第7話 奈落の乙女

ツァーリン連邦の奥深く。

夢幻の監獄とも称されるその場所は軍の中でも限られた者しか知らない。軍事機密と狂気の深淵。その象徴ともいえる修羅の地にユキは居た。ユキのいた部屋は一部屋に過ぎない。深淵の奥深く誰にも省みられることのない闇の中に、彼女はいた。

その監獄は厳重だった。

その監獄は地獄だった。

その監獄は極悪だった。

その監獄は漆黒だった。

どんな言葉を尽くしても、その監獄の全てを理解することはできなかった。その監獄のすべてを理解する必要はない。ただ結果が出てくるだけだ。結果だけが吐き出され、凶悪な反逆者が根絶される。

過程は隠され、結果だけが都合良く排出される。

かの国の正義のあり方であった。

正確な表現が望まれるなら、選択のあり方と言っても良い。

いずれにせよ。この監獄の存在がかの国の平和の象徴となっていた。

おびただしい苦痛と骸の上にそれは存在していた。

この監獄の中では誰しもが道具と成り果てる。

この監獄の中では誰しもが玩具と成り果てる。

ユキも例外ではなかった。

彼女には幸運があった。わずかな期間だけ人間とされること。

しかし不運でもあった。猶予が終われば玩具同然の死を強制されることだ。

人としての死。道具としても死。

「…………」

黒髪の女は泣いていた。

ユキ・クロカワは泣いていた。

様々な任務の道具として生きていた女は、見捨てられていた。

認められず。褒められもしない。

彼女は常に一人だった。

彼女はただ泣いていた。

過去も、未来も、現在も、全てが敵だった。

彼女の味方は未だ現れず。彼女は監視された牢獄でただ死を待っていた。

沈黙。

沈黙。

無音の空間がユキの精神を確実に脅かした。

それから逃れる様にユキは過去に思いを馳せた。

今は亡き国の首都、管理された一室でユキは生まれた。

造られた少女は型番と役割を与えられた。名前はない。名前はなかった。

「……型番と役割」

「PKI-90型、諜報・電子戦・不正規戦仕様型の人造人間であります」

「君の個体番号は?」

「YUKI90-009です」

無機質な番号。兵器や道具としての扱い。後に『ユキ・クロカワ』と呼ばれる人物のオリジンであった。

高度な軍事訓練とハッキング技術。彼女は全てを叩き込まれていた。幼少からその国の全ての技術を集結して造られた。彼女は生まれながらの英雄。人の手によって造られた人工の戦女神。

