第10話 火球の男
シンは叫んだ。
力の限り叫んだ。防弾ガラスの牢獄に。力の限り。
囚人服の見慣れた女がこちらを向く。
目に光がない。ガラス玉の様な不器用な虹彩がこちらを覗くだけだ。その暗黒のような瞳から人間性の欠片を見いだすことはシンにはできなかった。
シンはそれでも語りかけた。
強度の高いガラスの牢獄をぶち破る為に自動小銃を手に取る。
一撃。
一撃。
もう一撃。
銃床の部分で何度もガラスを殴りつける。
しかし、いくら殴ってもひびしか入らない。
銃を撃つこともできる。しかし、限られた弾数で突き破れる保証はない。例え突き破れても突き抜けた弾丸が中のユキに当たる可能性もある。破片での怪我も想定しなくてはならない。撃って破るのは最後の手段だ。
端末で開けられるかもしれないと、シンはそう考える。
幸いにも、ユキのハッキング用ソフトウェアのおかげで基地内のセキュリティはしっちゃかめっちゃかだ。そのシステムの一つを使ってこの扉を開けることも十分、可能だ。シンはその可能性に賭けた。
ピピ。
電子音が鳴り。扉が開かれる。
透明な牢獄の隅に、アラクネと呼ばれた女が座っていた。
「ユキ。ユキ!出るぞ!早く!」
ユキは驚いた表情で――シンの方を――シャドウの方を見た。
「シン。来てくれたんだ」
「そうだ!ここから出るぞ!ここに敵が来てもおかしくない!」
「……」
ユキは黙りとしたまま動こうとしない。
「ユキ!こっちだ!」
シンはユキの手を掴んだ。
黒いグローブがユキの機械の腕を掴む。その腕は生身の腕と遜色のない見た目をしていた。しかし、拷問の為かその腕に傷がいくつか見える。
神経に過剰な痛みの情報を流し込む為に、いくつもの乱暴なきずが見えた。
切り傷。切り傷。切り傷。穴。ちぎれた人工皮膚。切り傷。
余りにも痛々しい腕の部分から機械の部分が覗いていた。
生身の部分はもっと傷がひどかった。
頬の部分は青あざのようになっている。服の下にはきっと生々しい打撲の後があってもおかしくない。その証拠に、手を掴んで立った後のユキは、足を引きずるようにして走る体勢をとっていた。
「ユキ!?……ぐ」
シンはそんな彼女を背負い込んで走った。
ベルトのついた小銃を肩に掛け、ユキを背負う。
満足に走れない彼女を背負ったまま、風の様に駆けた。
廊下を。
丁字路を。
長い廊下を。
外から機関砲の音がする。
AFに乗れるか?乗れたなら想定より効率よく逃走できる。
杞憂だったか?
しかし、その不安は的中する。
溶けた。
熱したバターみたいに溶けた。
『無人のファランクス』は火球の直撃を食らった。
溶けた機体が爆発し、破片があたりに飛び散る。
「やれやれだ。ここの連中は使えん」
シンはその声に聞き覚えがあった。
大使館で出会った男。ライオンの様な人相。もじゃもじゃした髪。紳士的な服装と態度。
プロフェッサーライコフ。
黒い噂の学者。技術士官。
今回もライコフは笑顔だ。
しかし、いつもの張り付いたスマイルではない。
暗い。
闇よりも、夜よりも、その瞳は暗かった。
見開かれた目元と不気味に緩んだ口元がその醜悪なサディストの本性と笑顔を覗かせていた。
「まさか、君の仕業だったとはね。シン・アラカワ」
「……今までどこにいた」
「ミサイル発射地点の近くだ。鼠がうろちょろしていると思ってね。……そしたら狙撃とはね。まさか、あの距離のあの地点にいるとはね……」
「……会えて光栄だよ。色々と聞きたいことが山ほどある」
シンはユキを下ろしてから、ライコフを睨みつけた。
「まさか噂の『カラスの騎士』が君とはね。これは貴重な情報だ。そのフェイスマスクと、噂によって覆い隠された情報は『私たち』の重要な情報になる」
「……『私たち』か。『リセット・ソサエティ』のことか」
「ああ、まさしくそうだ。レオは私たちの事をそう呼んでいたな?」
「レオ……レオハルトか」
「彼との付き合いは長い。大学のときの彼は本当に参考になった。振る舞いの仕方、言葉遣い、彼は紳士だ。一流の紳士だった。彼との出会いは本当に参考になったよ」
「……そうか。昔話はまた今度だ」
「……まて、私が君たちをただで返すとでも?」
「そうしてくれればありがたい。お互いに」
「……役立たずの兵士ども!!たったひとりの狂人ごとき、なんで止められんのだ!」
「空からの奇襲は昔からやっているのでな」
「クズども!統率ひとつとれないクズどもが!頭に来ることばかりだ!なにより頭に来るのは、……彼女だよ」
ライコフはユキを指差した。
「哀れなハッカーが小賢しく証拠なんぞ嗅ぎ回らなければ!我々は穏やかにアスガルドを滅ぼせたのだ!」
「証拠か。そう言えば大使館の件はデータがどうって彼女が言ってたな?」
「そうだ。あのデータさえあれば、今回のミサイルがダメでも何とかなる。アスガルドだけじゃない。滅ぶべき民族は全て滅ぼせる。価値のない者は全て焼却できる。選ばれた者だけが残る。理想!そう、理想だッ!千年王国の樹立だッ!」
