第20話 不可逆性悲劇
雨音が優しく響く。
ヴィクトリアシティ郊外の墓の前にはレナが立っている。首元には首輪型抑制装置がつけられていた。墓をみるその目は虚ろであった。
「…………」
レナは見ていた。無数の墓を。それらにはシュタインのファミリーネームが刻まれている。それぞれの墓石のそばに手向けられているものがある。それはどれもが色とりどりで生き生きとした植物であった。
花。
一輪の花。束になった花。二つ添えられた花。いくつもの花。
どれも、添えられたばかりの花であった。
「…………ただいま」
レナの目は虚ろだった。服装は黒。黒のドレス。家族と親戚が死んだあの日のドレスであった。元々は別の色であったが黒く染めてもらったドレスであった。
「…………ただいま」
レナは声をかける。墓石に、家族の魂に、救われぬ魂に、声をかけた。
「…………今日ね。フェリシアと一緒に頑張ったの。…………見つけたよ。…………でも、お仕事、下ろされちゃった。どうしてかなぁ……ごめんね……大好きな、…………お母さん……」
レナはお母さんの墓に呼びかけた後、別の墓石にも、別の魂にも声をかけた。
「……お父さん、ただいま。……おじさん、ただいま。……おばさん、ただいま。……アニー、デニス、ただいま。…………おじいちゃん、ただいま。…………おばあちゃん、…………ただいま」
ただいま、ただいま、ただいま。レナはそう声をかけ続けた。
答えるものはない。声も何も聞こえない。
雨が全てを濡らす。
雨がすべてを沈めに来る
雨が全てを重く暗く塗りつぶす。
「…………」
レナには沈黙しかなかった。
雨と時間は止まらない。それ以外は動かない。
「……ここにいたか」
「…………………シャドウ」
「フェリシアが心配してたんでな。探したんだぜ」
「…………申し訳……ありませんでした……」
「いいさ。それより、寒くはないか?」
「……大丈夫」
「そうか」
しばらく会話していると、二人分の足音が聞こえる。ユキとフェリシアだ。
「……シン!?レナいたの?」
「ここだ!」
シンは大きな声で呼びかけた。
フォーマルスーツ姿のユキと、SIA専用の軍服を着たフェリシアが駆け寄って来る。フェリシアはレナに抱きついた。無言で抱きついた。ユキは開いた傘を二人に差し出して様子を見た。
「……心配したの。心配したの」
「……ごめん」
「…………いいの」
二人はしばらく抱き合う。
雨音だけが優しかった。
フェリシアに抱きついたままレナは泣いた。
レナは声にならない声を上げた。そして、頬に人間的な滴が流れ落ちた。死者を想い、その苦痛と悲哀を分かち合う人間的な滴だった。
二人はユキから傘をもらい、静かに墓場から姿を消した。
「…………」
「…………」
シンとユキはその後ろ姿を静かに見守った。
見守ることしか出来なかった。
沈黙の空気を雨音がかき消す。
「…………レナの家族か」
沈黙はいつもシンが破る。ユキはそれに答えた。
「……そうよ。遺体が見つからなかった者もいるわ。レナの母もそうだった」
「……そうか」
「……あの日のレナはまだ新米警官だった頃のことで、警官になったことは『母』が唯一反対したそうよ」
「……なぜ?」
「夢を追うのは母として誇らしいけど、警察官は危険がつきものだからって普段から言ってたらしいわ。それで、その日も喧嘩して、森の方で泣いていたら……」
「それで彼女だけが生き残ったのか……」
「……ええ」
墓石に雨水がかかる。それは、最後のときに娘と喧嘩したことを『母の魂』が悔やんでいる様にも見える。シンとユキにはそう感じずにはいられなかった。
ユキは一歩墓の前に歩み寄る。その墓にはミア・シュタインと刻まれていた。
ユキは祈った。
雨の中、多くの魂のために祈った。
それにシンも続いた。
しばらく祈った後、ユキはシンに問いかけた。
「……ねえ。シン?」
「どうした?」
「…………どうして、人って殺されるんだろうね?……シュタイン家の人間って真面目な警察官の一族だったそうよ。真面目に生きている人間が『ムカついたから殺される』なんて……ひどすぎるわよ……」
ユキは目尻に熱いものを浮かべた。その時のユキは『アラクネ』の顔ではない。傷ついた一人の乙女として涙を浮かべていた。
「……」
シンはためらいながらも意を決して口を開いた。
「…………これは神や悪魔の仕業じゃない。…………人間だ。人間の仕業だ。それもおぞましい部類の人間の仕業だ。いつだってそうだ。ユキやカズのような愛と優しさを知る人間もいれば、平気で命を玩具にする奴がいる。……彼らにとって、自分たち以外は……!」
シンは拳を握りしめた。握った拳から血がしたたる。
彼の表情から憎悪が滲み出る。
その憎悪は『血染め天使』だけのものではなかった。もっと大きな『悪意』を、もっと大きな『不条理』を憎む戦士の顔をしていた。悪鬼の顔をしながらも、その態度に人間的な優しさを消すことはなかった。
シンとユキはどこまでも人間であった。人間であり続けたのであった。
雨の日のSIA本部にてスチュワート中尉は、ユキとシンを呼び出した。
