第12話 二人の明日
アスガルド国ヴィクトリア市の天気は雨であった。
昼は晴れ、人がせわしなく動いていた。しかし、夜になると人足が掻き消えたかの様に遠のく。それに合わせるかの様にヴィクトリアの交差点に雨が降った。その雨は始めから土砂降りの様相となり、都会の夜をしっとりと十分に濡らしてゆく。
ヴィクトリアの一角。都会の隅に1人の男が立っていた。
軍服姿の若い男が黒い傘をさしてじっと一点を見ていた。
レオハルト・シュタウフェンベルグ中将だ。
雨の中を歩く人間は大抵不快そうな顔をする。
彼とて例外ではなかったが、彼の場合は険しい顔の理由は別にあった。見つめていたのは一件のバーだ。ネオンで光るバーの看板。極彩色の文字表記が雨の中でも陽気に輝いていた。
「………………あれか」
レオハルトはゆったりとした足取りで、店の中に入っていた。
店の雰囲気はフランクで庶民的。隠れ家の雰囲気を放ちつつもどこか懐かしいバーであった。テレビと室内灯の明かりだけがうっすらと照らす。
「9月20日のツァーリン連邦の大使館職員と軍高官が過激派組織『リセット・ソサエティ』のスパイ容疑で逮捕された事件で、ツァーリン連邦政府は国際的ハッカー、『アラクネ』と収容基地を襲撃した『シャドウ』を名乗る男に対する攻撃を取りやめるかわりに捜査に協力するよう要請しました。この事件はAGU(アテナ銀河連邦)とアスガルド共和国政府の調査によって発覚し、AGUを始めとした各国から厳しい非難の声明が発表されています」
「……実際には、アラクネの情報によってどこも重い腰をあげた様なもんだがな」
「まあねー、でも向こうにもプライドや機密があるから、ホントのこと言っても誰も得しないしさ」
社交的でおしゃべりな青年と気だるそうな壮年の男が楽しそうに言葉を交わしていた。レオハルトはその二人の顔を見逃さなかった。
「……カズ・リンクスとジェイムス・ジョニー・スレイドだね?」
笑顔を絶やさずレオハルトは近寄った。
「……捕まえに来たのか?中将殿」
「……いや、シンはどうしている?……そちらは?」
「シンならぴんぴんしてるぜ不気味なくらい。……こいつはカズ。語学の天才兼シンの親友だそうだ」
「こ、これはレオハルトさん!お会いできて光栄です!感激です!」
「ふふ、ありがとう」
カズの握手にレオハルトは笑顔で応じた。彼の表情から笑顔と尊敬の色が溢れていた。
「やれやれ、カズはどうしてそう無防備なんだよ?捕まえに来たらどうするんだ」
「あ、あはは、僕って信用ありません?」
「……はぁ、ホントとやりにくいな。……いいさ。それにしても何の用なんだ?」
カズのフレンドリーな性格に振り回されつつも、ジョニーは相手の目的を冷静に訪ねた。
「シンにお詫びとお礼を。ユキ・クロカワの件でろくに助けられなかったのは私の不手際で……」
「……気にすんなよ。天下のア、アー……ユキが嵌められたんだ。よっぽどひでえ手段を使われたんだろうさ。それに、ユキも仲良くする相手を選べば良かったんだよ」
「……それはよかった。今度の彼女は間違えないでしょうから」
「ほぉ、その根拠は?」
「相棒がシンだから」
「説得力があるな」
タバコに火を付けながら、ジョニーはテレビの方をじっとみていた。
テレビの話題はツァーリン連邦政府の内紛で持ち切りだった。大使館襲撃の際はアラクネの非難で一色だったマスコミは、不祥事が発覚するや否や、手のひらを返してアラクネ同情論を展開している。
どうしようもない連中だとレオハルトは呆れるしかない。しかし、そんな連中の手によってユキの名誉が回復しているのも確かなので、レオハルトにとっては複雑な嫌悪感を噛み殺すのに必死だった。
「ユキちゃんよかったよ。ライコフはひどいよ。ユキは優しくて真面目でいい人なのにさ……」
「……お前が異性愛に目覚めるとはな」
「そういうわけじゃないけど、ユキは一人じゃないって分かってほしいな。あの人疑心暗鬼になりすぎて明後日の方向に真面目になるところがあるし。もういっそシンと恋人になれば良いのにー」
カズは陽気に『やれやれのポーズ』をとる。
「ちげえねえが、しかたねえさ。アイツは……」
「……シンに会うまで、誰にも褒められず必要ともされなかった」
「……さすがに知ってるか、SIAの局長殿は」
「……ああ、ユキ・クロカワが今は亡きジーマTHX国の出身であることや、孤独で悲惨な事を経験していることはもう知っている。……シンはなおさら救いたいと考えただろうな。なぜならシンも……」
