第19話 竜化
メタビーングとメタアクター。
その存在は再興暦の歴史と共に表に出てきたと考えられてきた。再興暦の歴史は不可解な空白が存在する。再興暦元年に近づくにつれて、人類史の資料が散逸する。
狂騒の開拓時代。
その名前だけが残っていた。確かなことは一つある。人類はある時期に絶滅の危惧を経験したことだ。その出来事はこう呼ばれている。
『血の一週間事件』と。
その歴史の名残として二つの存在があった。
メタアクターは有史以来、様々な呼び名で呼ばれてきた。聖人、超人、怪人、英雄、超能力者、異能者、ミュータント、新人類。その存在が公になって初めて人はメタアクターを人と認識した。
メタビーングはもっと多くの呼び名がある。神、悪魔、天使、魔物、妖怪、魑魅魍魎、魔獣、御使い、精霊、妖精、妖獣、荒神、御霊、物の怪、怪異。様々な呼び名で呼ばれてきたそのどれもが正解であり間違いでもある。
彼らは『人を超えた知的生物』である。それだけが真実であった。
レナの雄叫びがいつまでも響く。
全ての元凶は嘲笑を続けていた。
「きゃはは、面白かったけど、そろそろ帰るわ。あとよろしくねぇっ!」
仮面の天使は赤いモヤに隠れたかと思うと再び姿を消してしまっていた。
竜だけが虚空に咆哮を響かせる。
「……レナ!自分を制御するんだ。フェリシアを思いだすんだ!」
レオハルトの呼びかけに応じることはない。竜は不完全なまま怒りの音響を空の向こう側まで響かせる。完全に制御不能の状態に陥っている。
兵士達はパニックに陥って逃げ惑うしかなかった。それを追う様にトカゲの様な生き物が司令部の建物に向かう様にして前進する。その過程で資材が吹っ飛び、建物が砕け散る。コンクリートの防壁も紙を破るが如く破壊される。
「……まずい。このままでは、ジャックとユキが!!」
竜は確実に司令部跡の方面に向かっている。彼らが建物から避難するのには時間がかかる。その時間を稼ぐ必要があった。
「レオハルト!彼らを一度捕まえたのだろ!?あれはどうやったんだ!!」
「あのときは話の分かる人格に語りかけた。避けながらだ!しかし今回は違う!暴走した状態では僕でも捕まえられる自信はない!」
「!!」
時間は限られていた。ほんのわずかでも良い。手掛かりが必要だった。
策がなければユキ達は死ぬ!
確実に迫る恐怖の現実であった。シャドウの目元しか見えない表情にすら苦悶の色が見える。パニックになりながらシャドウはぐるぐると記憶の底をかき回す。
「……何かないか?何か!!」
少なくともレナは不完全な状態で暴走している。
『不完全』な竜。話の分かる人格。
シャドウは、はっと気づく。レオハルトは既に手段を考えていたようだ。
「……僕が囮になる」
「前もそうやったのか?」
「そうだ。今回もその方が良さそうだ。……頼むぞシャドウ!」
「ああ!」
レオハルトは目にも留まらぬスピードで地を駆ける。
韋駄天の健脚。ヘルメスの俊足。その速さを表す言葉は事欠かなかった。この『蒼き旋風』は地を走る雷光であり、人の姿をした疾風であった。
その蒼い残像は竜の目の前を一瞬で通り過ぎた後、ぐるぐると白い竜を翻弄してゆく。速さや運動の概念が蒼い姿をした様でもあった。
「レナ君。こっちだ」
レオハルトの強みは常に『速さ』にある。そして『頭脳』である。戦術と異能の融合した定石にして最善の『得意戦術』であった。
対象の注意を引きつけ、背後から目的を果たす。幸いにもその場にいた指揮官、スペンサーが周辺の負傷者と兵士を退避してくれていた。下準備が済んでいる以上、レオハルトは力を存分に振るう必要があった。
蒼い軌跡が地上を駆け、いくつもの攻撃を空振りにしてゆく。