彼女はひたすらに技術を磨き。頂点を目指した。

電子の海では、彼女は無敵だった。

周到な準備の末全ての犯罪者やテロに立ち向かった。

少女でありながら、武装して前線に立つことも珍しくなかった。

国内にはびこる全ての電脳犯罪は彼女の手で一掃されたといっても過言でもない。少女は伝説となった。

仕事は増えた。賞賛はなかった。

少女は兵器としての期待はされど、人間としての期待はだれにも求められてはいなかった。

その国は繁栄したが、突如として滅びの時を迎えた。

電脳ではない、理解不能の領域から滅びの因子は育まれていた。

少女は一人生き延び、アズマ国でしばらく過ごした後、『ある男』と共にアスガルドに渡った。

ユキにとって過去は苦痛の象徴であった。

しかし、特異点のような例外は確かに存在していた。

アズマ国での日々。年相応の子供らしい日々。

一人の少年だけが優しかった。

心と過去に地獄をもち、強さに飢えた少年が。

彼は武術に傾倒し、師の厳しい鍛錬をこなしながら笑っていた。

彼は叱られもしたが、褒められていた。

ユキにはない経験。ユキは心底羨ましがっていた。

その度に少年は優しかった。

「ユキちゃん。どうしてそう不機嫌なのさ」

「別に不機嫌じゃないわ。アンタと一緒にしないで」

「こっちおいでよ。仲直りの印にパン食べようよ。ドライフルーツが入ってて、美味しいよ」

「私は別に……」

「ドライフルーツ大好きだったじゃん。食べようよ」

「………一つだけもらうわ」

少女はいつも冷淡さを装う。

そのたびに少年が優しくする。

そのたびに折れた。

照れくさくも、暖かな瞬間だった。

その度に少年は彼女の頭を撫でた。

暗い過去に唯一輝く太陽の輝き。

少年との日々が。

少年が青年に移り変わる青春が。

アズマ国に渡った後も優しかった男の笑顔が。

彼女にとっての唯一の宝石であった。






ツァーリン連邦。首都星ロスダム。

寒冷の惑星でありながら、多く国民が身を寄せ合うようにして一カ所に大都市を形成していた。ロスダムには、都市ロスダムが存在するだけだ。

雪原。

広大な雪原。

木々と獰猛な生物。

未知と極寒に閉ざされた領域に囲まれる様にして、その都市は存在していた。

かつて王制だった頃の宮殿の名残。その宮殿を再利用する形で、この国の軍が防衛拠点として利用していた。兵士達は厳かな様子で辺を巡回し、ときに昼食を取りながら、各々の勤めを果たしていた。

行き交う人々。

露店や店が並ぶ。

その影を縫う様にして。

二人の男が『宮殿』を見ていた。

シンとジョニー。

二人の命知らずだ。

二人は近隣の様子をうかがいながら、ある人物を待っていた。

援軍とドライバー、それと情報屋だ。一通り近隣を偵察したら、つぎにやることは決まっていた。

夜中の間に潜入し、標的を脅し聞き出す。実にシンプルなやり方だ。問題は情報と脱出経路。それが確保できなきゃ話にならなかった。どんなに強くても多勢に無勢。大勢の訓練された兵士には敵わない。武器や機動兵器の類いがあるなら話は別だが、それでは潜入にはならない。貴重な情報も得られない。

「……この国は戦争の準備でもしてんのかよ」

「いつもさ。俺が傭兵だった頃や外人部隊にいた頃と変わっちゃいない」

「しー、聞かれたらヤベえ」

「すまねえ。だが、事実だろ。俺より年上なんだし」

「あんた、ホントいかれてるぜ」

「褒め言葉として受け取っておく」

「冗談きついぜ」

「その調子じゃあ、相棒の過去を聞いたら吐くぜ」

「おまえがいうな。真性の被虐体質め」

二人が食事をしながら冗談を交わすとレオハルトからもらった端末から通知音が流れた。

「来たか」

「どれだ?」

「おそらく『援軍』のほうだ」

「まさか『アル』か?」

「ああ、メインゲストの到着だ」

「楽しくなって来たぜ」

これは皮肉ではない。彼の望んだ闘争の開幕だった。

通知の元は『アルベルト・イェーガー』。

『生きた死神』の登場だった。

「またおまえか。アル」

「……こっちのセリフだ」

「お前の援護があるとはな」

「……やれやれだ」

「お前は良いのか。嬉しいけどさ」

「ツァーリンの連中は隠し事が多い。別件の調査の助けにもなる。今回の兼は特に」

「ギブアンドテイクってやつか」

「幸運にもな」

そうこうしているうちに情報屋とドライバーも来た。

一人はディオ・バッカス。高級品の酒を売る商人だ。職業柄、政治経済、政治家の動き、会合やイベントの情報なんでもござれ。この日の夜、『宮殿』にて大規模なパーティーが開かれる。それが唯一のチャンス。その情報は彼がもたらした。

もう一人、ドライバー役はシンの親友が勤めた。カズ・リンクス。通訳も兼ねている。ここに来たのは、シンの助けになりたいということだ。しかし、条件付き。顔が割れてはならない。通訳の仕事に支障がでるからという理由だ。よって、必然的に戦闘要員から外れる。

