第20話《終》
涼しい場所で熱いご飯を食べる。汗はかくけど悪くないと思った。
「ここデザートないんだよね。杏仁豆腐とかあればな〜」
見ていたメニューを閉じると長山さんは気が抜けた声を出した。半分飲み屋みたいな店だからお酒やおつまみの種類は豊富だ。私たちの望む品はない。
食事を終えて店を出る。近くのカフェでケーキを食べた。悩んだ末、二人ともミルクレープを選ぶ。フォークで切る感覚が楽しいと長山さんは嬉しそうだった。
その後は服や雑貨の店を見て回ってあっと言う間に五時になった。夏は明るくて時間がわかりにくい。
「長山さん、門限ある?」
「えっ」
「私は特にないんだ。って言っても九時くらいには家にいないと何か言われるかもしれないけど」
「あぁ、うん。八時までに…」
「そっか。まだ時間あるけどそろそろ電車乗る?混んでるかもしれないし余裕持って帰った方がいいよね」
「うん。でも、ゆっくり帰りたい…」
「…うん」
この時の長山さんは今までで一番子供っぽくも大人みたいにも見えた。
電車は行きよりも混んでいたけど運良く二人並んで座れた。それから一言、二言何か話したのを覚えてる。今日は美術館や街を歩き回った。部活帰りとは違った疲れがあったんだと思う。すぐに気持ちのいい電車の揺れを感じてしまった。そして次に電車の揺れを感じると体がハッと反応した。心臓がバクバク鳴った。
「次は終点です」
寝過ごした。私の肩に寄りかかってぐっすり眠っていた長山さんを起こす。周りは電車を降りる準備万端な人ばかりで焦った。
人が改札に向かって歩いて行く。ホームにポツンと二人だけになった。空になった電車も行ってしまった。
「瞬間移動したみたい…」
そう呟いた長山さんはまだぼーっとしている。電車を乗り過ごすのが初めてだった私はショックを受けていた。
また寝てしまわないように気合を入れて駅に着いたのは六時半だった。長山さんの門限もまだだし、長山さん自身が遠回りしたいと言うので今日は改札を出て中央口へ向かった。私もまだ帰りたくなかった。
中央口を出るとサルビア公園という場所がある。久々に来た。赤や紫のサルビアの花壇で囲まれてるここは公園と名前が付いているけど駅前広場と呼んだ方が正しいと私は思っている。駅のすぐ近くだから朝と夕方は通勤や通学の人の通り道になっていた。
公園の中にいくつか並んでいるベンチに腰掛けた。木が陰になっていくらか涼しい。セミでも捕まえるのか虫取り網を持ってる子供たちが砂場で作戦会議をしていた。ここには遊具もあるけどどれも低めに作られている。幼稚園くらいの小さい子向けでボール遊びも禁止されている。高校生が思い切り体を動かすには不向きだと思う。
「いわちゃんもサルビア公園で遊んだことある?」
「低学年の頃はよく友達と来てたよ。鬼ごっことかしてたのかも。何して遊んでたかあんまり覚えてない」
「あたしはね、よくマイムマイムを踊ってたよ!公園にいた別の学校の子にも参加してもらったことある。楽しかったなぁ」
長山さんが懐かしんで笑うと私は体の奥から何かを突然引っ張られるような感じがした。電車で寝過ごして目覚めた時に似てるけど嫌な感覚ではなかった。
「いわちゃんもさ、ここで遊んでたなら一緒に踊ってたりしてね!」
「…踊ったかも」
「ええ!?」
記憶がある。友達と遊んでたら知らない子たちに声をかけられてマイムマイムを踊った。当時の私はマイムマイムを知らなくてわけもわからず参加した。確か十人くらいで輪になったはずだ。何が始まるんだろうと思えば一人の子が大声で変な歌を歌い始めて他の子もそれに合わせて合唱した。知らない変な曲と知らない変な動きはしばらく思い出し笑いしていたくらいおかしかったのに今までずっと忘れていた。
「本当に!?いわちゃんもいたの!?嬉しい嬉しい!え~!?あたしたちまた友達になっちゃった!」
にこにこした長山さんに両手を取られた。ベンチから立ち上がった彼女と一緒に立つ。そして長山さんはあのヘンテコな曲を口ずさんで踊り始めた。
通行人が私たちを見ているのがわかる。恥ずかしいけど目の前にいる長山さんを見れば周囲を気にするのは馬鹿馬鹿しく思えた。こんなに楽しそうなんだから。二人でくるくる回って近づいたり遠ざかったり。遠いって言っても長山さんは目と鼻の先。足がぶつかりそうになる距離にいる。
「ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ!」
「あはは!長山さん!速い!速いよ!目ぇ回る!」