「……アスガルドに恨みでもあるのか?」
「違う。恨みなどと言う矮小な理由ではない。アスガルドは350年前に滅んだのだ。『魔装使い』たちの手によって自滅したのだよ。なのに滅んだその日を歴史の転換と勝手な認識をするに飽きたらず、繁栄を再現し貪る。これほど無様な民族は類がない!!潔く滅べば良いものをッ!!」
「……ふざけた価値観だ」
シンは手裏剣状の物体を構える。『羽手裏剣』の真ん中に装置がつけられている。分子振動抑制装置。直撃した物体近くで作動し凍結させる。火球を操るライコフの牽制をシンは意識し続けた。
「ああ、死に損ないと言えば、その小娘。彼女には心底うんざりさせられた。私がレオハルトの知り合いだと分かると態度を軟化させてきてな。ちょっと優しく話しただけで犬みたいにすり寄って……」
「……今の言葉。私の相棒の侮辱ってことで、いいか?」
「……ああ、小娘の仕事ぶりや有能さにもうんざりしたが、人間への信頼を捨て切れない部分に反吐が出たよ。偽善!まさしく偽善!戦場の真実に無頓着な偽善者!絶望を知らない小娘。彼女の人に対してすり寄る姿勢に反吐が出る!」
「……」
ユキは黙っていた。絶望的な表情でうつむく。感情の変化がごっそり抜け落ちたようだった。しばしの沈黙の後、ユキは口を開く。
「……あなたはずっと絶望していたのね」
「……そうだ。その通りだ」
「……どうして?ライコフさん……」
「それだよ。人間は真実に無頓着だ。他所で誰かが傷ついても自分たちが危険でなければのほほんとしている!それのどこが良いのだ?平和ボケの偽善者どもに絶望という現実を教えてやろうとしているのだ!」
「……てめえ」
フェイスマスク越しにシャドウの怒気が波及する。
「ユキ?君は警察に潜ませた私の部下を傷つけたね?それは別に良い。無能な部下などただのお荷物さ。むしろ感謝している。しかし殺さない様にしただと?反吐が出る」
「……反吐が出るのはお前の方だ」
「黙れ。それより、何にも知らないユキが実に哀れだよ.」
「………………私はただ、みんなに褒められたかった」
その言葉を聞いたライコフはしたり顔でにやりと笑う。
「そうだ。だが、君は『失敗作』だ。幼い頃に滅んだ『ジーマTHX国』の最終兵器。それが君だ。君が感情なんぞもたず、道具として任務を果たせば、国は滅ぶことはなかった。君は欠陥品の国防兵器だ。……どっちにしても君は使い捨てだったと言う訳さ」
「…………」
「そんな君に……せめてもの私からの餞別だ。思う存分、焼ける苦しみを味わいたまえ!」
高熱と閃光。
ライコフの手から火球が放たれた。
火球にシャドウの羽型手裏剣が直撃する。羽を模した金属の刃が溶け、装置が作動する。
火球が消滅し、羽手裏剣は焼き切れた。
「……調子に乗るな」
「……それはこっちのセリフだ」
「私の相棒が『欠陥品』?てめえはレオハルトから何も学んじゃいない」
「……ほう?」
「レオハルトは人間の可能性を強く信じている。彼にとってはユキも例外じゃない。言うまでもないが、俺はそれ以上だ。ユキの価値を『知っている』んだよ。彼女の助けがあって成功した任務はたくさんある。俺はてめえ以上にユキの価値を知っている。彼女を苦しめるなら容赦しない」
「そうか。その態度がいつまで続くかな?」
火球が迫る。
凍結手裏剣でシンは迎撃する。
状況は圧倒的にシンが不利だった。
凍結手裏剣が切れた後は避けるしかない。しかし、避けようにも背後にはユキがいる。
まずユキを逃がさなければ確実に共倒れになるのは明白だった。
「ユキ!逃げろ!ここは任せろ!」
「……」
「ユキ!」
対メタビーング用凍結手裏剣の数が0に近づく。この状況では絶望だ。煙幕をまくだけで精一杯だった。
「……『容赦しない』ではなかったのか?」
ライコフが不気味にせせら笑う。
煙幕に紛れ、ユキを連れて隠れるだけしかできない。シンは苦しい状況に立たされた。
凍結羽手裏剣は残り一つ。
その他の武装。装弾数十五の拳銃。予備の弾。拝借した自動小銃。フラッシュバン二つ。焼夷手榴弾一つ。爆弾付きの手裏剣三つ。
ナイフ二本と煙幕はあと五つ。
相手が火球をどの程度操るか分からない以上はシャドウ側が圧倒的に不利だった。先ほどの応酬である程度の能力の特徴は掴めたもののどの程度の威力をもつかは不明。人体が触れれば即炎上もあり得る以上は迂闊な動きはできなかった。
見つかれば即死。
その状況下でユキを連れて逃げる。そのリスクは大きい。
動けない。道端にはゴミ箱と石ぐらいしか見つからない。
何かないかとシンは辺を見た。倉庫。無事なタンクローリー。
……液体窒素のタンク!
建物を壊さない様に襲撃したことが幸運だった。軍用地には爆発物が多い。その管理の為に液体窒素は必ず置いてある。極低温の液体窒素を浴びせれば、勝算は十分にあった。
問題はどう誘い出すかであった。
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