第7話 みったん先輩

 堂々と目の前で名乗りを上げたロリ系美少女先輩に、志津川さんはただ困惑の色を浮かべていた。


「ん~? なぁいっくん、私名乗り方間違えたかなぁ」

「いっくんって言うのやめてくださいよ」


 可愛く小首をかしげて見せても、僕の中での先輩の評価が上がる訳ではない。


「いっくんがみったん先輩って呼んでくれたら考えてあげるよ」

「じゃあもういっくんで良いです」


 僕にとってはもうすっかり慣れたものだが、さすがに志津川さんには少々厳しい相手だったようだ。


「えっと、立花君……?」


 まるで助け舟を求める様に、志津川さんの可愛らしい視線がちらちらと僕の方へと飛んでくる。


「部長、改めてちゃんと自己紹介しましょうよ」


 初対面にいきなりあだ名で名乗る人を僕は初めて目の当たりにした。困惑する志津川さんは可愛らしいが、このまま放っておくのは可愛そうが過ぎる。


「えー、あー、ああ、そうだそうだ。ごめんごめんっ。改めて、私は3年A組の西園寺瑞葉さいおんじみずは。親しい人からはみったんって呼ばれてるよん」

「えっと、私は2年B組の――」

志津川琴子しづかわことこちゃんだろう?」


 初対面の人間にいきなりフルネームを呼ばれたもんだからか、志津川さんは驚く様に小さく肩を震わせた。


「ど、どうして……」

「どうしてもこうしてもないよぉ。我が桑倉学園の有名人じゃないか琴ちゃんは」

「こ、琴ちゃん……?」


 だめだ、すっかり会話の主導権が部長に持っていかれてしまっている。こうなってしまったら部長の独擅場だ。

 まぁ、年上のロリ系美少女に振り回される志津川さんも新鮮で良いものだったりするのだけれど。


「2年の男どもだけじゃなくてうちのクラスの連中も君の名前をしょっちゅう口にしているぜぃ?」


 部長の言う通り、志津川琴子という女の子は本当によくモテる。他学年の生徒はおろか他の学校の生徒にすら彼女の名前は知れ渡っている。


「で、だ」


 ふと、部長の視線が僕を射貫いた。


「そんな我が桑倉学園の高嶺の花たる琴ちゃんがどうしていっくんみたいなしょうもない男と一緒にいるのかね?」


 しょうもない男とは失礼な。……事実なだけに何も言い返せないけど。


「そ、それは……」


 言い澱む志津川さん。確かに相談事の内容をおいそれと話す訳には行かないだろう。例えそれがボランティア部の部長たる人物であっても、だ。


「ふむぅ……。やっぱ興味ないからいいやっ!」


 志津川さんの顔色を察してか、西園寺部長は直ぐに態度を改めた。


「いっくんっ!」

「は、はぁ」

「どうせあれだろ、依頼絡みだろう?」


 厄介ごとを直ぐに持ち込みたがる割に、こういう時は妙に察しのいい先輩は小さくアイコンタクトを僕へと飛ばした。


「まぁ、そういう事です」

「なら話せねぇよなぁー。守秘義務ってのがあるからなっ!」


 うちの部、依頼に対してそんな義務があったのか。


「まぁ、いっくんなら上手くやってくれるさ。ところで聞いてくれよ、私が今受けてる依頼なんだけどさ!」


 おい、守秘義務はどこ行ったんだよ。


「そんな顔すんなよいっくん。面白い話なんだよー! 琴ちゃんも興味あるだろう?」

「え、えぇ……まぁ」

「ほらみろー! 琴ちゃんは良い子だなぁ!」


 初対面の先輩にそんな問いかけをされて興味がないなんて答えられる訳が無いだろうに。


「ふぁっ……っ」


 志津川さんは上機嫌になった西園寺先輩になぜか頭を揉みくちゃにされていた。


「さすが琴ちゃん……っ、全身からいい匂いがしますな!」

「や、やめてください西園寺先輩」

「おっと、呼び方が違うなぁ。こういう時、なんてお願いすればいいだっけぇ? ほれほれ言うてみぃ」

「や、やめてくださいぃみったん先輩ぃ~!」

「言えたじゃないか! でもやめてあーげないっ!」