長山さんはどんどん加速してついに足がもつれて私に倒れてきた。
「ほら!調子に乗りすぎ!」
「んふふ!ごめんねぇ」
もちろん私は怒ってないし長山さんも反省なんてしてない。二人で笑ってた。何もしてなくたって暑い中、動いて笑って汗をかく。不快じゃないから不思議。
息が整ったら後ろから小さい拍手が聞こえて驚いた。振り返ると日傘をさした着物を着た品のあるおばあさんがいる。
「箸が転んでもおかしい年頃とは言うけどねぇ」
「
親しげに話しかけてきたおばあさんはどうやら長山さんの知り合いのようだった。
「にぎやかな子がいると思えば
「えへへ…佐己小さんはお出かけの帰り?着物とっても素敵!」
「ありがと。用事済ませてきたの。これからもう一件」
おばあさんは着物に合った小さなカバンから財布を出す。そして長山さんに五〇〇円玉を渡した。
「ほら、これでお友達とあっちの自販機で飲み物でも買いなさい」
「やった!ありがとう~!」
「私までいいんですか?」
「どうぞ。この子と仲良くしてあげてね。さみしがり屋なの」
「佐己小さん!あたしの短所を言いふらさないで!」
「はいはい。おばあちゃんはもう行きますよ。二人とも、夏だからって暗くなるまで遊んでちゃいけませんからね。熱中症と変な人に気をつけて」
「わかってるよぅ」
「はい。ありがとうございます」
おばあさんは私に軽くお辞儀して去って行く。後姿にも気品がある。きれいでかっこいいと思った。
「長山さんのおばあ様?」
「ううん。ご近所さんなの。うちの両親が新婚の時からお世話になってて、あたしの第三のおばあちゃんって感じの人。何飲もうかな~」
公園内にある自販機に向かって長山さんはズレたスキップをする。
「あれ!?アイスの自販機ある!?いつの間に!?」
「本当だ」
二台の見慣れた飲み物の自販機の隣にアイスの自販機が立っていた。真新しい物ではない。いつも私は西口、長山さんは東口を使っているから中央口の変化に気づけない。
「佐己小さんは飲み物買いなさいって言ってたけど…あたしはアイスにしちゃお!チョコミント!」
「チョコミント好きなの?」
「うん!いわちゃんは駄目?」
「歯磨きしながらチョコ食べてるみたい」
「わかる!それが美味しいんだけどね!悪いことしてるみたいで背徳感も楽しいよ!」
「独特…」
十七種類のうち一種類を除いて私もアイスを選ぶ。どれも美味しそう。
「迷うな…」
「ここはやはりバニラっすか?」
迷うとバニラを選ぶって前に私が話したことを長山さんは覚えていた。嬉しいのにこそばゆい。どうでもいいことなのに覚えてくれてるものなんだなぁ。あの時は長山さんのソーダ味のアイスを一口もらったっけ。私も覚えてるもんだ。
やっぱりバニラにしようか。そう決めたと同時に水色と白の渦巻が目に入った。
「ソーダフロート…!これにする!」
「美味しそう!絶対美味しい!」
選んだアイスを買ってベンチに座る。お尻が熱い。
「チョコミント一口いる?」
「遠慮しておきます」
「なはは!」
私は自分のアイスの包装紙を剥がして無言で長山さんに食べていいよと意思表示した。遠慮なく長山さんは食べる。
「美味しい!ソーダとバニラ、合わないわけないね!」
「チョコもミントも好きなんだけどね。合わさるとどうも苦手」
「あたしも最初は苦手だった!」
「どうやって食べられるようになったの?」
「色の組み合わせがすっごくかわいいでしょ?爽やかで品があって。どうしても食べたくなっちゃう。美味しくないってわかってても選んでしまう日々を重ねてるうちに虜になっていたのです」
「変なの~」
「んふふ。それほどでもないよ」
こう話してるうちにアイスは少し溶けた。さっぱりしたソーダとバランスのいいバニラが口の中で完全に溶けて消える。
公園の時計を見ればもうすぐ七時だ。長山さんの門限まで一時間くらい。真昼とは違った明るさになっていた。
「夏休みどうしてる?」
ベンチに深く座って長山さんは足をぶらぶらさせて私に尋ねた。
「ほとんど部活かな。練習と合宿と大会。長山さんは?」
「あたしも!美術科の合宿に参加するの!描いて描いて描きまくる!それでさぁ、今日みたいに遊べる日ないかな?休み中ずっと部活で忙しい?」
「平気だよ。遊ぼう」
「いい!?嬉しい!」
「丸一日空いてなくてもさ、家近いんだしここら辺で待ち合わせてご飯食べたり気軽に会おうよ」
「素敵!ご近所さん万歳!」
満面の笑みを見せたかと思えば長山さんはさびしそうな顔をした。
「帰りたくないなぁ」
「一時間あるよ。ギリギリまで話そう」
