21:地獄の一ヶ月

 登山用のバックに大量の水と携帯食料、双眼鏡とガムテープ。応急処置用の軽いメディパック、これ以上の物は鹵獲する。

 来てしまったか……本当にこのイベントだけは慣れない……。

 完全武装した私兵が山を駆け巡り、一人の少女を殺す。理由は不明。


「……修行に行ってきます。探さないでください」


 机に置き手紙を設置して覚悟完了。

 さて、はじめますか……財団……!



「ママも来たらよかったのに……」

「はは、ママも仕事があるから仕方ないさ……明広くんが来てくれるから大丈夫だろ?」

「もう!」


 後ろにバンが三台。私を対処するには必要十分、彼とのランデブーポイントも近い……。

 最初の物資設置ポイントに到着しているのであれば……もうそろそろか……。

 バックミラーを睨むと助手席から身を乗り出した兵士が銃口を向ける。

 女子席に座る娘の頭を抑えて飛翔する銃弾から守る。


「――パパ?」

「……これは、ピクニックはできそうにないな」


 森の中に1911を構えた少年が見えた。


「撃ち漏らさないでくれよ……」


 重なる発砲音、バックミラーを睨みつけるとすべてのバンがバーストし、スピンする。完璧な射撃だ……!

 そのまま車を木陰につけて彼に任せる。


『頼むよ……出来る限り早く終わらせる……』

『今回はスペイン語ですか……遅れていいですよ。物資は確認しましたから』

『明広!? なんで銃を……』

『早く来てくれ、一秒を争う』


 MP7を構えた私兵を容赦なく撃ち倒し、そのままアリスを山の中に連れていく。


「使う分は鹵獲します」


 セーフティをかけた1911を助手席に投げて消えていく。


「……先に行った妻に追いつかなければ」



 どうにかランデブーには成功、物資の確認の際にガバメント……いや、SIG製だからGSRだったか? ご丁寧に置かれていた。付け加えて置き手紙には「使ったら返してね♪」なんて、どこで習ったのかわからないギャル文字で書かれていた。あの人の底が知れない。


「アキヒロ! 説明して……何が起こってるの……」

「俺は英国のスパイなんだ。こう見えて三十代だ」

「え? ええ!?」

「嘘だよ」


 頬を膨らませて怒っているが、俺が未来人で君が死ぬから助けに来たなんて言えない。ただ、これだけは言える……彼女の両親が物事を解決するまで一ヶ月、夏休みすべてを献上して山籠りだ……。

 アリスの質問攻めを無視し、獣道を発見。鹿かイノシシが通ったのかまだ新しい。ここでアンブッシュするか……。


「アリス……ここで小石を投げ続けてくれ……」

「ど、どうして?」

「いいから、小石を投げ続けるんだ」


 アリスを獣道の上に存在する木陰に隠し小石を投げ続けることを命令する。俺というと獣道の草むらに潜み、静かに部隊員が来ることを待つ。


『音がした……あっちだ!』


 やはりイギリス英語、訛りがない。

 顔は覆面を被っているため人種はわからないが、何度もこいつらの顔を見てきた。全員が白人、財団の採用基準は第一に白人であること。何を目的にしているのやら?

 190cmはありそうな白人が三人、装備はMP7……どこの特殊部隊だ……。


『あそこだ! ――っ!?』


 アリスの姿を見た私兵が銃口を向けるがその瞬間に尖った石を持った俺が立ちふさがり、一人目の私兵の右手に突き刺す。防刃手袋を使っているとはいえ、石で思い切り殴打されれば武器を手放す。

