第6話 リミット

レオハルトの追われた業務の量は半端なものではなかった。

警察、政府関連、周辺にいる企業の嘆願書、国内だけでも多くのものに追われていた。これだけなら、まだ問題はない。大使館が絡んだ事案のために、国内だけでなく国外の対応にも追われる事になった。ツァーリン連邦の言語は銀河共通語やアスガルド語とは文法も文字も違う。軍の知り合いで外国語に詳しい人物を呼び寄せ、レオハルトは書類と格闘することになった。

もちろんただこなせばいいという代物ではない。国内の事案だけでも様々な利害が絡むので、それぞれ対応が違う。対応一つ一つがこの先の不安に直結するといっても過言ではない。有事の際の支援や対応が変わる。レオハルトの重圧はかなりのものであった。

そのことに加え、シンの案件である。

シンへの対応について戦術を練らなければならない。言葉一つ間違えただけで大惨事なんて可能性も否定できない。もちろん対応する案件はシンだけではない。テロ、海賊、カルト宗教の犯罪、外国の犯罪組織、外国そのものの動き、少数民族や国内のメタ・ビーングの動向、メタ・アクター(超能力の保持者)の犯罪や問題、そして、『抜き取る者』の監視。

案件によっては外部の人間に一部の業務を委託する必要があるため、それに適した人材を選定する必要がある。レオハルト自身の目で。

最後の問題は最重要であった。この案件と並行して、すべての仕事の処理をするようなものと言っても過言ではない。必然的にタイトなスケジュールとなったのは言うまでもない。

「…………」

レオハルトは胸のロケットペンダントを見る。

青い卵形の金属を指でなぞり、そして開く。

写真。女性の笑顔の写った写真。

レオハルトは首飾りの写真をじっと見つめた。

レオハルトの妻、マリアである。

笑ったときの表情、朗らかで柔らかな皮膚の変化、人相のつくり。明朗で温厚な人柄が十二分に伝わる笑顔であった。

実際、彼女はその通りの人物であった。

家族や友達に恵まれ、本人自身も周りを笑顔にする努力を惜しまない人物であった彼女は前向きな発想とユーモア、そして明るさを決して失うことはなかった。

彼女の笑顔がレオを奮い立たせ、彼女もまたレオハルトの活躍に強い喜びを感じていた。自分は一人ではないという事実がレオハルトを奮い立たせてきたことは想像に難くない事であった。

「レオハルト中将。国境の宙域付近を縄張りとする宇宙暴走族の件の書類ですが、……中将?」

レディース・スーツ姿のアオイがレオハルトのいるデスクに歩み寄って来た。

姿だけ見るといかにもオフィス・レディといった様子であった。メタ・ビーングの事務仕事の能力差は大きい。極端にできる場合もあれば、あまり出来ないケースも珍しくない。彼女の場合は入ったばかりのときは慣れが必要ではあったが、生来の真面目さもあって仕事をどんどん吸収していった。しかし、彼女の場合はアナログな頭脳労働やソーシャルな対話については問題なかったものの、機械が苦手であった。未だに対策中といったところであった。

「ん?ああ、そこの机に置いといてくれ、確認しておくよ」

「ええ、……ところで、その首飾りは?」

「ああ、そう言えば、君はこのロケットをみるのは初めてかな?」

「そうですね。いくらか気にはなってはいましたが……」

「妻からのプレゼントだ」

「あら、ロマンチック」

「君もサブからの思い出がある様に、僕にもささやかなロマンスがある」

「ふふ、『ささやか』にしてはずいぶんと『情熱的』ではありませんか?」

「君ほどではないさ」

「まあ、うふふふ」

その和気藹々とした様子は、端から見ると異性の旧友同士が互いの伴侶の自慢をしている様子にも見える。おおよそ間違いではないが、それ以上彼らは互いに互いの命を預け合う間柄でもあった。

「さて、楽しい楽しい惚気はこの辺にしておこう。……ツァーリン連邦の動向は?」

「沈黙を続けていますわ」

「……そうか」

「予定通りならあと五日後にユキを……」

「……あの国なら冷酷な方法をもって処刑するなんてことはあり得なくはない。最悪の場合は確実にツァーリンに血の雨が降るだろう。そうならない様にしたいのは彼も同じだろうが、出来る手は全て打つことにしたい。…………ところで、『アル』への連絡は?」

「彼なら向かっておりますわ」

「エクセレントだ」

成果がある時、レオハルトの口癖がでる。切り札の登場である。






ヴィクトリアの一角。ダウンタウンとも称される寂れた通り道。その暗がりに、シンがいた。

今の彼は『シャドウ』ではない。カラスの男ではない。

恰好は夏用の濃紺のパーカーに枯草色のズボン。背丈も相まって不良少年のように見えてもおかしくなかった。

背の低い男が荒んだ通りを彷徨いているだけに過ぎない。

それを付けねらう男の一団がいた。

「おい、そこのチビ」

「ん?」

「そうそう、お前。恵まれない俺ちゃんたちにお恵みくれヨォオ?」

男は三人。一人は大男。二メートルは超えている。しかも、ノッポではない。筋骨隆々の大きな男であった。他の二人も手にはナイフや金属バットを持っている上に背丈は高い。180センチ後半の身長であった。