 調子に乗って更に部長は志津川さんの髪の毛に顔をうずめ始めた。


「た、立花君、助け……っ」


 縋るような視線が僕を射貫く。うるうると潤んだ瞳に思わず僕の中で何かが目覚めそうになってしまうが、僕はなんとかそれを押し殺すと部長の小柄な体を抱き上げた。


「ちょ、いっくん何をするんだ! 私はまだ琴ちゃんを楽しんでいるんだぞ!」

「言い方っ! ってか嫌がってるんだからやめてあげましょうよ」


 こんなんだからいつまで経ってもとんちき部長の肩書が消えないってのに。


「あ、ありがとう……ございます……っ」


 部長の魔の手から解放された志津川さんはいまだ小さく呼吸を荒げている。僅かに熱を帯びて赤く染まった頬が色っぽい。


「ふむ……。何やら私はお邪魔だったみたいだなぁ。せっかくSF研から依頼があった千歳川上流に現れる未確認飛行物体の話をしてやろうと思ったのに」


 なにそれ面白そう。守秘義務とかどうでもいいから話してくれ。


「ふふふ……なにやら興味ありげな顔しているな、いっくんっ!」

「そりゃぁ、未確認飛行物体ってフレーズに心躍らない男の子なんていませんよ」

「私も興味あります、みったん先輩!」


 いつのまにか僕の手をすり抜けたみったん先輩は「でも教えてあーげないっ!」と、なぜか得意げに腕組みをしながらそう口を開いた。


「なん……だって……っ!?」

「みったん先輩、それも守秘義務って奴ですか?」

「ま、そゆことだ」


 というかさっきから志津川さんのみったん先輩呼びが妙に板についてるのはどうしてだろうか。


 そんな時だった。西園寺部長の胸ポケットから着信音が響き渡る。


「おっと、この後作戦会議だったことを忘れていた。可愛い後輩の顔を久しぶりに見たもんだからついテンションが上がってしまったようだ」

「……作戦会議?」

「うんっ! 今週千歳川上流のキャンプ場をSF研が抑えたんだ。私もそれに混ぜてもらう予定でなっ!」


 なるほど、そしてそのキャンプ場で未確認飛行物体の観測を行うって訳か。


「ってことであばよ、後輩諸君っ!」


 颯爽と制服を翻すと、部長はそのままボランティア部を後にしようとする。


「そだ、琴ちゃんにアドバイスだ!」


 が、扉に手をかけた直後、何かを思い出したように部長はその足を止める。


「私……ですか?」

「ああ。見たところ我がボランティア部の力を頼っているみたいだからな!」

 

 志津川さんが僕に相談事を持ち込んだことはすっかりお見通しだったらしい。それで、妙に勘のいいとんちき部長は志津川さんに何を言うつもりだろうか。


「私に何を……?」

「なぁに、簡単なことだ。それは心の声に素直に生きろってことさ」


 そう言って西園寺部長は一つ大きく志津川さんに向けて親指を立てて見せた。そういう部長は心の声に従いすぎのような気がするけれど。


 それにしてもどうしてあんなことを急に志津川さんに告げる必要があったんだろう。まぁ、僕が考えたところで部長の意図が見抜けるはずもないのだが。


「ではな、後輩諸君っ! 素敵な青春を送り給えっ! がっはっはっ!」


 それだけを言い残し、部長は部室を去ってしまった。残されたのは廊下に響く景気のいい笑い声。その声が消え去るまで、僕と志津川さんはただ無言で彼女の消えた扉を見つめているのみだった。


「なんというか……嵐のような人でしたね」

「ああ見えて周りには良く頼られる人なんだよ」


 まぁ、その分トラブルもよく持ち込んでくるんだけど。


「ボランティア部を頼れ、と言ってくれた友人の気持ちが今なら何となくわかる気がします」

「僕は逆にどうしてそう思ったのか疑問だよ……」


 あれを見てそう思ったのなら、いよいよ志津川さんも癖のある人認定をせざるを得ないのかもしれないなぁ。

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