第11話 空よりも尊く

沈黙が肌を刺す。

震えるような空気が、身を隠しているシンとユキの精神を確実に削り取る。勝算がある時ほど戦は危険だった。

隠された戦術が牙をむく可能性がある。

隠された罠が口を開けている時がある。

飛び出すタイミング一つで全てが決まる。

一回の攻撃が全てを変える。

その瞬間は、どの戦場にも訪れる。

しかし、それをものにできるのは、綿密な作戦と精密な動き。

見破られたら終わり。失敗しても終わり。

チャンスはもうない。たった一度。それだけ。

シン一人の命だけではない。成人に満たない頃から一緒だった相棒も地獄に堕ちることになる。失敗は絶対に許されない。二人とも生きるか、それとも死ぬかだ。二者択一。二つにひとつだ。

「…………」

ユキは相変わらず黙っていた。虚ろの瞳をして。光のない目をして。ただ虚空を見ていた。

「…………シン」

「なんだ?」

「……私を見捨てて逃げて」

「ふざけるな」

「私は本気よ」

「なおさらだ。ふざけるな。……俺はお前を生きて帰す。魂に誓って」

「……かっこつけてるの?」

「別に良いだろ?」

「……あんたって人は」

目は虚ろのままだが、ユキの顔に笑顔が戻った。

「ところでだ。例のデータってどこにある?」

「ここよ」

ユキは自分の頭を指差した。記憶していると言う意味ではない。ユキは両腕とうなじの一部を機械に置き換えている。彼女はいわば『生きたコンピューター』である。彼女の存在そのものは人工物ではあるが、両腕とうなじの接続口部分以外は生体部品で構築されていた。

ジーマ人の社会のあり方は『絶対の統制』。それが滅びた国が目指した『正義』のあり方であった。

秩序さえあれば悪徳は育たず。

平和さえあれば殺戮は起きず。

それが、ユキの国の理想・正義であった。

国からすれば『ユキ』はがん細胞のような存在だったことは想像に難くない。しかし、それ以前に彼女は『正義の味方』としての役割が与えられていた。彼女はどんな真実を見たにせよ。彼女にとって辛い真実だった事は確定的だった。

彼女の今までの行動をシンは思い返した。

大使館の襲撃。データの回収。大量破壊兵器のデータ。そしてジーマTHX国の滅亡。

この事が意味するのは、パンドラの箱。

開けてはならないおぞましい現実。

シンは反射的に、ライコフの言葉を思い返した。

アスガルドは滅んだのだ。350年前に滅んだのだ。『魔装使いたち』の手によって滅んだのだ。

魔装使い。ユキはその存在を葬ろうとした。永遠に。

それが正しいのだとすれば、結論は一つだった。あのデータは『大量破壊兵器の製造法』でもあり、『文明や人類を蝕む自壊プログラム』でもあったのだ。

「……ライコフめ」

シンの表情が怒りで満ちる。

シンにとってなによりも許せなかったことがある。

孤独に戦う者に残酷な結末を押し付けること。

シンはそれを決して許さない。シンが銃をとり続けた理由の一つは紛れもなくこのことにある。

ユキは独りだった。しかし、同時に孤高だった。

ユキは人類の手でも背負いきれないものを一人で背負うつもりでいた。

機械の身体をもつ、ただの乙女。

そのパンドラの箱は女の子独りが背負うには余りに重過ぎたのだ。

シンはとうとう、ユキの背負う真実に気づきつつあった。

「……ねえ。最期に言わせて」

「……聞いてはやる。『最期』は余計だが」

「……ありがとう。……私ね。貴方と仕事を共にできて本当に良かった。もし、貴方に出会わなければ、私はもっと早く死んでいた。独りで、誰にも認められず、褒められもせず。……貴方は私のことをずっと信じてくれていた。ライコフに啖呵をきってくれた。いつも通りの口の悪さで」

「……俺は信じたい人を信じるだけだ。信じた人間が貶められたなら、神や正義の味方にだって反逆するまでだ」

「……私ね。もう十分なの。味方がいるって事を知れただけでもう十分なの。私はずっと独りだった。誰も私を認めてなんかくれなかった。『私は死ぬ前にだれかに認めて』もらいたかった。そして貴方は初めて会った時から、私をいっぱい褒めてくれた。それだけで十分なの。だからもういいの。貴方だけでも、私を置いて逃げて」

「…………」

シンはあるタイミングで目を見開く以外は冷静に言葉を聞いていた。

誰にも褒められない。

誰にも認められない。

シンは遠き日々の親友の遺言を思いだしながらこう言った。

「……ユキ、聞け。俺はお前を見捨てはしない。それを聞いたらなおさら見捨てる気になれなくなった。俺は思いだしたよ。この澄んだ空よりも鮮やかに輝く『蒼穹の精神』を。誰かに認められず苦しんでいる人間が孤独から抜け出したいと思うことは自然なことだろ?もしそれが『悪』だと言うなら、もし、見捨てることが正義だとされるなら、俺は『正義の方を否定』してやる。人を望まぬ孤独から救えない正義に価値なんてない。俺はユキを連れて『日常』に帰る」

