第3話 カノンと父、そして呪い
ノヴァの姿は、グラーヴェ王国の城内にあった。
彼の横を、手を繋ぎながら歩くカノン。二人の後ろをグロリアが歩いている。
王女を救うべく立ち向かってくる兵士や騎士たちを魔法で行動不能にしながらやって来たのは、玉座の間だった。
娘の姿を見つけた瞬間、玉座に座っていたグラーヴェ王トベルク・エルドネスタ・グラーヴェが立ち上がり、憎々しげに叫ぶ。
「魔王ノヴァ……カノンが急に姿を消したのは、貴様の仕業だったのだな。何が望みだ? 娘を人質にして、この国を征服するつもりか⁉」
「元々は世界征服の足掛かりとして攫ったのだが、まあいい。カノンよ、今こそお前の苦しみを、父親にぶつけるが良い」
ノヴァはカノンから手を離すと、そっと背中を押した。不安そうにこちらを振り返る彼女に、大丈夫だと小さく頷くと、少女は心を決めたように唇に力を込めた。
「お父様。新しい女の人がお父様と結婚したら……わ、私とお母様は捨てられるのでしょうか⁉」
あの日、カノンが語ったのは、父が近々新しい妻を迎える不安についてだった。
しかし誰にも相談出来ず、膨らみ続けた不安は、いつしか父親への不信感と嫌悪へと変わり、家族を裏切った父が治める国など征服されてしまえ、という過激思考へ発展したわけだ。
で、思い立ったら吉日なノヴァによって、
「ならば、直接父親に聞きにいけばいい。今すぐな!」
てな感じで半分強制的に連れ出され、今に至る。
娘の言葉に、トベルクの表情が固まった。
父の表情から、自分の問いは肯定されたのだと勘違いしたカノンが、さらに顔を青くする。
二人の様子を見ていたグロリアが、咄嗟に間に入った。
「グラーヴェ王、貴方は御世継ぎを残す為、側室を迎えようとしているのですね? 貴方が過去、リアーナ王妃と結婚され王となった時、直系ではないからと酷く揉め、争いにまで発展した過去があるから」
「そう……だ。もう二度と、あのような血なまぐさい争いはしたくない。カノンにも必ず危険が及ぶからな。しかしあの子が産まれて十年間、私たち夫婦は男児を授からなかった。王位継承権は男児にのみ与えられるもの。だから……仕方なかったのだ」
この決断を下す為に、彼もかなり苦悩したのだろう。胸の前でぎゅっと両手を握ったまま動けずにいるカノンに、弱々しく微笑みかける。
「カノン、不安にさせてすまなかった。お前はまだ幼く、このような話は早いと思ったのだ。だが信じて欲しい。リアーナやお前をないがしろにするつもりはない」
「で、でも、お母様はとても悲しそうにされています! 大好きだって言ってたお母様を悲しませるお父様なんて、大嫌い! そんなお父様が治める国なんて……魔王様に征服されてしまえばいい!」
「カノン‼」
響き渡ったのは父親トベルクではなく、ノヴァの怒声。
驚きで見開かれた青い瞳が、魔王へと向けられる。ノヴァはカノンの頬を両手で挟むと、無理やり父親の方に向けた。今まで聞いた事のない、低く怒りに満ちた声色が、少女の鼓膜を震わせる。
「望みもしない側室を迎えなければならない苦悩を抱いているのは、お前の母親だけではないのだ。お前には分からなかったのか? 話をする父親の表情が、どれだけ苦痛で歪んでいたのかを。全ては、愛するお前が醜い権力争いに巻き込まれぬよう両親が下した苦渋の決断なのだ」
カノンの瞳に涙が溢れた。悔しそうに唇を真一文字に結びながら、両手を強く握っている。
彼女にも分かっているのだ。
辛くても、認めなければならない事を。
その辛さの中にこそ、自分を想う愛があった事を。
ぎゅっと双眸を閉じると、二筋の涙が頬を伝って落ちた。少しの間の後、青い瞳が父親に向けられる。その表情は、十歳とは思えない程大人びていた。
