第9話 狩人とカラス

アラクネの監獄はちょっとした要塞であった。

ミサイル警備のためにAFは最低限の旧式すら配備されてはいなかったが、その代わり対空砲台や地対空ミサイル。そして戦闘用車両が数多く配備されていた。兵士の数も多く、監視システムは厳重である。

脱獄も、外部からの襲撃も困難な基地であった。

そのうえ、入る人間は最新鋭の監視システムで全てチェックされており、不審な人物の侵入は収容基地全体の兵士を呼び寄せる事を意味していた。

「発射計画はどうだ?」

軍服を着た老齢の男は語りかける。モニターには獅子の様な風貌の男がにこやかに話しかける。

「……問題ない。アスガルド側もこちらの思惑には気が付いていない」

「それは本当なのだな?」

「……くく、レオハルトの奴の勘が良いくらいで後の連中は、のほほんと平和を貪っているよ」

「それはなによりだ。彼らが打撃を被ってくれれば我が国は政治のカードを切りやすくなる。ありがたいことだ」

「……では私は特等席で見ているよ。……滅ぶべき民族がようやくあるべき姿にもどる様を……」

通信が切れて、モニターが切り替わる。

それを見ていたアレクサンドル将軍は、グラスに酒を入れほっと胸をなで下ろした。

「……リセット・ソサエティか。奴らは再生を謳いながら殺戮を美化する。なんともおぞましい連中よ。……だが、奴らのおかげで『鼠』が消える。『アラクネ』という名の『鼠』が、明日はめでたいことだ」

アレクサンドル将軍が空を見上げると、モニターに突如メッセージが写る。

そして、アラクネがシャドウに残した遺産。それが牙を剥く。

彼はそれを見るな否や、腰がすっかり抜け、歯をガタガタと音をたてはじめた。通信がずたずたにかく乱される。

「……なんてことだ」

しかし、これは序章だった。予告に過ぎない。

本当の恐怖はこれからだった。






首都ロスダムから反対側の地域。

見渡す限りの雪原。

なにもない雪原の一カ所に確かにそれは存在した。

『死の矢』と称されるべき発射台だ。

「……この距離から当てるのかよ」

なだらかな山地に、寒冷迷彩の『ファランクス』が二体いる。イェーガーとジョニーだ。

「問題ない。…………風速と風向き」

「西14メートル。やべえぞ。この風じゃあ当たらんっぞ」

「問題ない。もっとひどいケースで狙撃したことがある。この辺りなら許容範囲だ」

ジョニーは冷静であった。

いつも通りの仕事に向かうかの様に。

ジョニーの乗るファランクスは規格品の装備をしていた。30ミリ機関砲、近接戦用槍型兵装、AF用グレネード。歩兵の装備を巨大化したかのような厳つい装備だ。しかし、もっと目を引くのはアルベルト・イェーガーの装備だ。

規格の装備を全て外し、サイドアームと大型ライフルのみで武装している。

狙撃に特化した彼らしいチョイスであった。

イェーガー機が狙いを定める。

照準補助のソフトウェアはほぼオミットされている。

照準は全て手作業。

イェーガーの狙撃手としての技量に比重が置かれている。

「…………」

4キロ先のミサイルにスコープの十字が定められる。

「西風14メートル、コリオリも想定……」

照準の位置がずらされ、修正される。

「……」

呼吸の音。

吸って。

吐く。

吸って。

吐く。

イェーガーのコックピットには息の音だけが響く。

通信ごしとはいえ、その独特な緊張感をジョニーは感じざる終えない。これは職人の世界であると、静寂の中で冷徹な成果だけがものをいう世界であると。

自分の知る修羅の世界とは違う冷徹な仕事の雰囲気にジョニーは息を飲むしかない。

ドン!