 そのままMP7を鹵獲、残りの二人の右肩、足に向かって射撃。無力化に成功、奪った一人は負傷者の回収に残す。


『武装放棄して二人を回収しろ、このままだと失血死だぞ』

『き、貴様は……何者だ……』

『答える義理はない。ここで殺されるか? それとも助けるか、選べ……好きな方を……』

『っ! 二人を回収する……』


 銃口を背中に押し付けて待ったをかける。


『上質な防弾チョッキだな、置いていけ……こっちのVIPはピクニックの準備しかしていない。脱げ……』

『わ、わかった……』


 防弾チョッキを脱ぎ捨てて負傷した二名を回収していく。

 5.56mmNATO弾の話しでこういった物がある。

 兵器は人を殺すものではあるが、小銃は敵兵を負傷させるもの。一人の負傷兵を回収するのに戦線では二人の兵士を使用する。だから致命傷を与える必要は少ない。

 まあ、ゲリラ相手だと意味のない話だ。

 だが、財団の兵士は優秀な私兵、負傷兵は極力回収する。特殊部隊に匹敵する兵士を育てるのは才能と金が異様にかかる。殺すのは惜しい。そう教え込まれてるのだろう……。

 私兵の姿が見えなくなった。


「アキヒロ……あれ……」

「致命傷じゃない。回収に一人は無傷にしておいた」

「で、でも……人を……」

「迷ってる場合か! 撃たなければこちらが撃たれる……これを着てくれ。胴体なら死ななくて済む」


 鹵獲した防弾チョッキをアリスに渡す。金属プレートが入った高級品、小学生には少しばかり重いが、命には代えられない。


「……戦うアキヒロが着たほうが」

「俺は君のお父さんに頼まれたんだ。最優先は君の命、俺の命はどうでもいい」

「パパが?」

「いいから早く着てくれ……増援がいつ来るかわからない……」


 思い詰めた表情になるが、防弾チョッキを着込んだ。綺麗にブカブカ、だが、小さい体を大きな面積で守れるのは利点。場所を移動しよう、ここは道路から近すぎる……。


「アキヒロ……パパに頼まれたって本当……?」

「ああ、君のお父さんに頼まれた。色々と訳ありのようでな、俺もそんなところだ……」

「……わかった。アキヒロについてく」

「それでいい。出来る限り道路から離れよう、道路は相手側の拠点みたいなものだ」


 アリスを連れて山の中腹を目指す。人間、下か上としか考えない。この場合は中腹が一番安全だ……。



 中腹に到着し、二つ目の物資を確認する。そこには食料と水、衣類などが詰め込まれたキャリーケースが捨てられている。アリスのお父さんが設置してくれたものだ。

 それにしても、丁寧に汗拭きシートまで入ってある。いやはや、娘のお肌トラブルにまで気を使うとは……。


「ここは安全なの?」

「いや、全然。一つの場所に留まるのは危険だ……まあ、休憩くらいはできるが……」


 防弾チョッキの重さにヘナヘナと座り込むアリス、十キロ近いベストを着て乱れた山を歩いたんだ、そうなるのも頷ける。支援物資の飲料水を手に取りアリスに渡す。いくら涼しい山の中だとしても真夏、脱水症状に悩まされる。


「ありがとう……」


 受け取ってチビチビと喉の乾きを潤す。

 俺の方は鹵獲したMP7の残弾数を確認し、正しくセミオートに設定されているかを再確認する。無駄弾は撃てない、消費は最小限に留める……トリガーハッピーは身を滅ぼすと言ったものだ……。


「……アキヒロ、そんな目してたかな」

「張り詰めてるからな、気にしないでくれ」

「そうだ! 焚き火しよ!! 火を見ると人は落ち着くって叔父さんが!!」

「――駄目だ。狼煙と痕跡が残る……相手はプロ、嗅覚は犬以上だと思ってくれ」


 アリスがしょんぼりと地面を眺める。仕方ないだろ、奴らは一ヶ月も子供を追いかけ回す異常者だ。それに特殊部隊に匹敵する練度、香りすら残さない細心の注意が必要……本当に厄介な相手だよ……。

 消費した物資をリュックに回収し残りを茂みの中に隠す。

 もうそろそろ、負傷兵を回収しきったタイミング……増援が駆け巡るだろうか……?


「移動しよう、一箇所に留まるのは危ない」

「行く場所はあるの?」

「無いから野営しないのさ、何日追いかけ回されるかわからない……」


 寂しげな瞳を覗き込む。

 やめてくれ、俺だって君が死なないならこんなことはしない……。



 最初の夜、アリスは不安そうな瞳で俺のことを見つめる。


「大丈夫、護衛は任せてくれ」

「ち、ちがうよ……どうしてアキヒロはわたしを……」

「人間、知らない方がいいこともある。疲れただろ? 寝てくれ」

「う、うん……おやすみなさい……」


 アリスに迷彩柄のタオルケットをかけてMP7のストックを調整。

 赤外線スコープを装備した相手に裸眼、地の利以外は全部相手有利なんて素晴らしいとしか言いようがない。

 アリスの寝息が聞こえたと同時に立ち上がり、狩りの始まりだ……!