「……シン」

「だから、ここにいろ。決着をつけてやる」

シンは風のように速く駆け出した。

シンはただの人間。特殊能力の類いはほとんどない。せいぜい事情があって『霊感のようなもの』が強いだけに過ぎない。彼一人の力は、せいぜい『高度な戦闘訓練を受けた』程度のものだった。

それに対して相手は高熱の火球を操る能力をもつ。

最低でも超能力保持者、メタ・アクターだ。そうでないならメタビーング、つまり、人間の姿をした人間以外の何かだ。

挑むこと自体が自殺行為。普通の発想なら見捨てて逃げるか、自分を犠牲にするかの二者択一だ。

だが、シン――シャドウは決意する。大きな博打を。

『大きな敵』を排除すればあとは逃げるだけだ。敵の援軍の到着はまだ先。

全て救うか。地獄に落ちるか。

シャドウは最後の勝負に打って出た。

シャドウは凍結手裏剣をライコフの足下に、爆弾付きの羽型手裏剣をタンクに突き刺した。

ライコフは足下の物体に気づき『後ろへ』下がった。

「おぉっと、残念。奇襲を狙っていたようだが、外れだ」

「ぐ」

「おぉっと、拳銃なんぞ効かんぞ。蒸発させればいいからな」

シャドウは小銃と拳銃を出鱈目に『見える様』に撃った。

何発かの弾丸がライコフを素通りし、ライコフに当たりうる弾は蒸発した。

「無駄だよ。哀しいくらいに――」

爆発、そして奔流。

ライコフは一瞬何が起きたのか分からなかった。

しかし、しばらくしてその奔流は冷気を帯びていることにライコフは気づく。

「な、まさか……」

ライコフはその場を離れる為に足を動かそうとする。

バキ。

左足がもげる。断面も体表面も『液体窒素の冷気』で白く凍結し、自身が生きた存在から氷のオブジェへの変化をしている事実を冷徹なまでにライコフに悟らせる。

「……な、……が……」

次第に声も出すことも、眉一つ動かすことも、ましてや、能力を行使する事もライコフにはできなくなった。彼の悪意に満ちた表情と火球を出す為に向けられた右腕が空しくその場に留まっただけだった。

慢心。哀しいくらいの慢心。

ライコフは一方的に嬲ることにこだわり、周りをみてはいなかった。敵の罠に気づくチャンスを自分で不意にしてしまった。かくして、冷徹な火球使いは、醜悪なしかめ面をする氷のオブジェと成り果てた。

「……ずいぶんな間抜け面だな。プロフェッサー?」

残酷な笑みを浮かべたシンは拳銃に予備の一発を込め、放った。

バン。

バケツを叩いたような破裂音が辺りに響き渡った。

ライコフの凍った頭部、悪意に満ちた悪魔の表情は、拳銃弾の直撃を受け粉々に砕け散った。






闇と木の空間を二人の体が切り裂いた。

音と光のない空間に草木の音だけがガサガサと響いた。男と女はただ道を突き進む。道があろうとなかろうと。二人はただ進む以外の選択肢しかなかった。後ろには死よりも惨い結末が待つのだから。

「止まってくれ。シン」

青い残像が二人の前に立ちふさがった。

残像と閃光の軌跡が一つの形を作り出す。

若き将軍。救国の英雄。

レオハルト・シュタウフェンベルグ。

『蒼い疾風』の異名を与えられし共和国の正義の象徴が、二人の男女に言葉を投げかけた。

「……すみません。中将」

レオハルトが立ちふさがった横をシンは通り過ぎた。

その度にレオハルトは立ちふさがった。

風より速い走力をもって。

「シン。君まで追われる事はないんだ。だから……」

「……中将」

シンと呼ばれた背丈の低い傭兵は苦い表情を浮かべる。しかし、すぐさま表情を変えたかと思うと毅然とした表情と言葉を返したのであった。

「……中将。私は彼女を見捨てる事はできません。彼女はこう言っていたのです。『死ぬ前に誰かに認められたかった』。僕は思ったんです。この世で最も哀しい遺言だって」

「死ぬかもしれないんだぞ……」

「親友と。亡くなった最初の親友と同じ言葉でした。……僕は納得いきませんよ。だから、軍を一時抜ける事をお許しください。中将」

「…………」

「契約金は例の口座からお返しいたします」

「…………ああ」

それっきり将軍と傭兵との間に言葉はなかった。そして英雄は妨害する事なく、二人を見送ったのである。

手を繋ぎながら、傭兵に連れられるがまま女は前へと進んでいった。

生身の手を模してはいたが、女の手は機械で出来ていた。

その腕を引っ張る様にして、ユキとシンは闇夜の中へと消えていった。

「……ライコフ。君は馬鹿な男だったよ」

二人を見送ったレオハルトは哀しげな表情でそう呟いた。

雪。木々、雪を被った茂み。

雪化粧の木々の中で一人、若い軍人がたたずんでいた。

「……イェーガー」

「……ここに」

「後始末に付き合ってくれ」

「承知」

雪と草で覆われた森。その暗く優しい空間を二人は静かに立ち去った。

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