「…………」
「…………」
二人の表情が沈む。早死した人の葬式に居合わせた友人のような沈痛な表情であった。
「……すまない。これは余計だったみたいだ」
「いいさ。だれにでもそういうことはある」
「……すまないな。ジョニー」
「さて、話題はそれだけじゃあないだろ?」
「ああ、シンとユキの民間警備会社のアプローチ方法を教えてほしい」
「……二人のこと、もう知ってんのかよ!?」
「僕を甘く見ないでほしいな」
「さすが、レオハルトさん!」
「お前はどっちの味方だ!?」
「どっちも」
「ふざけんなぁ」
突っ伏した様にジョニーが『降参のポーズ』をとる。
「……その心配はないぜ。もうじき二人来るんだからな」
「……おお?」
レオハルトの「おお」と扉を開く音はほぼ同時であった。
「……レオハルト中将」
「どうやら、元気そうだ。少しほっとしている」
シンは目を丸くしながらも、頭を下げた。
「……すみません。せっかく『名誉除隊』にまでしていただいて」
「……君は優秀な人材だ。それ以上に君が仲間や民間人を救って来た功績は讃えられてしかるべきだ。……それに、君の名声は正規軍でも有名だ。今回の件も相棒の救助作戦だった事が証明された。君に必要なのは罰より賞賛だ。さもなければ私は総スカンを食らうだろうな。事実、私の提案に反対した士官はもれなく『総スカン』されたぞ」
「……皆に感謝します。そうお伝え下さい」
「もっと誇ってもいいんだぞ?」
「……私は純粋に『孤独と絶望に苦しむ人』を救いたかっただけです。罰せられても後悔しないとすら考えておりました。それなのに皆は私のことを認めてくれて……これほど嬉しいことはありません」
「……私からもおねがいします。私一人のために貴方が動いてくれたことは伺いました。この場を借りてお礼申し上げます」
二人は席を立ってから、仰々しく頭を下げた。
「ふふっ、つくづく真面目だよ。君たちは」
「……すみません」
とシン。
「……すみません」
とユキ。
「……軍の外人部隊を抜けてからはどうするんだ?」
「……ユキと二人で民間警備会社を。『バレット・ナイン・セキュリティ』と申しまして。船や要人の警護や、護身術のインストラクター、軍事や警備のコンサルタントをしながら食いつないでいきます」
「……そうか。もし、食い扶持に困ったら仕事をいくつか回すよ。その時は来てくれ」
「ありがとうございます。……ですが、しばらくは自分で仕事を探します」
「……そうか。どうか身体に気をつけてな」
「ええ。ありがとうございます」
レオハルトとシン。『青い旋風』と『カラスの男』。
二人の戦士は敬礼を交わし合った。互いの今後を讃え合う様に。
しばらく敬礼が続いた後、レオハルトは店を出た。
「……さて、酒の続きだ」
「飲過ぎるなよ?明日は仕事が待ってるからな」
「あの戦いだけのはずがなぁ。冗談きついぜ」
「俺が暴れているのをみたければ、ついていくしかないとか言ってたの誰だったか?」
「言ったっけ?」
「ごまかすな」
「ふ、分かってるさ。契約厳守だ」
「ああ」
そういって酒を飲みかわしていると、ユキがシンに声をかけた。
「シン……」
「どうした?」
「……ありがとう。救ってくれて」
「…………もう死にかけるな。救うのも大変なんだ」
「……すみません」
「いいさ。それより悪い男に縁がありすぎるから気をつけてなユキ」
「うん、そうする」
「その悪い男ってこの人?」
にっこりとしながら、カズが割り込む。
「……俺が言っているのはライコフの間抜け面の様な輩だ」
「まぁねー、でも『良い男』も皮肉っぽく『悪い奴』って表現することもあるよ」
「……ふ、そうかもな」
皮肉っぽく笑いながらシンは穀物酒に口をつけた。
酵母の香りとふんわりとした苦みと旨味。酒に慣れたシンの舌を満足させるのにも十分な大人の味であった。
「……マスター。この酒をもう一つ」
「飲過ぎないで下さいよ。仕事があるんでしょ」
「ああ、だが最後にもう一つだ。オンザロックで」
「はいよ」
酒の注がれる音を聞きながら、シンはテレビのモニターを見た。
いつのまにか、ニュースは次の話題に切り替わっていたのであった。
株価、不祥事、殺人、外交。
いくつかの話題を取り上げた後、マスターが声をかける。
「……ここ置いておくよ」
二杯のグラスに注がれた酒がシンのそばに置かれていた。
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