『日本の夏は凄いな、これなら勝手に死ぬんじゃないか?』

『いや、A1隊が負傷して帰ってきた。オーグレーンは優秀なエージェントを雇ったみたいだ』

『聞いた話ではエージェントは子供らしいぞ』

『そんな馬鹿なことがあるか――ッ!?』


 サイレンサーから弾が飛翔する甲高い音、それを聞いた瞬間には一人の足が撃ち抜かれていた。

 一人が負傷者の救護にあたる。


『居た――グッ!?』


 二人目を負傷させ、右肩を丁寧に撃ち抜く。残りの二人は木陰に隠れた俺に銃口を向けるが……こいつらは残しておかないとな、不殺なんて眼中にないが、移動の際に死体をアリスが見たら……まあ、嫌な気分になる。


『負傷兵を持って帰るか……それとも撃たれるか、どっちか選べ』

『お前を殺し――ッ! うっ……』


 引き金を引こうとした私兵の右肩に飛翔する。左手だけでも一人くらい回収できるだろう、仕方がない犠牲だ。


『負傷兵を持って帰れ。無駄死には嫌だろ?』

『わ、わかった……撤退する……』

『マガジンを数本置いていけ……』


 部隊長らしき男が予備のマガジンを静かに二本地面に置いた。

 そのまま部隊は負傷兵を回収して下山していく、簡単な任務だと思って気軽に来るから怪我をする。それは何度も経験している……。

 撤収して数分、予備のマガジンに小石を投げてトラップの類が設置されていないことを確認してベルトに挟む。

 初日は2部隊しか来ない、アリスの元に戻ろう……。



「お、お父さん……お兄ちゃんが帰ってこないよ……」


 場所は変わって相沢家、修行に行くと書かれた置き手紙を見つけて七時間、夕食頃には戻ってくるだろうと帰りを待っていたが、深夜になっても帰ってこない。まさか武装組織と戦闘をしているなんて予想できるものか。


「……警察に頼むしかないか」

「……お兄ちゃん」

「大丈夫だ! 明広はとんでもない男……事件なんて……」


 明文は今までの彼の行動を思い返す。この数ヶ月の間に何度も事件に巻き込まれている。それを自らの力のみで解決し、飄々と学校に通う……。

 普通にありえる。

 実際にやってる。

 明文は携帯電話を拾い上げ、警察に電話を入れた。


「お兄ちゃん……」


 この一ヶ月、財団の影響で明広が駆ける山には捜索の手は及ばない。日数が経てばたつ程に捜索の手は広がるが、謎の組織・財団、その影響力は計り知れない。


「……お兄ちゃんはわたしを置いていかないって言ったのに」


 このみの瞳から光が消えていく。



 木々の合間から木漏れ日が落ちてくる。

 目を閉じて眠れるのは最初の十日間だけ、その後は地獄より素晴らしい攻勢がかけられる。その時には眠れることの素晴らしさを神様に感謝することになる。


「ん……からだいたい……」

「起きたか? 寝汗が酷かったぞ……水を飲め……」

「え!? アキヒロ! ……あ、そっか」


 普段の日常と錯覚したアリスが一瞬だけ取り乱すが、自分の置かれている立場を再確認し静かに気分を落とす。俺の方はお構いなしに水を手渡してMP7を眺める。


「アキヒロ……トイレどこかにあるかな……」

「すまないが……そういうのは無い……」

「あうっ……」

「ウェットティッシュがある……それで、まあ、頼む……」


 涙をウルウルとためて覚悟を決めたのか草木を掻き分けて消えていく。その後、大声が響き渡る、悲しいかな……これを何日も繰り返さなければならない……。

 数分後、酷い表情のアリスが体育座りをして恥ずかしいと連呼している。文明が進んだ現代で野外での排泄行為は非常に恥ずかしいものだ。いやはや、文明の進化は恥の歴史なのかもしれない。


「……アキヒロ、それ」


 アリスが静かにベルトに挟まれている二本のマガジンを指差す。


「アリスが眠った後にな」

「……殺したの?」

「いや、二人……三人を負傷させて回収させた。殺してない」

「アキヒロは……人殺しにならないよね……」


 少し悩んで、頷いた。

 殺すことより回収させた方が戦術として正しい。負傷兵が帰ってくれば恐怖が蔓延する。逆に部隊が帰ってこなければ家族を殺されたと殺意が蔓延する。どちらがお得か? 勿論前者、不殺を馬鹿にする連中も多いが……この場合は不殺の方が相手の行動が制限される。

