魍魎話5 魔眼①《鬼道(きど)》

今、冷たく横たわった妻が目の前にいる。

まるで深い眠りついた様に…


【只…本当に妻なのか?】


自分は疑っていた。

どうしてなのかは当たり前である。

今自分がいるこの部屋に覚えが無いからだ。


見渡しても何一つ懐かしむ物はない。

部屋の間取りもインテリアも、キャビネットの上に飾られている写真たてに写る二人の姿も…


そう…

結婚式の写真もである。


その写真があるから目の前で横たわる女性が妻だと認識しているだけだった。


「と、とにかく状況を整理しよう…」

うろたえる訳でも無く、かといって警察へ連絡しようともしない。

そんな自分のリアクションに疑問を持っている自分がいる。


そんな不思議な感覚に囚われなからも、記憶の糸を手繰り寄せてみた。


だが!

「……俺は誰なんだ?名前は?経歴は?何で何も思い出さないんだ?」

それこそが真実…

本当に何も思い出さない。


そしてふと冷たく横たわる妻であろう女性に目を向ける。

「…彼女…誰なんだ…本当に妻なのか?」

そんな疑問がグルグル回る星空の夜…

彼の耳に聞こえるのは、暗闇に紛れた鵺の叫び声だけだった。



それから数日後…


喫茶 夜魅(YOMI)


大都会では珍しく何の植物か解らない蔓(つる)が二階建て煉瓦造りの店を覆い尽くす…


一見ノスタルジックな雰囲気を珈琲の香りと共にかもし出すこの店に、例の男は立ち寄っていた。

店の一番奥にあるテーブル席に座り新聞を片手にコーヒーを飲んでいる。


白いTシャツに紺のジャケットにスラックス、淡い色が付いたサングラス…

いつものオールバックの髪をおろした様なその姿は、いかにもサラリーマンの休日といった感じだった。


『警察の事情聴取も受けたし病院で検査もした…しかしどちらからも一向にその後の連絡がない…一体どういう事なんだ?』


彼は苛立ちにも似た不安を抱えながらそんな自問自答を繰り返していた。

それもその筈である…


彼の言う通り、

あの後直ぐに警察へ通報した彼は、何故か形ばかりの事情聴取のみで直ぐに釈放になったのだ。

そして恐ろしい程事務的に進行していった取り調べの中で、自分の身元と経歴を知った。


【経歴】

彼の名は麻宮 司瞳(まみや しどう)

年齢は37歳で職業は貸ビルオーナー

都内に5箇所所有管理している

契約者や近隣とのトラブルもない

両親は既に他界

現在…独身

離婚暦はない


ちなみに経済面もカードの裏に暗証番号が書かれた銀行カードを財布に所持していたお陰で困っていない。

残高を確認したら五千万以上蓄えていた。



所持していた免許書からたどり着いたこれが彼の経歴だった。


『それに独身?だったらおかしいだろあの写真は!しかも死体が転がっていたんだぞ!なのにニュースにもなってないし…明らかに殺人じゃないか!』


事情聴取の際聞いた話では絞殺だったらしい。

しかも状況からして彼が絞めた形跡も見つかっている。

だが直ぐに釈放になったのだ。

その事を担当刑事に尋ねてもただ笑顔で《もう帰っていいですよ》と言われただけである。


記憶喪失等も考えたのだが、

病院で徹底的に検査をしてもらっても何処も異常が見られなかった。

あ、視力が少し弱いから要メガネとは言われたが…


ただ、未だ自分の過去も現在も経歴や自分自身の事を思い出さない日々を送っている。


「コーヒーのお替りは如何?」

そんな悶々としている中、声をかけてきたこの店のマスターは、その妖艶な姿と長い髪を惜しみなく彼に魅せつけながら笑顔を振りまいていた。


「あ、あ~頂こうかな…」

一瞬だが見惚れてしまった彼は、慌ててそれを誤魔化す様にリクエストをする。

すると…

「失礼だけど…顔色…悪いわよ」

覗き込むように顔を見つめてきた彼女の指摘に、さらに彼は慌ててしまった。


「え?あ…そうなんだ、自覚が無かったよ」

「何があったか知らないけど…良かったら話してみない?」

「え?」

それは思いもしない提案だった。

「私はこの店のマスターで琥珀菜綱、あなたは?」

「私は麻宮司瞳…らしい」

「らしい?」

自己紹介をしながら、いきなり向かい側の席に座る彼女…

そのリアクションに驚いた彼は、思わず店内を見渡すが自分以外の客は誰もいなかった。


それを確認した彼は、バイトらしい女性が入れ直したコーヒーの香りに包まれながら、ゆっくりと今までの経緯を話し始めるのであった……

















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