レナだった白竜の口から高温の気流が吐き出される。周囲のものを蹂躙しながら、レオハルトを追撃する。それでも彼は無傷であった。攻撃手段から、威力、射程範囲、タイムラグなど全ての攻撃を把握し、紙一重で回避をしていた。
「グルゥゥゥゥ……」
レオハルトは頭上を見た。シンとフェリシアは無事。距離も十分引き付けた。シャドウの合図も確認したなら、やるべきことは一つ、フェリシアの仕事に任せる時間となった。
「今です!」
「跳べ!フェリシア!」
それを合図にフェリシアは白い竜の背中にダイブする。戸惑ってはいた。しかし、フェリシアは跳んだ。レナの荒れ狂う激情を能力と共に抑えるため、レナでもフェリシアでもない元の人格を起こすため。
フェリシアは到達する。
彼女はレナの背面にしがみつく。
白き巨体が狂乱する。四メートルのトカゲが荒れ狂う。倉庫が破壊され。コンクリートが砕ける。電線を引き千切り、地に爪痕を残す
「……ダメか」
「……いや、成功だ」
レオハルトがにっと余裕の笑みを浮かべる。それはやり遂げた者の表情であった。
白い竜が不意に動きを止め、唸るだけになる。
「全員に通達。竜に攻撃するな。封じ込めに成功した」
「……レオハルト中将、何をおっしゃって……」
「スペンサー大佐。見れば分かります」
レオハルトにはすべてが分かっていた。その男の目線の先は白い竜の背があある。そこにいるのはフェリシアだ。しかし、それはフェリシアであってフェリシアではない。
「……あぐ、ぐぅ、んん、んぐぅ……!」
フェリシアの身体が『不完全な竜』に触れた瞬間、皮膚と鱗が癒着を始めた。正確には、皮膚の方から鱗の部分と接触をしたと言っても間違いではなかった。フェリシアの服が破け肉と皮が癒着を始める。苦悶の表情を浮かべながらも、どこか心地良さそうな笑みを浮かべてフェリシアはレナと融合を始めた。細胞が人間の組成から、生物の常識を超越した組成へと変化を遂げる。
両腕が複雑に変形し、骨の折れる音がする。肘の部分から棘が伸び、腕の内側から膜のようなものが形成されてゆく。竜の背の部分から肉の触手が伸びフェリシアの可愛らしい表情を飲み込んでゆく。
「…………あぁ……」
フェリシアの上半身は前のめりにのめり込む様にして白い竜の肉体に飲み込まれてゆく。竜自体の身体が伸び、八メートル級の大きさへと更なる肥大化を遂げていった。
牙は鋭く、翼が生え、人の面影があった不完全で不揃いな肉体は神々しい竜としての姿を顕現することになった。
「……マジか……これ」
その劇的な変化を、シャドウを含めた周りの者達はただ見ているしかなかった。
かくして、フェリシアとレナは白く神々しい竜へと変化を遂げた。先ほどまでの禍々しい殺意は鳴りを潜め、高貴で威厳のある声色が辺に響く。
「…………ふむ、どうやら迷惑をかけたようじゃ。しかも、あの悪党を取り逃がすとは、これはレナ嬢には訓練時にお仕置きが必要じゃな……」
「ご迷惑をおかけしました。ミセス『白菊』殿」
「……『白菊』か。それが今の人格の」
「……『闇夜の自警団』ことシャドウか。彼を手下にするとはレオハルトもたいした奴じゃ。『アラカワの血の者』は反骨精神の塊じゃろう。特に、彼は気性が荒そうじゃろうに」
「……彼は信頼の価値を知っているから尊敬している。それだけだ。そうでなければ、とっくに撃ち殺していた」
歯に衣着せぬ物言いに白菊は逆に感心した素振りを見せる。
「おお、これはおっかない若者じゃのぉ。レオハルトの坊や。せいぜい気をつけることじゃ」
「お気遣いありがとうございます。『白菊』殿」
「……レナとフェリシアは?どうなった?」