 ――どこに敵が隠れているかわからない。

 戦争、戦闘、諜報、このすべてが心理戦。心理的にダメージを与えた方が優勢になるのは古来からの定めだ。

 少ない睡眠時間、眠気をかき消す為に持参した鷹の爪を口に放り辛さで目を覚ます。寝ぼけた状態で戦闘できる相手でもない。


「辛くないの?」

「かりゃい……」

「ふふっ」


 アリスが飲みかけのペットボトルを俺に渡してくる。


「飲料水は限られてる、一人で飲みな」

「その顔みてたら……ふふっ、笑っちゃうから……」

「……ありがとう」


 アリスの水を飲み干して吐息を一つ。ありがとうの一言をかけようとするが、彼女は顔を真赤にして目を逸らす。ああ、間接キスだな……。


「アキヒロは……好きな子とかいるの……?」

「そうだな、この戦いが終わったら教えてやるよ」

「それ、「シンリフリーダム」っていうんだよ」

「死亡フラグね、おまえをご両親に届けるまで死ねないよ……」


 アリスの顔がカッと赤くなり、また目を逸らす。

 吊り橋効果? それともストックホルム症候群か……いやはや、俺もあくどいことをしているものだ。

 鹵獲したMP7のマガジンを装填し、立ち上がる。


「……生きて帰ろう」

「……うん」


 伸ばした手を掴んでくれた。

 頼りにされるのは嬉しいことさ、期待を裏切れない……。



「え? 明広が家に来てないかって……来てないですよ、終業式も足早に帰って……」

『そうかい、ごめんね。ちょっと息子が家出なんてしててさ』


 結衣の背筋が凍る。

 明広が何か行動を起こす時、それは事件が発生している時。自分は二回も彼に命を救われている。もしかしたら三回目もあるかもしれない。

 このみに関してもそうだ。ただならぬ理由で妹として迎え入れたと聞いている。そうなれば、次は誰だ? まだ事件に巻き込まれていない存在……そう、アリス。

 北欧からの転校生、彼女はまだ明広に救われていない。

 ――明広がアリスを助けているという構図が目に浮かぶ。


「あの、明広のお父さん……アリス、オーグレーンさんにも電話してみてください。たぶん、そんなことはないとおもうけど……!」

『明広とこのみがよく話してる白人の転校生? うん、わかった』


 明文からの電話が切られ、結衣は静かに立ち尽くす。

 明広ならやりかねない。ドスと鉄砲を持った男に立ち向かい、誘拐された時にも大の大人が何人もいる状態でも制圧し、彼女を無傷で回収した。それがアリスの番になった。

 ――酷く納得できる。


「明広……アンタは……」


 何者なの? 答えは帰ってこない。



 時刻は正午、ある程度の移動を終わらせて保存食を開く。残り29日の間はブロッククッキーと塩が主食。時間が経てば経つ程にケーキやコーラなどの砂糖が大量に使用される食べ物、飲み物が恋しくなるものだ。


「アキヒロも食べないと力出ないよ……?」

「いや、空腹状態の方が眠気が覚めていい。気にせず食べてくれ」

「……アキヒロ、無理はしないでね」


 アリスの言葉が胸に刺さる。

 無理をするなか……確かに、気を抜けるなら全力で抜きたい気分だ。でも、一秒たりとも気を抜いたら終わる。アリスという護衛対象を護衛しながらの仕事、気を抜いたらアリスが補足され、躊躇なく発砲される。それを阻止するには自分の身を限界まで張り詰めなければならない。優しい言葉に甘えてはならない。

 ――そうだろ? 相沢大先生。


「それを食べ終わったら移動しよう、道路から離れたと言っても敵が何人いるかわらない。下手をしたら負傷兵を連れて行った奴らが位置情報を吐いたかもしれない」

「うん、あむあむっ!?」

「ふふっ、ほら、水」

「むむっ……ふぅ……ありがとう」


 アリスに手を貸して移動を開始する。

 二つ目の物資の確認に行くか……。


10


「お兄ちゃん……お兄ちゃんの香り……」


 明広の部屋に入ったこのみが彼のベッドの飛び込む、そして枕や毛布を抱きしめて残り香を肺いっぱいに取り込んで、頭に兄の姿を思い浮かべる。

 自分を地獄から掬い上げてくれた存在、自分を母と同じくらい愛してくれる人。

 彼女は売られる状態だった。父と義母が電話で自分を抱かせるとかという会話を耳にしていた。もし、兄が提示した先に引き取るという言葉が無ければ――。


「お兄ちゃん……大好きだよ……」


 息を荒くする。


「お兄ちゃんだけ、お兄ちゃんだけ……」


 ――わたしを汚していいのは、


11


「テトリス面白いなぁ」

「そりゃよかった」


 二つ目の物資、そこには乾電池を使用するゲーム機が置かれていた。山の中で警戒を厳にしなければならない俺にとってこのゲーム機は救いだ。アリスが話題を振れば無視することはできない。その一瞬の隙きに財団の私兵がやってくるかもしれない。それの対処、一秒でも遅れればゲームオーバー……彼女が手に持っているゲームと違って現実、気を抜かなくて済むのはありがたい。


「最高スコア更新! ねえ、勝負しようよ!!」

「すまないが、置き手紙に娘のゲームを取るなって書かれてた」

「大丈夫! お父さんには貸したなんて言わないから」

「気持ちだけ受け取っておくよ……嘘だろ、まさか」


 双眼鏡を取り出して谷に存在する小川に犬を連れた私兵が、嘘だろ……犬を投入するのはまだまだ先、なんでこのタイミングで……ッ!?