「……今回は、本当にありがとうございます……受けてくれなければ、真実に近寄る事はできなかったのです」
「……ああ」
「…………」
「だから、改めて問いたいことがあります。『血染め天使』を『今すぐ殺す』べきかどうかです……」
「…………」
「…………」
「彼女は多くの人間を殺害してきた。法の裁きにかけても死刑は確実だ。……それでも、法には抜け穴がある。司法取引を持ちかけた場合は減刑される可能性も否定できない。だから、改めてどうするかを問いたいのです……」
「……お前次第だ」
シンは冷徹さを装って問いかけた。
「……俺に取っては中尉殿の契約が『法』だ。俺としては、血染め天使には報いを受けさせたい。だが、これは中尉が決めることだ。中尉殿やリック殿ならどう答えたかだ」
「……リックは怖かったと思います。それでもリックは真実を知るべきだと言ったはずです。これは、『血染め天使』だけが関わっていたのかと……」
「……!!」
「…………そういうことね」
「彼女は法の裁きにかけて下さい。しかし、『黒幕』に与える罰は貴方の裁量で決めて下さい」
「……違法で残酷な刑罰を執行するとしてもか?」
「……ええ」
「……わかった」
「報酬はAGU中央銀行で指定の口座に……」
「ああ」
ユキとシンは中尉に背を向け車の方へと足を進めた。その背後で、中尉が咽び泣く声が辺に木霊した。それでも、二人は歩を進めた。聞こえないかの様に振る舞い、十分に配慮した。
車内に乗り込んだユキはカズに連絡を入れた。
「カズ、ちょっといいかしら」
「……ちょうど良かった」
「?」
ユキは不思議そうな表情を浮かべた。
「来客が来ているんだ。アルベルト・イェーガーと名乗っている」
「!?」
アルベルト・イェーガー。アスガルド最高の狙撃手。レオハルト中将が一番の信頼をしている部下でもあった。レオハルトによれば、彼はテロリストの捜査のため別件で離れているはずだった。
「え?え?何故彼が?」
「とにかく来てくれ。彼とっても気が立ってるんだ。おっかなくて死にそう……」
「わかったすぐ向かうわ」
そう言って端末の通話を切った。
「……アルが来てるのか?」
「そうみたい。機嫌悪いから覚悟してって」
「珍しいな。彼が苛立つなんて……」
冷静沈着なアルが苛立つ理由は考えながら二人は事務所へと向かっていた。今回の基地跡襲撃以外にも見えていない事件が二人に見えてこようとしていた。
アルベルトは立っていた。立って待ちわびていた。
殺気を放ちながら仁王立ちする様は、魔除けの効果が期待できそうなほどの雰囲気を醸し出していた。しかし、その代償に、カズに冷や汗を垂れ流させる効果をももたらした。
「シン……たすけて……」
室内にいた筋骨隆々で色黒大男のジャックや元傭兵のアディでもたじろぐオーラを放っていた。ましてや、戦闘慣れしていないカズにとっては恐ろしいものであることは言うまでもなかった。
「……遅い」
「すみません」
「すまん。アル……」
「こんなことは屈辱だ!まさかSIA全体が良い様に踊らされていたとは!!レオハルト様の手前なんて報告すればいいんだ!」
「……もしもし?」
「シン!俺もスチェイ同様依頼をしたいことがある」
「……何でしょう?」
「一緒に『天使部隊』の『抹消』を手伝ってほしい!」
「……へ?」
抹消。言い換えれば『抹殺』であった。それについては予想通りであった。問題はその内容だ。
「……お前も『天使部隊』に会うつもりか?」
「そうだ!あそこの狙撃手とやり合ったことがある!今度こそアイツの額に穴を開けてやる!」
冷静沈着が人の姿をしていると評判のアルベルトが狂った様に怒っている。珍しい事態に明日の天気が『雨、時々曇り』でなく『槍、時々曇り』であることを二人は心配した。
「アル、本当の敵を間違えるな」
「……は?五大国の軍全てを敵に回してんだぞ?あんな連中は……」
「落ち着けって言ってるんだ。鉄砲玉を殺したところで、似たような奴は出て来るぜ。黒幕を倒さない限り」
「……黒幕か。だがな、あの『血染めクソアマ』を字面通り血祭りにしなければ気なんて晴れるか!」
「気持ちは分かる。だが落ち着け、レオハルトへの舐めきった態度も奴の計算だろう。はまったら思うつぼだぞ」
「……ぐぅぅ」
「……やれやれ、ムカつくのは同意だけどな」
持っていく武装の確認と着込んだスーツのチェックを済ませたシンこと、シャドウは次の目的地に向かっていった。アラクネも同様だ。両腕の義手を都市内戦闘用のものに付け替え、戦闘用スーツのベストに入れた武装を念入りに確認した。二人のバックには有毒ガス遮断用のマスクがある。
「どこに行く?」
「……血染め天使の情報を集めるの」
「心当たりはある。向かう価値はありそうだ」
ユキとシンがそう言って外に出ると、頭に血が昇っていた狙撃手もそれに続く。狙撃手の態度がようやっといつも通りの冷静なものへと戻っていた。
雨が都会に優しく音を奏でる。その鎮魂歌を静かに聞いてから、『天使の生き残り』がいる隠れ家へと向かっていった。
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