「……私は、お父様とお母様が苦しみながらも下した決断を受け入れます。大嫌いって言ってごめんなさい、お父様……」
「謝るな、カノン。幼いからとお前の気持ちを蔑ろにした私たちが悪いのだ。私は、お前もリアーナも愛している。これから先、変わらず、な」
父の言葉を聞いたカノンが、トベルクに駆け寄った。飛び込んで来た娘を、太い腕が抱きとめる。
少女の嗚咽が広間に響いた時、
「カノンっ‼」
「お、お母様っ‼」
声と共に現れたのは、王妃リアーナだった。娘の声を聞きつけ、周囲の制止を振り切ってやって来たらしい。
結い上げた髪は乱れ、頬がこけ、瞳の下には寝不足によるクマが出来ている。しかし憔悴しきってもなお、彼女の持つ美しさは損なわれず、この場にいる皆の視線を奪っていた。
リアーナはカノンを抱きしめると崩れ落ちた。そんな二人を、包み込むようにトベルクが抱きしめる。
親子の再会を皆が見守る中、ノヴァだけは眉を顰めていた。
ちらっとグロリアに視線を向けると、彼も同じ事に気づいているのか、鋭い視線を王妃に向けながら小さく頷く。
「グラーヴェ王、貴方の奥方、呪われていますよ」
「の、呪われている⁉」
王と王妃、王女の視線が一気にグロリアに集まった。
口元を緩ませながら、ノヴァが続きの言葉を引き継ぐ。
「お前たちには見えないだろうが、妃の下半身に黒い靄がかかっているのだ。呪いによって子を成せぬ体にされたのだろうな」
ノヴァが指を鳴らすとリアーナ王妃の呪いが実体化した。
立ち上る黒い靄を見た王妃の悲鳴が響き渡る。カノンは混乱する母親にしがみ付こうとしたが、妻を抱きしめるトベルクの腕に阻まれ、グロリアが優しく少女を母親から引き離した。
玉座の間にいる者たちからも、驚きの声が上がっている。
驚愕する人間たちの様子を愉快そうに見つめながら、ノヴァはくくっと声を洩らす。
「せっかくだ。術者に王妃の呪いを返してやろう。楽しいだろうな? 呪いを返された者は、もう二度と子を成せぬ体となるのだから――いや、男なら種無しだな」
そう言った瞬間、常にトベルクの傍に控えていた身なりの良い男が一歩引いた。視線が泳ぎ、玉座の間の出口に向けられる。
「逃がすか」
「う、うわっ! や、やめろぉぉぉっ‼」
男の絶叫と、躓き倒れる音が響き渡った。
リアーナの靄が、逃げようとした男の下半身を包み込んだのだ。奇声を上げながら床の上で暴れている男を見るトベルクの瞳が、何かに気づいたように見開かれる。
「リアーナに呪いをかけたのは宰相、お前だったのか! 自分の娘を、私の側室とする為に‼」
どうやら、トベルク王が迎えようとしていた側室は宰相の娘だったらしい。つまり奴は、自分の娘に跡継ぎを産ませ、権力を手に入れようとしていたのだ。
良くある話だ、とノヴァは大きなため息をつくと、疲れて息を切らしへたり込む宰相の前に立った。
愚か者の末路を侮蔑を込めて見下しながら、魔王らしい黒い嘲笑を向ける。
「残念だが、その呪いは人間の力では解けぬ。私の力を上乗せしているからな。お前は一生、自分の血を残せぬ体となったのだ」
「そ、それがどうしたっ‼ すでに私には子供が山程いる‼ 今さら種無しになっても――」
「もう二度と勃たないという素敵なオプション付きだぞ?」
それを聞いた瞬間、気丈に振る舞っていた宰相の全身から力が抜け、
「う、嘘……だ、い、嫌だぁぁ――――っ‼」
男として不能にされた悲しみの慟哭が、玉座の間に響き渡った。
ここにいた皆が、種無しになっても平気だったのに、そっちには絶望するんかい、と心の中で突っ込んだのは言うまでもない。
ちなみにカノンの耳は、この内容はまだ十歳の少女には早すぎると判断したグロリアによって、途中からずっと塞がれていた。
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