 ――そうか、昨日、三人目に発砲したから追加の兵員を送り込む前に犬を使ったのか! 一人の負傷でここまで変化するものか……。

 双眼鏡を仕舞い、アリスにトイレに行くと言って離れる。

 小便を空のペットボトルに流し込む。

 犬は厄介だ。昔は犬派だったのだが、この事件で犬のことが世界で一番大嫌いな動物になったよ……。

 犬は鼻が利く、最初は……アリスの排泄物に行き着くだろう。その後は臭いを辿って俺達の元へ、軍用犬の恐ろしさは誰よりも知っている。人間は殺さないが――すまい、犬は殺させてもらう。


12


「明広……大丈夫なんだよな……」


 警察の事情聴取、親しい友人からの情報提供、明広の部屋から出てこないこのみ、事態は悪い方向ばかりに進行していく。

 明文は最悪の事態を想定する。


「――誘拐」


 だが、このマンションはセキュリティ万全、散歩に行くだけなら置き手紙を残す必要もない。どうして置き手紙を残したのか? それがわからない。

 ただ、小学生が一日経っても帰ってこない、これは問題だ。

 やはり事件に巻き込まれている。


「お父さんをいじめないでくれよ……」


 か細い声でそう告げた。


13


 犬と人間が歩く音が響く。

 アリスは五分先にある木陰でゲームをしているようにと留めて静かに時が来るのを待つ。

 犬の鳴き声が聞こえる。

 MP7を構えて木陰から静かに引き金を引いた。

 キャウンという絶命の声を聞いた瞬間に飛び出し、犬を連れた私兵の右肩を撃ち抜く。


『な、なんで……アダム……ッ!』

『すまないが、犬を放たれたら不利なんでね。亡骸をもって早く消えろ……』

『っ……くそやろうが!!』


 MP7を左手で持ち直し、撃ち返そうとするが、次は左肩に弾が撃ち込まれる。


『……早く消えろ、犬は残念だったな』


 武器を使えなくなった私兵は絶対に殺してやると捨て台詞を吐いて足早に消えていく。

 生き物の殺生は辛いものだ。

 尖った棒を拾い上げて亡骸に突き刺し、鮮血を辺りに撒き散らす。

 足止めになるかどうかわからないが、血の臭いは強烈な物。腐乱すれば尚更に強烈になる。

 犬の対処を終了させ、アリスの元に戻ると彼女は静かに眠っていた。

 タオルケットをかけて木陰に深く座る。


「あの様子だと、一匹しか放っていないだろう……逆に犬は効果がないと思ってくれれば……」


14


「おはよう……お父さん……」

「……このみちゃん、酷い顔だよ」

「えへへ、昨日ね、お兄ちゃんがわたしにいっぱいチューしてくれたんだ……だから全然眠れなかったの、酷いよね……」

「そ、そうだね……」


 その瞳に光はない。

 ――狂気。


15


 二日目、アリスは現状に適応してきたのかいつものような笑みを見せるようになってきた。でも、排泄の際はやはり恥ずかしそうに消えていく。

 俺というと中途半端に使ったマガジンから弾を抜き取り、マガジンに弾を詰め直す。マグチェンジは戦闘中最大の隙き、それを絶対に起こさない対処だ。

 それが終われば木に登り双眼鏡で私兵が確認できないかを繰り返す。


「……私兵の姿は見えないな、注意しないと――っ!?」


 頬を掠める弾丸、双眼鏡の反射で悟られたか!?


「アキヒロー、電池が!?」

「移動するぞ! スナイパーを投入しやがった」


 一定のタイミングで撃ち込まれる弾丸、姿勢を低くし木の密度が高い場所に向かって歩みを進める。このタイミングにスナイパーに捕捉された……大まかな位置を把握されたことと同じ、今日一日は歩きっぱなしだな……。


「アキヒロ! 頬から血が……」

「大丈夫だ。掠っただけ、治療道具も持ってきてる……」


 MP7のサイトを外してアイアンサイトの状態にする。反射に一瞬で対応してきた……前の人生じゃスナイパーに捕捉されるなんてなかったのに……!