しかし、シンは動じない。

「急いでいる上に手持ちがない。すまないな」

「じゃあ身ぐるみ置いて来なぁアア!」

一閃。

そして、拳。

倒れたのは大男だった。

シンの出会い頭の二重攻撃が大男の意識を刈り取った。

「へ?」

「は?」

返し刀の要領で、反対側の男を蹴り上げる。そのつま先は男の顎を的確に蹴り砕いた。

「ひッ!」

蹴られた男は蛙の潰れた様な声を出した後、地面とキスをする羽目になった。その惨状を見たもう一方は土下座し、降伏の意志を示した。

「す、す、すみません……。ごめんなさ――グゴッ!」

ボールを蹴るかのような、右足の一閃が男の顔に残忍な一撃を加えた。蹴られた男の顔は鼻の骨が砕け、血をあたりに飛び散らせながら仰向けに倒れた。

シンは気絶した大男の脇腹の骨を蹴り砕いた後、何事もなかったかの様に目的地に向かった。

一歩。一歩。

シンはひたすら進む。目的のバーへ。

ぽつぽつと雨が降る。

気にせず進む。

ひたすら進む。

「……」

シンは雨に濡れることも気にせず進む。

小雨ではあったが、傘を差さなければ寒い。その中を進んだシンはあるバーに辿り着く。その店はビルの一階に煌々とネオンが灯っていた。

「ここか」

シンは扉に手をかけ中に入った。

シンにとって落ち着いた良い店であった。雰囲気が好みだとわかるとリラックスした表情をみせる。しかし、周りの男達が一瞥するのをみるとすぐに毅然とした顔に切り替える。

男達の人種や肌、出身は様々で、店のボードには様々な手書きの言葉が記されていた。男の肌の色も違う。白、薄橙、黒、緑、青白。

爬虫類に似た種族、魚に似た顔の人種、柄の悪いアズマ人、アスガルド人。さまざまな人種が思い思いの酒を飲んでいた。

バーのカウンター。その真ん中に探していた人物が存在していた。

ジェイムズ・ジョニー・スレイド。

血と硝煙の匂いを愛する戦闘狂であった。といってもサイコパスというわけではない。彼はスリルを愛していた。強い者と戦い勝利するスリルを。

弱い者いじめに興味はなく。自分の力を強敵との死闘に費やすことに喜びを感じる老兵。齢45歳。

スリルに飢えた雇われ老兵は酒をちびちびとひたすら飲んでいた。

「ジョニー。ここに居たか」

「…………誰かと言えば、アンタか鴉男」

「仕事だ。一緒に来てくれ」

「…………おめえさんから仕事の依頼とはね。明日は槍の雨が降るな」

「『五日後に血の雨』だ。正確には」

「世の葬儀屋に聞かせてやりな。仕事だって言って喜ぶぜ」

「ジョークは後にしてくれ。相棒の命がかかっている」

「ただじゃあ仕事しねえ」

「……最後の一杯をおごるといったら?」

「いいぜ。それくれよ。マスター」

マスターは渋い顔をしてこう言った。

「アンタはツケがたまってるんだ。これっきりにしてくれ」

マスターの言葉にシンは即座に反応した

「それは俺が払います。いくらです?」

「1万ブレターだ」

「どれだけ飲んだのですか?」

「こんな感じだ」

マスターの領収書の束には度数の強い酒の名前と日にち、金額が記されていた。酒自体はさほど高級品ではないが、何日もかけて多くの酒を飲んでいた事がうかがえる。

シンは胸元から一枚の小切手を出した。いままでのと今日の分、その合計金額。十分な額を記入してマスターに渡した。

「まいど」

マスターはそう言った後、高い酒をグラスに注ぎ始めた。

「…………悪いな。いつも」

「あなたそのうち死にますよ。酒の飲み過ぎで」

「タバコはやめたんだよシン。酒くらい良いだろ。『伝説の鴉仮面』がこんなところで健康の説教とか冗談きついぜ」

「任務に支障をきたすようなら、困りますよ」

「祭りと『上等の獲物』を逃すほど俺も馬鹿じゃあねえ。仕事はきっちり味わうさ」

「ならいい。酒はゆっくり味わえ。向こうじゃこんな酒は飲めない」

「そうでもない。ツァーリン相手なんだろ。それを知らないほど鈍くはねえよ。ニュースでやってたぜ。『アラクネ』のことは。酒も奪えて、獲物も味わえるなら、これほど幸運なことはねえな俺も」

「ジョニー。君には別の案件で動いてもらう」

「へえー、そう来たか。お前が派手に大暴れする横で、別の事をしてもらうってことか。わくわくするねえ」

にやにや笑いながら、血に飢えた中年がシンを覗き見た。他の中年は怪訝そうな顔をしながら酒を飲み干していた。

「そうだ。追って指示は出す。指定のポイントに待機していろ」

「あいよ。シン」

二人はそう言葉を交わし同時に店を出た。店の客とマスターは二人の背中を見る。そしてマスターだけがぼそりと呟く。

「…………おっかないもの見ちまった」

マスターの額に滝のような滴が流れる。

この店の客は知らない。背の低い男のことを。シンの事を。

しかし、ジョニーと呼ばれる男がどのような男でどんな地獄潜りぬけて来たかを知っていた。この店はジョニーの行きつけで、傭兵の依頼もギャンブルの仕事もないときの彼は、いつもここで飲んでいた。

飄々と語られる血なまぐさい武勇伝は最初『酔っぱらいの戯れ言』と一笑に付されていたが、店の周りの凶悪なチンピラをその武勇伝より残忍に追っ払ったため、いまではその店のマスター以外は彼に逆らわない事が暗黙の了解となった。

だが、大人しく酒を飲んでいる分には害はない。それどころか飄々として付き合いは悪くないために堅気なお客ですら、ジョニーと仲良くすることも十分にあり得た。

つまるところ、ジョニーは店の飲み客でもあり店の用心棒でもあった。

実際のところ、シンの獰猛さはジョニーの比ではなかったことは言うまでもない。

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