つまり潜入と標的の捕獲は二人でやることになる。

一人は無理だ。背中をカバーできる人員が必要であった。

それがジョニーの役目だった。

これ以上は短期間では良い人員が見込めなかった。

そしてなにより、国と国の戦争になりかねない。信用できる人員であることが大前提だ。その結果、集められるのは少人数の突入とサポートにとどまる。

それでも、一人よりは、遥かに成功率は高い。

あとは作戦次第だった。

宮殿の最上階に標的はいる。

ミハイル・キース将軍。

ツァーリン連邦軍の将軍。科学技術に関心があり、試作機の運用部隊の指揮をいくつも担当していた。その性質上、ライコフとも繫がりはある。

聞き出せば確実に何らかの成果が確実に見込める人物であった。






宮殿の最上階は静謐な雰囲気に包まれていた。

いくつもの絵画が飾られ、部屋の中央に高級な木材のデスクが置かれている。将軍の執務室というより、貴族や王の個室と言った方が適切な雰囲気を帯びていた。

管楽と弦楽の合わさったクラシカルな音色だけが優しく沈黙を演出する。もちろん、あたりには誰一人として人の気配は存在しない。音楽は年代物の蓄音機から出ていた。

人はだれもいない。

ミハイル将軍を除いて。

コンコンコンッ。

木の軽快なノック音が最上階の執務室に響いた。

「……酒が来たのだろうか?入りたまえ」

ディオ・バッカスがお辞儀をしてから入室する。

「……やはりな。まあ掛けたまえ」

「ありがとうございます。ところで例の件ですが……」

「私の言った値段以外では買わんぞ。偉い人物との話し合いがあるのでな。限られた経費で落としたいんだよ」

「それはご友人ですかな。……海外の」

「勘がいいな。だがあんまり勘が良すぎると長生きせんぞ」

「すみません。ですが今回は良い報告があって来ました」

「ほお、なんだ?」

「その値段で了解しますということです。なんせ色々と迷惑かけますからね」

「長話の件か?気にしてはおらんよ。だがようやく折れてくれたな。今日が国賓もまねくパーティーを行っているから、その特別サービスかね」

「ええ、例のものはここに……」

そう言ってディオは大きな箱を用意させた。二人の男が部屋に入室する。

どちらも筋肉質ではあるが、片方は背が低く160センチ台前半。もう一人は40代後半の外見であった。

どちらも黒いスーツな上にサングラスを掛けているため、詳しい表情は全く伺えなかった。箱には瓶詰めの酒がたくさん入っていた。

「それにしても、今日は気前がいいな。あのときはあんなにごねていたのになぁ……」

「ええ、ちょっと今日は申し訳なくて」

「?」

「今日は私以外にも来客がいるのです。……彼らがそうです。では私はこの辺で」

「……わかった。良い酒をありがとう」

「ええ、どうかご無事で」

「?」

ディオの役目は終わった。彼は逃げる様にして下へと逃げてゆく。

「……」

「ご無事で、ねえ……」

壮年の男が呆れたような声をだした

「やれやれ、ところで私に何の用かね?」

「……」

背の低い男はサングラスを外すとその正体を表した。

「……この顔に見覚えは?」

「!?」

「俺の相棒が苦しんでいる時のお前は優雅にクラシック鑑賞か。実にサディズムにあふれた良い趣味をしているな」

シンはミハイルの首根っこを掴み、大型のテレビの側に引きずり回した。

「え、衛兵ェッ!衛兵は何を」

「伸びちまったよ。俺とこいつで。なんと言うか拍子抜けだが、宮殿の警備自体は歯ごたえあったよ」

「ひ、ひぃ」

「……アラクネ」

「!!」

「アラクネはどこだ」

「だ、誰が吐くか」

そう言った瞬間、ミハイルの身体はテレビに叩き付けられた。

液晶画面が砕け、額から血が流れる。その顔面に痛烈な膝蹴りが食らわされる。

「ゴ、がぁ……」

痛みのあまりミハイルはのたうちまわった。

「どこだ?」

「……幻の監獄そう言われている。一度そこに収容してから、処刑される」

「処刑する場所はどこだ。幻の監獄だと?」

「この星のどこかにある。それ以外は――ゴフォ!?」

シンは腹部を渾身の力で蹴り上げた。

「どこにある?」

「……げほ、げほ、ごほ……首都を南下して小さな雪原と樹海があるだろう。そこを真っ直ぐ突き抜けた先に……ある」

「……他に情報は?」

「厳重な警備だ。警備報告書と地図がある。そこの、そこのデスク!それ以外は分からん。信じてくれッ!ライコフが全部仕切っているんだぁ!」

「……協力に感謝する」

そう言って怯えるミハイルにシンはスタンガンを当てた。首元の電撃を受けビクビクと痙攣する。彼の身体は崩れ落ち、地面を寝床にすることになった。

彼が言った資料とカラスの男たちの姿が消えていた。影が如く。

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