 凡ミス、まだ二日目だぞ……もう、アリスが死ぬ姿は見たくない……。


「アキヒロ……どこまで……」

「今日は一日中移動だ。スナイパーに悟られた……こいつの射程じゃライフルに勝てない……」


 距離は約500m、腕利きなら外さない距離……観測手がいないのだろう。だが、山の不安定な風で頬を掠める程の精度、腕利きだ……。

 スナイパーの排除、できればライフルも欲しい。また犬が投入された時に重宝する。だが、アリスを置いて相手のスナイパーと対峙か……賭けだな……。


17


「明広くん……まだ帰ってきてないんだね……」

「ええ、明広のお父さんに電話したけど……」

「アリスちゃんも帰ってきてないんだよね……」

「ええ、もしかしたら……アリスに何か……」


 あの時と同じように事件が発生している。

 でも、自分達に助け舟を出すだけの何かはない……。


18


 アリスが眠った。

 スナイパーを狩るならこのタイミングしかない。

 MP7のサイレンサーを外し、上空に向かって発砲した。

 返事と言わんばかりに朱色の弾丸が飛翔するのが見える。あそこか!

 再度サイレンサーを装着し、スナイパーがブッシュしている場所に向かって駆ける。スナイパーを野放しにすることは出来ない。絶対に今夜――潰す!


『銃声が聞こえたぞ! スナイパーに連絡を入れろ、撃ち返してた』

『わか――ウガッ!?』


 道中で数人の私兵を無力化し、スナイパーの場所に駆ける。

 ッ!? 捕捉されたか!

 足元に突き刺さる弾丸、木を縫うように移動しようやく到達した。


『こりゃ参った。観測手をつけるべきだったかな?』

『子供を撃つことを躊躇った結果だ。その右肩もらうぞ』


 撃ち返そうと振り返るが、両肩を撃ち抜いて武器を落とさせる。


『スナイパーはおまえだけか?』

『ああ、俺以外の奴らは全員興が乗らないって降りてったよ。狙撃手は流儀ってのがあるわけさ……俺には無いけどね……』


 地面に落ちたレミントンM700を拾い上げる。

 スナイパーを蹴り倒し予備のマガジンをすべて奪い取ってその場を去る。


『……こちらスナイパー9、武器を奪われた。撤収した方がいい、長距離狙撃の的にされるだけさ』

『……回収に向かう』

『了解、オーバー』


19


「武器が増えてる……また危ないことしたの……?」

「怪我をしてないからいいだろ、こいつがあればもっと安全にアリスを守れる」

「……殺さないでね、人」


 すぐに返事が出来なかった。

 .308winは非常に殺傷能力が高い弾だ。ヒグマだって急所を狙えば一撃で落ちる、距離が近ければ人間の体をズタズタにすることも可能……。

 だが、こいつ一丁で戦力比が大きく変動する。相手も昼間から私兵を投入することは無いだろう、つまり……昼は比較的安全。少しくらいアリスに構える。


「今日は夜までここでゆっくりしよう」

「え? でも……移動しないと……」

「こいつのおかげさ」


 ライフルを見せる。意味を理解していないようだが、嬉しそうな笑みを見せた。


20


「奴ら……焚き火なんてはじめやがった……」

「狙撃銃は無いのか!?」

「スナイパー9の一丁だけだ。悟られてるな、こっちがMP7しか装備にないことを……!」


 追加で連れてこられた私兵達が嘆く、度重なる武器の鹵獲に負傷した私兵達のうめき声、それが恐怖を助長させる。このままでは作戦遂行ができない。

 位置を特定できたのだから一気に攻勢をかけようと部隊に声が上がるが、双眼鏡を持った一人が腰を抜かす。


「どうした!? ッ……」

「見てます……奴はこっちを見てます!」


 スコープの反射でわかる。自分達の野営地を補足し、いつでも撃ち抜けると……。


「いや、素人がこの距離を撃ち抜け――」


 連れてきた犬達すべてが撃ち抜かれ、断末魔を上げる。


「物陰に隠れろ!!」


 予想を遥かに超えた相手、部隊は混乱し戦意が削がれていく。


21


 犬の殺処分完了、これで犬の対処は必要なくなった。


「アキヒロ? 本当に焚き火してよかったの」

「ああ、前言撤回。痕跡を残してもいい」


 本来であれば犬に警戒して焚き火を恐れていたが、犬の殺処分も完了し、相手の野営地を狙撃することもできる。相手も攻めあぐねる、追加のスナイパーの登場が危ぶまれるが……その時は先に撃ち抜けばいい。

 ライフルを置いて双眼鏡で野営地を確認する。部隊長らしき男が車の中で何かを叫んでいるのが確認できる。増援要請だろうか?


