝いならまだしも今回は恋愛事だ。しかもよりにもよって学年の人気女子である志津川さんの依頼。
彼女の名誉と僕の命を天秤にかけるのならば、僕はこの秘密を死んでも口にはしないだろう。
「ほら、去年同じクラスだったからさ。相変わらず運動神経いいなって」
「あいつ、なんで帰宅部なんだろうな」
今もまさに仁科君はバスケ部の強固なガードを潜り抜け、再びゴール前に迫っている。
「カズも運動神経はいいでしょ?」
「あのなぁ、運動神経がいいのと球技が上手いのは別もんなんだよ。もったいねぇよなぁ。うちの学校じゃ何やってもあれじゃレギュラーだぜ?」
そうなのだろうか。僕はどちらも得意じゃないからいまいちピンと来ないけど。
「仁科君の場合は……しかたないよ」
「そうなのか?」
「仁科君はご両親が今仕事で海外にいるから。中学生の妹と二人暮らしなんだよ」
そんなこんなで彼は今自宅のことで精いっぱいらしい。年下の妹さんを置いて部活に打ち込むというのは仁科君の信条とは違うのだろう。
「……やけに詳しいな。やっぱりお前そっちの趣味が」
「ないないないっ! もしそれが本当だったらカズはもっと危機感を抱いたほうがいい」
「やべー、今から一樹との付き合い方を考えなきゃならん」
「だから違うって」
休憩組は体育館の隅で絶賛見学中だ。そのためか会話に興じている生徒たちは大勢いて、僕らの会話もそんな喧騒の一部となっている。
「それよりもなんでそんなに他人の家庭事情に詳しいんだよ」
「ちょっと小耳に挟んだだけだよ」
この話は以前仁科君の幼馴染である
「それもボランティア部の情報網って奴か?」
カズをはじめ、なぜかこの学校にはボランティア部を勘違いしている生徒が多い。前部長が随分と好き放題影で暗躍しまくったせいか、本当にここをどんな依頼も遂行してくれる便利屋だと思っている節があるのだ。
「そんな訳ないだろ。本当に偶々だよ」
まぁ、そんな偶々な情報を逐一心に留めてる僕も立派にボランティア部に染められてしまっているんだけど。
「とりあえず今のお前は、仁科に興味が津々って訳だ」
「……否定はしないよ」
僅かにカズが僕から距離を取った気がしたが、指摘すると余計ややこしくなりそうだからやめておいた。
(そういえば……)
この流れでそれに気づくのは少々不服だが、これまでの志津川さんとの会話で一つ出てこなかった話題がある。
(どうして志津川さんは仁科君のことが好きなんだろう)
彼女が仁科君のことを心から好いているのは依頼を持ち込んできた時から知っている。あれは確かに心から彼を慕っている女の子にしか出せない言葉だ。
だけどどうして。それはこれまでの僕と彼女の会話の中で語られなかった謎だ。
(まぁ、そこまで深堀りするのは野暮ってものかもしれないな)
「そういえばさ、カズには彼女がいたよな?」
「おうよ」
一見女の子にだらしなさそうに見えるこの陽キャ金髪男には実は彼女がいる。
別の学校の子で僕も数度しか顔を合わせたことはないが、おしとやかで気配りのできる可愛らしい女の子だ。
「なんでその彼女のことが好きなの?」
「急に変なこと聞くな……」
しかし我が親友は僕の唐突な質問にもずいぶんとあっさり本音を晒してくれた。
「大した理由はないぞ。たまたま顔見知りのツテで会って、なんとなくいいなって思ったんだよ」
「……それだけ?」
もっと捻くれた答えが返ってくると思っていた。
「それだけって言い草はないだろ? それともお前あれか、人が誰かを好きになるには大それた理由が必要だと思っているタイプか?」
「うぐっ……っ」
何も言い返せない。現に僕はそう思っていたし、何より僕には彼女なんていたことが無い。どうやって人を好きになっていくのかもわからないし、どうやって赤の他人だった二人が恋人になるのかすら想像も出来やしない。
カズみたいに、そうなっている本人がそう思うのならばそうなんだろうとしか言いようがない。
「……そんなもんなのかな」
「お前の好きなアニメや漫画、小説のような大恋愛なんてそんじょそこらに転がっているようなもんねぇってことさ」
……そう、なのかもしれない。
でも、普段から誰よりもいろんな男子から言い寄られているだろう志津川さんが、それでも仁科君に拘る理由がきっとどこかにあるはずだ。
ふと仁科君の方へと視線を移すと、休憩へと向かってくる彼と目が合った。
「おーおー、毎度お熱いことで」
カズが茶化すように声を上げると、それと同時にそんな仁科君の元へ一人の少女が駆けていくのが目に入った。
しかしそれも傍から見たら、というだけの話。
他人の感情なんてものは当人以外には決して理解されるものではない。好きになった理由も、そして好きで居続ける理由も、他人からしたら理解しがたいものかもしれないし、決して理解できるものではないのだろう。
「ん……?」
ふと、僕は体育館の隅で一人ぼんやりと女子のバレーボールを見つめている少女の姿を見つけた。
(そう言えばすっかりと忘れていたな……)
仁科君と志津川さん。そして粟瀬さんばかりが出てくるもんで、僕はその子のことがすっかりと頭の中で抜け落ちてしまっていたのだ。
(志津川さんの言ってたことは本当なんだろうか)
彼女のことを、とある美術批評家は自身のコラムでこう評したそうだ。曰く、『空を忘れた天才少女』。
絵を描くことを辞めてしまった彼女は、仁科君とどんな物語を紡ごうとしているんだろうか。
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