「…悪いことしてから帰りたい」
「悪いこと?夕飯前にアイスを食べたり?」
「悪いかも…これ以上、悪事に手を染められぬ。足を洗おう」長山さんは両手を組むと呟いた。「懺悔します。門限は八時と言いましたが本当は七時半です」
「ん?」
公園の時計を見上げれば七時を過ぎたところだ。思わず私は立ち上がった。空が赤くなっていた。きれいだなんて浸っていられない。
「もう帰らないと!長山さんち、歩いて十五分くらいかかるよね!?」
「帰りたくなーい!」
「何で嘘言ったの」
「あたしもわかんない…」
「門限破ったら怒られるでしょ?もっと厳しくされたり、私とはもう遊ぶなって言われたりしない?」
「それは嫌!!!」
「帰ろうよ。ほら」
私は長山さんの腕を引いて力ずくで立たせた。軽い。
「え~…いわちゃん、本当に帰るの…?」
「………これ」
駄々をこねる長山さんへ私はミュージアムショップの袋を一つ差し出した。
「あ!美術館のお土産?何なに〜?何買ったの?」
「長山さんに」
「え?」
「プレゼント」
帰り際に渡そうと考えてて実はそわそわしていた。恐る恐る長山さんは受け取ってくれる。大きさや重さで中身を察したみたいだ。
「これ、もしや…」
袋の中を確認する。長山さんの予想が的中したのが私にもわかった。
「図録!図録だ…!」
「いらなかった?」
「いる!いるいるいる!欲しかった!欲しい欲しい!でもどうして!?」
短い影が足元から伸びているのが目に入る。顔を上げると夏の生ぬるい風が吹いて長山さんの前髪を揺らした。
「今日のお礼」
「お礼!?」
「…しおり作ってきてくれて嬉しかった。美術館に来ること、もしかしたら一生なかったかもしれない。賢くなれた気がする。朋律に初めてプレゼント買えた。渡す時に有名な絵見てきたって自慢する。それに…」
私は難しい言葉を知らない。簡単なことを言うのにも勇気が必要だった。緊張していた。
「いつもありがとう。長山さん」
「……」
「毎週水曜日、結構、楽しみにしてる。長山さんと帰るの今までずっと楽しかった」
過去形で言うとお別れの挨拶になりそうだ。言葉を選んで伝えるって難しい。でも言わなきゃ。
「これからも、こうして遊んでくれたら嬉しい」
長山さんは黙って聞いてくれている。でも口がぽかんと開いている。夕日で赤くなっている顔がかわいい。
「もっと仲良くなりたい」
上出来だと思った。長山さんのように自分の思うことを素直に言えたんじゃないかな。
「……」
「……」
公園を行き交う人たちと私たちの真上のセミがうるさい。私は私たちの沈黙に耐えられなくなった。
「あの…」
「いわちゃん!」
「え!?うん!」
「あたし、いわちゃんを──」
ふわりときれいな石鹸の香りがした。そして彼女の声が聞こえなくなった。言えなかったのかもしれない。強風が公園に吹き込んだ。反射的に目を閉じて涼しさを感じる。いきなり吹いた激しい風に公園内にいた人たちは驚きで短い悲鳴を上げた。嬉しそうな小さい子の声も聞こえる。
「わーーー!何!?すごいすごい!」
長山さんの楽しそうな声も。
砂や落ち葉を巻き上げた風は一瞬で治まる。周りの人たちは身なりを整えた。私もスカートの裾を伸ばして髪を撫でつける。
「ひゃ~!急に!びっくり!まさに突風だったねぇ」
「…長山さん、さっき何か言いかけてた」
「え?忘れちゃった!」
長山さんのことだし本当に何を言おうと忘れたかもしれない。私も何も言えなかった。
「あーーー!やばい!門限!」
「あっ」
七時十五分。走らないと間に合わない時間だ。
「夕飯なくなる!いわちゃん!!!」
「はい!」
長山さんが両腕を大きく広げると私は抱きしめられた。腕ごと包まれ身動きが取れない。ギュッと力を入れられても苦しくなかった。
「長山さん…?」
「いわちゃん!ありがとう!」
そう言われて解放された。ベンチに置いてあった荷物を持って長山さんがバタバタと走り去る。
「また水曜日にね!」
振り返りながら私に手を振る。バック走は長山さんには早すぎる。
「ま、前向いて!気をつけて!車とか!」
「うん!」
「家に着いたら連絡して!」
「はーい!」
私も大きく手を振り返しながら長山さんを見送った。彼女の姿が見えなくなるころには真っ赤な夕日はすっかり暗くなっていた。私も帰らなくちゃ。
長山さんとは反対方向へ歩き出す。走ってもないのに息が上がった。今年の夏は暑くなる。私はまた実感した。
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