強い衝撃がコックピット越しに伝わる。

派手な爆音ではない。重い衝撃。それが響いた音。重量が伝わる衝撃が聞く者に独特の薄ら寒さを感じさせる。

矢は放たれた。

閃光。

雪原に光が放たれる。爆発の煙と火が全ての事実を克明に知らしめる。

アスガルドは救われた。

平和が保たれた。

「……ジョニー。感謝する」

「…………」

「ジョニー?」

「え、ああ、お前が味方で良かったよ」

「ふん、あいつのところに行ってやりな」

「わりいな」

一機のファランクスは雪原の地平線に向かって走る。ローラーが地面を削り、道を開く。

その様子をじっとイェーガーは見つめていた。

潜んでいた敵がそばに迫る。

「……さて、いらっしゃい」

イェーガーはあくまで冷静だった。






「ロスダム第四中央収容基地司令アレクサンドル。お前は私の唯一無二の相棒を痛めつけた。その『お礼参り』に向かう。シャドウ」

メッセージの中身は報復だ。

シャドウ。

シャドウの異名。

カラスの男。

闇夜の自警団。

黒翼の聖騎士。

ありとあらゆる異名。

大抵こんなあだ名はフィクションの産物。箔を付けるためだけの小道具に過ぎない。現実では名前だけが一人歩きをして、実体が伴わない事が多い。

しかし、シャドウは違う。

シャドウの異名は、本物だ。

彼は国籍や人種、種族を問わず多くの人を救って来た。

それと同時に、数多くの強者を葬ってきた。

智慧と体術、兵器と策略。

綿密に計画された戦略と鍛え抜かれた戦士の技。

だがこれらはシャドウの真の強みではない。

執念。

シャドウの強さは執念にあった。

長い戦場での経験と見識がアレクサンドルにシャドウの恐ろしさを明確に指し示す。

アレクサンドルは幸か不幸か『シャドウ』の存在を認知していた。

『37』との戦闘経験は一二を争う恐ろしい体験だったことは事実として残っている。アレクサンドルにとっての恐怖はただ一つ『シャドウ』である。

「…………狙いはこの基地か。このタイミングで!」

基地の部隊はミサイル発射の護衛に出払っている。基地にはいない。戦闘車両と対空兵器があるだけだ。

「将軍!緊急連絡!」

一人の兵士が司令室に駆け込む。

「な、なんだ!?」

「星間ミサイルが……何者かに」

「……破壊されたのか」

「はい、ミサイル発射台の警護にあたっていた部隊は消滅!爆発に巻き込まれ……」

「……そうか。……基地の警戒度を引き上げろ!敵が来るぞ」

号令と共に警報が鳴り響く。将軍の号令のためではない。

将軍は部屋から空を見る。

点。

黒い点。

黒い点が長く広がる。

パラシュート。

黒いパラシュートだ。

空挺降下するAFの存在を確認する。

黒い機体だ。

「対空砲火!」

将軍は慌てて迎撃を命ずるが全てが遅かった。

対空砲火はパラシュートを撃ち抜いたが、黒いファランクスを破壊する事はできなかった。

残り60メートルを落下しながら、ファランクスの武装が火を噴いた。

機関砲と拡大されたグレネードランチャー。

文字通りの弾雨と爆煙は対空兵装とミサイルの全てを鉄屑へと変化させた。

降下と爆撃。

シャドウの独壇場だった。

彼のもともとの役目がある。

不正規戦。

シャドウの場合は敵後方の補給路や予備の戦力に対して奇襲を仕掛けることが得意であった。シャドウが外人部隊の一員だった頃。『カラスの男を見たら逃げろ』という教訓が一部の軍人の間で語られるようになった。

それはいつしか戦場の常識となった。

そして、その惨劇は再現される。

怒り狂ったカラスは炎の洗礼を基地に浴びせる。建物だけは破壊しなかった。

『アラクネ』をユキ・クロカワの存在を確保するためだ。それが済んだ後のことは誰しも想像がついた。

「や、奴を殺せ!何をしている!」

しかし、現状の戦力は装甲車の部隊だけだ。

残りは壊された。完膚なきまでに。

地上に降りた『鉄のカラス』は装甲車の群れをその歯牙にかけた。

一台。また一台。

炎と鉄屑に変えた。

女一人の為に破壊を尽くす。

女一人の為に屍の山を築く。

悪鬼の如き戦いは、かつてあったアスガルド軍との戦いを思い起こした。

あれは勝ち戦だった。

アスガルドは撤退を強いられていた。

カラスの男が殿を勤めた。

軍は圧倒的多数。

その時のアレクサンドルは若く未熟だった。

しかし、負けた。アレクサンドルの部隊は50%の味方を失った。

立った一人に。

カラスの男に。

地形と残された爆薬。水源。

水攻めにあった。

その時のことは後の老指揮官のトラウマとなった。

シャドウは機体を降りた。自動操縦モードのAFのコックピットハッチを開き、空を舞い降りた。

シャドウのスーツから、人工の黒翼が広がる。ナイトヴィジョンの機能も兼ねた多機能ゴーグルが自動で下がり目を覆う。

両腕が金属製の義手をつけた人造人間の反応を調べる。

人間。

人間。

人間。

いた。

司令塔と思われる施設の側。地下へ繋がる通路口。情報通りだった。

炎と煙に包まれた基地の敷地を駆ける。

ユキの囚われたエリアは司令室そばの特別室にいるのは分かっていた。しかし、もっとも恐れるべきことは、何らかの理由で別室に移動されることだ。だから一日前の囚人を動かし辛い時間帯での奇襲がベストだと考える事ができる。

そして、敵はただの女スパイの命より、ミサイルの破壊を優先する事を考える事を想定しただろう。そしてなにより、少数の敵が潜伏し、奇襲をかけた事は想定内だったと考えられる。

しかし、今回は規格外の戦力が投入された。

アルベルト・イェーガー少尉。

伝説の狙撃手。『37』に居た過去をもつ凄腕。

レオハルトの懐刀。

卓越した狙撃と潜伏技術によって、その神出鬼没さはどの国でも有名だ。

ただ、分からない事がある。彼が『なぜ手を貸してくれたか』だ。

彼は確かに義理を重んじる。彼にとってシンは古い戦友だ。しかし、それ以上に彼はレオハルトに一生分の恩義を感じている。今のシン、すなわちシャドウは平和の敵になりつつある。少なくとも表の社会では。

一個の大国を敵に回すテロリストを支援する理由をシンは分からなかった。

アスガルドの軍のトップがテロリストと組む。ツァーリン側のマスコミ等で国際世論を情報操作されれば、レオハルトも矢面に立つことになりかねない。メリットや義理以前にリスクの方が遥かに高いはずだった。

だが、考えている暇はない。

着陸したシンは、黒い翼を畳む。そして地下へと続く階段を降りる。

今のシンはただ『ユキ』を助けたかった。

その命を救い、真実を知りたい。

その思いが彼を突き動かした。

『もう一つの真実』を知るのは、その後でも良かった。

丁字路の角。

兵士が一人。

「お、おい!」

本能的にシンの身体が動く。

空間が前方に吸い寄せられたようであった。

兵士の身体が前に投げ出され、壁に叩き付けられる。

ほんのわずかな動作で、シンは兵士を無力化する。

柔術の要領で投げ飛ばされた兵士は意識を簡単に刈り取られた。

機関銃を拝借し、シンは駆けた。

そして。

ある場所にたどり着く。

ガラスの牢獄。

女が一人。

美しい黒髪と見覚えのある整った童顔。

橙色の囚人服を着たかけがえのない乙女がいた。

「ユキ!!」

『カラスの男』は力強く叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る