「彼女達なら心配いらんぞ。わらわの身体の中で眠りについておる。安心するがいい、時間が経てば分離して元に戻るだけじゃ」
「……ならいい」
露骨に安心の表情を浮かべた『鴉の男』は司令部の方角へと踵を返していった。それを合図に兵達とスペンサーは周辺の捜索を開始する。
残虐非道の天使に報いを受けさせる為に。
「……『天使』は遠くに行ったみたいじゃの」
「そのようです。すみません。私がいながら……」
「いや、レオハルトは十分に頑張っておる。それより、恐れるべきは『あの天使の女』じゃ」
「血染め天使……」
「放っておけば、民草に被害が出るだろう。時間が経てばいずれ、あの『天使の女』は破滅するだろうが、その途中で、レナ嬢のような哀しい犠牲者を出すことになる。早く討伐する必要があるのぅ」
「ええ、ですが心配いりません。今回は手掛かりを掴んでおります」
「それは、心強い。だが、もう一つ仕事がある」
「……レナさんの件はお任せ下さい」
「うむ、彼女の心の傷は深い。十分にケアするのじゃぞ」
「はい」
その言葉と共に、白菊の8メートルある身体が縮小を始める。牙が歯に戻り、翼が手に戻る。鱗の生えた人二人分のシルエットが分裂を始める。フェリシアだ。脱皮するかの様にフェリシアは竜を脱ぎ捨てる。脱ぎ捨てられた竜は裂け目を閉ざし人間の女性の肉体を形成しはじめる。白い鱗は健康的に日焼けした肌へと変化し、顔の形もレナのものへと復元していった。
フェリシアも同様で、鱗に変化した皮膚が次第に色白な肌へと変化してゆく。粘液と共に力尽きた身体を地面に投げ出した。
かくして、レナとフェリシアは元の人間の姿へと姿を戻した。
何者かが二人の身体に黒い毛布をかけた。
レオハルトであった。
「すまないな」
「……毛布を持ってきてくれた事に感謝するぞ」
「なんのことかな?それより女性士官を何名か呼んできてくれ」
「もう呼んである」
女性兵士を中心に、二人のもとへと駆け寄ってきた。彼らを抱きかかえ、司令部跡そばに臨時で増設した救護用テントへと大急ぎで運搬を行った。
何人かの男性兵士が鼻の下を伸ばしたが、それに気づいたシャドウと何人かの女性士官に軽くお仕置きされたのはまた別の話である。
アラクネの解析作業はアスガルド軍の技術者たちから見ても驚くべきスピードだった。軍の電脳技術者たちは指と目を動かして必死に解析を続けていたが、その様子を尻目にアラクネは少ない動作で正確な解析を実現していた。
驚くべきは、そのやり方である。フィクションの中でのハッカーは高速でタイピングをする様子を思い浮かべられるだろうが、アラクネのスタイルは自分で作ったソフトをひたすら、起動させるだけである。
しかし、その少ないアクションで1人の技術者が2日かかる作業をほとんど一瞬で終わらせることが出来る。驚くべきスピードであることはその現場にいた人間の共通認識となった。
「……おかげで助かったわ。ジャック」
「何体かのアンドロイドが乗り込んできたからな。死ぬかと思ったぜ」
「……そう?貴方その割に楽しそうだったじゃない」
「……銃に関しては、シャドウには負けんぜ。なにせ、撃ち合いなら得意なんでな」
二人の眼前には、ガラクタとなった敵が地面で寝転ぶことになった。
「……敵がどんな奴か分かったわ」
「こりゃあ、『血染め天使』って呼ばれてるのも、分かる気がするな。んでだ、何だ?この赤いのは?」
「血染め天使の能力ね。毒性のある可燃性粒子をばらまく能力ね。これはとんでもないわ」
「弱点はあるか?」
「……なんとかね」
アラクネは解析を続ける。そして、ようやく真実に辿り着いた。
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