22


「なに!? オーグレーン夫婦が支部に襲撃……支部長を殺害……?」

『ああ、尊い犠牲だ。それより早く娘を殺せ、支部長の敵討ちだと思ってな』

「そ、それが……彼女を警護するエージェントが! スナイパー9の狙撃銃も鹵獲され……」

『何をやっている!? 部隊の損耗は……』

「……戦闘できる隊員は半分を切りました。奴は負傷兵を増やして我々と心理戦を」

『……奴を送る。到着は20日後だ。それまでエージェントと娘を山に止めろ、巡回はいい』

「奴? まさか!?」

『ああ、財団最強の兵士だ……』


23


 もう五日も動いていない。

 おかしい、私兵が山で巡回することが無くなった。だが、野営地には変わらず兵士達がいて、まるで……何かを待っているような……。

 こんなことは無かった。どう対処すればいい? だが、アリスの両親が来るまでは動くに動けない。

 ――挑発してみるか?

 アリスと一緒に三つ目の物資が置かれている場所にやってくる。アタッシュケースを開くとそこにはテントが詰め込まれていた。


「て、テント! 寝袋もあるよ!!」


 三つ目のアタッシュケースにはテントと寝袋が収められている。今までは一つの場所に留まるというリスクを容認することができず、放置していたのだが……ここまで来れば使用してもいいだろう。

 アタッシュケースを拾い上げて相手の野営地が見える場所に戻る。

 ……さて、どう出る?


24


「お父さん……お兄ちゃんまだ……」

「警察もちゃんと動いてくれてる。大丈夫、あいつが「お兄ちゃんが死ぬわけない!!!!」……こ、このみちゃん?」

「お兄ちゃん……お兄ちゃんの香りがしなくなったよ……」


 兄の毛布を抱きしめる。


25


 テントを設営して一週間、堂々と拠点を作ったのに襲いに来る気配すら感じられない。どうしたんだ、増援を呼んだわけでもなく、ただ野営地で互いに睨み合うだけ、これでは第一次大戦の塹壕戦ではないか……。


「アキヒロ! ビーフジャーキー美味しいよ!!」

「あ、ああ、後でもらうよ」


 この生活も15日目、本来であれば犬や夜襲の対処に追われる日々の筈だが、今回に限ってテントで雨風を凌ぎながら……奴らは何を狙っているんだ……?


26


「いやはや、日本に到着した途端に久しい顔に会えて嬉しいよ……弟よ!」

「やあ、兄さん。今までどこで何をしていたんだい?」

「いや、財団の存在を知ったアジア人マフィアと遊んでいたのさ! まあ、遊び相手にもならなかったが……」


 まさか、明広が山で戦闘を行っている間に日本各地にある財団のコンピューターの破壊活動をしていたとは驚きだ。この二十日間でオーグレーン夫婦の会話を聞いたが、日本支部は極端に私兵が少なく、ここまで大規模な作戦をしてくるとは思っていなかったらしい。まあ、起きたことだ。

 それにしても、この男は誰だ? 弟と呼んだということは兄なのかもしれないが、弟にこれだけの殺意を向けてくるか……。


「兄さんは知っているだろう……財団はアリス! 貴方の姪を殺そうとしているんですよ!?」

「ああ、確かに姪を殺すのは辛い。だが、私も財団の職員になったのだ……尊い犠牲だ……」

「……殺すんですか」

「……わからない、私に欠片程度の家族愛があれば、まあ、別かもしれないが」


 ハンスが銃を構える。だが、その瞬間には銃が空を舞っていた。


「やめてくれ、私に弟を殺させないでくれ……白人だろ? 仲間だ」

「アリスも白人だ!」

「たが、財団の命令には従わなければならない。わかってくれ、弟よ」

「娘を殺そうとする奴が兄の筈がない!」


 男はため息を吐き出し、賭けをしようと提案する。


「なーに、ちょっとしたかくれんぼだ。私がアリスを3時間以内に殺す。殺せなかったらおまえと同じように財団から足を洗おう」

「……いや、10分だ。アリスには心強い用心棒を付けてある。彼を10分で倒してみろ!!」

「用心棒? ああ、現地の下っ端から聞いている。アジア人のガキが姪を守っていると……白人がアジア人と馴れ合うとは……」


 男は笑みを見せ、いいだろうと約束を交わした。

 ハンスは男の威圧感に耐えながら、端末を取り出してコールする。


『誰だ……?』

「アキヒロくん……聞こえるかい?」

『アリスのお父さん? ゲーム機に通信端末を仕込んでいたんですか……』

「よく聞いてくれ。私と妻は日本各所にある財団のコンピューターの破壊活動を行った。だが、空港で不味い人間と鉢合わせしてしまった……」

『誰ですか?』

「私の兄だ……」


27


 山で生活して二十五日、あと五日でこの地獄も終わる。アリスのお父さんが発煙筒を炊いたらミッションコンプリート、最大の難関が過ぎ去る。されど、まだまだ私兵がウロウロしている。一気に攻勢をかける可能性も少なくない。

 ――携帯の着信音みたいな音が響く。


「アキヒロ! ゲーム機がなんか変なの!!」

「ん?」


 ゲーム機の画面にBボタンを長押しと表示される。アリスのお父さんが用意したものだ。爆発物ではないだろう……長押ししてみる。

 すると吐息が聞こえる。


「誰だ……?」

『アキヒロくん……聞こえるかい?』

「アリスのお父さん? ゲーム機に通信端末を仕込んでいたんですか……」

『よく聞いてくれ。私と妻は日本各所にある財団のコンピューターの破壊活動を行った。だが、空港で不味い人間と鉢合わせしてしまった……』

「誰ですか?」

『私の兄だ……』


 アリスがヒョイとゲーム機を取り上げて耳を当てる。


「お父さんなの!? 怪我してない……鉄砲でいっぱい撃たれてたから……」

『アリスか……よかった。アキヒロくんに任せて正解だったよ』

「うん! シャワーは浴びれないけどスリリングで楽しいよ!」

『そうか――やあ、アリス。久しぶりだな? 叔父さんのこと覚えているかい』

「え、叔父さん? 叔父さんも日本に来たの!?」

『ああ、ちょっと野暮用でね。三日後くらいに迎えに行くよ』

「また一緒にサウナ入れる!? 今度こそ叔父さんより長く入ってみるもん!!」

『そう、だな……アリスのことを守ってるアジア人が頑張ってくれたら……』

「アジア人じゃないよ! アキヒロって名前だよ!!」

『そうかい、そうかい……そのアキヒロくんに代わってくれないか』

「うん! いいよ」


 天真爛漫なアリス、だが、どうにも嫌な予感がする。

 アリスに手渡されたゲーム機を耳に向ける。


『おまえがアリスと行動を共にしているアジア人か……どうだ、うちの姪は可愛いだろう? 死ぬ前の思い出によかったな』

「……アンタも、アリスを」

『悲しいが、そういうことだ。いやはや、上の人間は人の心が無い。私も姪を殺めたくはない……だが、仕事だ。家庭は持ち込めない』

「普通は逆だけどな……」

『ふふっ、私は弟と賭けをしているんだ。君が私と戦い――十分間生存できたらアリスを殺さないと』

「……アンタ、何者だ」

『アジア人に情報は渡せない。地図を確認したが、姪のいる山の山頂は電波基地でそれなりに平坦だ。殺し合いにうってつけじゃないか! そこで待っていてくれ、勝負をしよう……』

「……代わってくれ」

『アキヒロくん……兄の言うことを聞いてくれ、兄からは絶対に逃れられない。約束を破れば……! 指定された場所に移動してくれ、アリスを……頼む……』


 通信が切れた。

 ゲーム機をアリスに返し、双眼鏡で野営地を覗き込む。撤退していってる。

 横槍は不要ということか……。


28


「生存は絶望的でしょう……失踪して二十五日も経っています。各所を捜索しましたが、痕跡一つ、目撃情報一つありません……」

「そうですか……」


 このみが崩れ落ちる。


「お父さん……お兄ちゃん死んじゃったの?」

「……わからない」

「答えてよ!」

「……わからないんだよ」

「お兄ちゃんがいない人生なんて……お兄ちゃん……」


 ――わたしを一人にしないで……。


29


「……さくら、お母さん心配してるよ?」

「……ごめん、今、顔を見られたくない」

「――あたしだって見られたくないよ! でも!! ……さくらも明広と同じくらい大切な友達だから」

「帰ってよ! わたしは……また、自分の弱さに負けたから……」

「……さくら、どうして」

「帰れ!!!!」


 ――自分が嫌になる。


30


 アリスの叔父さん、財団の何か、兵を撤退させる程の権力者……。


「アキヒロ! 缶詰美味しいね!!」

「あ、ああ……」


 あの後、アリスのお父さんから電話で野営地にレーションを残させてあると言われ取りに行った。もちろん人影一つなく、地面にレーションが置かれているという状態。明日にはアリスの叔父さんとやらが到着する。最後の晩餐を楽しめという計らいだろうか?

 ……俺はこの世界で死ぬことはない。だが、生きた屍になることはある。

 一人でやってくる、凄腕の殺し屋?

 いや、時が来ればわかることか……。


「アリス……」

「なに?」

「……いや、なんでもない」


 この天真爛漫な子を殺す。そんな奴に容赦や情けはいらない。

 ――立ちふさがるなら突破するまでだ!

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